君の奏でる音楽
楽譜通り。
作曲家の意思を詰め込まれた楽譜に敬意を払い弾く。
私の先生の教え。
だから、先生に習うからには、先生の意思も加算して、なるべく楽譜通りに弾く。
それでもやはり曖昧な表現もある。
そこに私の表現力を発揮する自由がある。
それすら先生と意見の合わない時もある。
その時は意見の交換をする。
その為には楽譜を作った作曲家。製本した楽譜を作った会社の意思まで鑑みなくてはならなくて、その数小節のための膨大な知識がいる。
技術が上がると自由度が増えて、大変な思いをする。
それこそが、自由の本質かもしれない。
年に一度、先生が開催する発表会がある。
それこそ、楽譜通りにキッチリキッチリ弾く練習。
でも、毎年、本番は私の好きなように弾く。
それを先生は
「一番良い演奏だったよ」
と、言ってくれる。
あまりに難曲を選曲して、実力不足を痛感した時も、そう言ってくれる。
私は最後の発表会の時、今まで弾きたくて弾きたくてたまらない曲を選んだ。
先生は、
「最後は弾きたいと思う曲を弾きなさい」
と、言ってくれた。
その曲は、私よりも随分年下の子が発表会で弾く事が多いような曲。
難易度は易しいに分類される。
どうしても弾いておきたかった曲。
人気な曲だから大体取り合いで、私も発表会で弾けなかった1人。
だからこそ、最後に悔いは残したくかかった。
発表会では楽譜通りに弾いた。
多分、今までの発表会で誰よりも上手に弾いた。
そして、もう一曲。
少し前に先生と練習しつつ、途中で挫折した曲。
先生には内緒にした。
発表会のプログラムには載せないで欲しいと頼んだ。
先生と練習したところまでは楽譜に従い、途中からアレンジも加えて好きなように、思うままに弾いた。
まるでジャズのような、ゴスペルのような気ままな曲になった。
クラシックの先生に歯を向けたような私の愚行。
全身全霊、汗だくになって弾いた。
私の全てを曝け出すように。
今まで先生から学んだ一滴も溢さずにだせるように。
私は今日限りでピアノのレッスンを受けなくなる。
ピアノというお稽古をやめる。
人前で弾く最後の曲だ。
弾き終わると、先生が舞台に上がってきてくれた。
本来なら私が下がってから、司会として出てくるのが常なのに。
先生は泣いていた。涙脆い先生だけど、礼儀を欠いてまで泣いてる。
先生は私にしか聞こえない声で
「ありがとう。今までで一番いい演奏だったよ」
そう言った。
後日、出来上がった発表会のCDが送られてきた。
先生から一筆
「僕を自由にしてくれたのは、君の奏でる音楽だったよ」
と、書いてあった。
きっと、先生は一度でいいから人前で思いっきり好きに弾いて見たかったに違いない。
8/12/2023, 4:52:05 PM