ずっと好きでした。
貴方にお会いした時は西洋のお姫様かと思いました。
声をかけるどころか近寄る事さえ叶いませんでした。
幼心に貴方に一目惚れしたのだと思います。
貴方のお屋敷に勤める父の荷物持ちとして、お屋敷には幾度となく行く事は出来ましたが、貴方にはなかなかお目にかかる事も叶いませんでした。
何度か遠目にお見かけする度に心躍りました。
和装の姿に姫様と心の中で呟いた事、お許しください。
戦禍が厳しいものとなり、長男の私にも近いうちに出兵の命がくだると感じた頃、父母が私にと結婚相手を連れてきました。
気のいい、若いお嬢さんです。
私に最後に花を持たせてくれようとした両親に感謝しました。
ですが、私の心は貴方のものとなってしまっておりました。
名も知らぬ、高尚な貴方に私が相応しいはずもありませんが、私の青春と人生は貴方に捧げると勝手ながらに誓いました。
祝言をあげてもらい、初夜には、お嬢さんに土下座をし、恥を忍んで夜を抜け出させていただき、貴方の屋敷の裏の門で一晩、貴方を思い、泣いて過ごしました。
しばらくして、やはり赤紙が届きました。
近所の皆、出兵を喜ぶふりをしてくださいました。
千本針も持たせていただきました。
私の行った戦地は、桜花と言う花の名前の人間爆弾を投下するような暑い地でした。
私もコレに乗る日が来ました。
もちろん、生きて帰る事など鼻から諦めておりましたので、戸惑う事はありません。
ただ、この地で先に行った戦友の元へ行く。
そう思わないと、震えが止まらなかったのです。
毎日、写真も持たない貴方の事を考えました。
この戦に勝ちはないとわかってました。
言葉にできぬ事や思いが増えて溢れそうになり、気がおかしくなりそうでした。
やっと私に乗り込む番が来ました。
正直なところ、やっと死ねると涙しました。
片道の燃料のこの機体。桜のように散る私は蝶になれるでしょうか。
体がなくなったら、遠い地ではありますが、この地から蝶となってもう一度、貴方を一目見たいです。
そうできたなら、思い残す事もありません。
ソレが叶わなくても、この戦禍の世にありながら蝶よ花よと生きる貴方の生涯が、ずっと続く事を願います。
手紙にも残せぬこの思い。蝶になって届ける事が叶わないなら、いつかの裏庭に咲く桔梗の花になりたい。
春の小雨とは言えないほどの大雨の中、泣きながら運転していた。
一人息子が大学に進学するために、飛行機に乗って入学式を見届けた帰り道。
田舎すぎる我が家は、空港まで車で2時間近くかかる。
高速を降りて、土砂降りの雨の中、行きは2人で乗っていた車を帰り道は1人きり。
雨と涙とで、視界は最悪だけど、車通りの少ない道。
家に待つ人もいない。
若い子なら、こんな田舎じゃなくて都会に行きたい気持ちはわかる。
だから、私もパートを増やして塾代を稼ぎ、駅近くの塾に送り迎えもした。
単身赴任な旦那がいなくても、旦那の両親の家の近くに建てた家を息子と2人守ってきた。
私の身長を超えた頃、電球をかえてくれるようになった事。
重たい荷物を運んでくれた事。
些細な成長が嬉しかった。
都会に選んだ大学に進学したいと言われた時は
『あぁ、やっぱり』
って思ったし、反抗期ならでわの会話の少ない時にでも、話てくれた事が嬉しかった。
パート増やしてお弁当作って、洗濯掃除。
息子と2人。腹の立つこともたくさんあった。
これからは腹の立つ事もないんだなぁと思うと寂しくて泣けてしまう。
頑張って勝ち取った大学に入学できて良かったねと思って泣ける。
私が飛行機に乗る前に、「ありがとう」なんて言われて泣かないはずはない。
もう、嗚咽混じりで泣き出してしまって車を路肩に止める。
後続車も対向車もない。信号もない。
田んぼの稲が雨に濡れて、あたりに街灯もないから暗くて。1人なんだって実感した。
家に帰る前に久しぶりにお酒でも買って帰ろうかなと前を向くと、犬がいる。
犬である事はわかる。犬種とかなんとかはわからない。
ただ、ずぶ濡れで私の車のヘッドライトに照らされた犬がいる。
もう夜になりそうな時間。
ガリガリに痩せたずぶ濡れの犬。
降りたら私もすぐにずぶ濡れになるだろう。
犬は私の車の前から動くまいと、ジッとコチラを見ている。野犬だろうか。
食べ物は生憎持っていない。
迷子だろう。
そう思って、犬を車に乗せて一晩だけでも寂しさを分かち合う事ができるかもしれないと、運転席のドアを開け、降りようとしたら、犬もこちらに寄ってきた。
噛まれたりしないだろうか?
犬は私の目の前にくるとお座りをした。
行儀のいい犬だなと思って、行きには息子が乗っていた後部座席のドアを開けると、お邪魔しますと言ったそぶりで車に乗り込む犬。
シートには上がらず、足元で丸くなったのを確認して、車を走り出させる。
犬のおかげで泣かずに運転ができる。
お酒とつまみ。犬のご飯を買って家に帰る。
ただいまと言わんばかりに玄関へと歩いて入る犬。
自分がぬれているからか、部屋には入ろうとしない。
仕方ないから抱えて入る。
やっぱり犬臭いから、お風呂に入れる。ついでに私もお風呂に入る。
「朝になったら、病院と警察に連れてってあげるよ」
と声に出す。
犬はただジッとこちらを見るだけ。
何も言わない。犬だし、そりゃそうだけど。
でも、なんとなく、この犬はこれから私と一緒に暮らすんじゃないかと思った。
息子が巣立つ日を待っていたかのように現れた犬。
あれから5年。
最初からわかってた。
息子はやっぱり都会で就職した。
単身赴任の夫ももうすぐこちらに帰ってくるらしい。
旦那の両親も健在。
私も犬がいるから寂しくない。
②
ここいらでは素行の良くない学校で有名。
偏差値なんて知らないし、調べた事もない高校の子。
私は小学校から続く女子高生だし。
毎日、似たり寄ったりな時間に乗る電車で良く見かける子。
素行が良くない学校らしいけど、普通の高校生。
凄くハンサムってわけじゃないと思う。
いつも1人で音楽聴いてる?イヤホンしてる子。
他にも高校生はたくさんいるけど、なんとなく見つける男の子。
私は友達といたりするけど、いつも1人で電車に乗る子。
朝に見かけるけど、お互い?知らんぷりする。
今日もいた。
今日はいなかった。
そんな感じで、恋愛漫画的な要素はない。
その子が何年生かも知らないし、声すら知らない。席が空いても知らんぷりしてドアの側に寄りかかってる子。
私が勝手に、『あ、携帯変えた』とか『髪切ったんだ』って観察?してるだけ。
意識してるわけじゃなくて、目に入るだけ。
夏休みは会う事ないだろうと思っていたら、その子がいた。
初めて私服の姿を見た。白いTシャツに黒のパンツ。
どこにでもいる普通の恰好。
いつもと同じようにドアに寄りかかってるけど、
いつものイヤホンはしてない。
スマホも持ってない。
手には繋がれた女の子の手。
恋人繋ぎって奴ですか。
彼女がいるなんて、最初からわかってだけどねって。
自分に言い訳する。
「たいーよーがー、もえーているー」
と、ひと昔前に流行った歌が一階から聞こえる。
1階がオカンがやってるスナック。2階が自宅。
カラオケスナックってやつ。
常連さんは、年配の人が多いけど、最近は40代くらい?な、おじさんおばさんも増えた。
なかなか、やり手なオカンだ。
暑い季節になると夏の曲。寒い季節になると冬の曲。
漏れ聞こえる歌で季節がわかる。
「イケナイ太陽〜」なんてわけわからない曲に変わる。
夏の到来をお客さん達は喜んでいるのか。
私が生まれた頃には30度を超える日が当たり前にあり、35度を超えると夏真っ盛り。40度を超える殺人的な暑さな日もある。
熱中症、紫外線。豪雨。危険なばかりの夏。
夏の海なんてよっぽど旅行でもしない限り行く事ない。
山だって急な豪雨が毎日だし、山が涼しいなんて事もない。
夏休みの子供といえば、宿題かゲームか。
外で遊んでおいでなんて家はまずないと思う。
あまり家に居てばかりでも…とショッピングモールや市民プールに行く程度。
だから夏っていい気がしない。太陽のせい。
いや、地球温暖化のせい?
どちらにしても夏を楽しんだ世代の人のせい。
とは言え、夏休みの文化は残してくれてありがたい。
学校が休みってだけで特別感があるし。
今日もギラギラメラメラ燃える太陽が沈んだ頃にお客さんが来る。
楽しい夏の歌を歌って、ほろ酔いや泥酔して帰っていく。
昔の夏ってそんなに特別なモノだったのかな?
昔の夏を経験してみたいなぁ。って思うから、自然環境とかエネルギー対策とかの勉強出来る大学に行って、お客さん達が楽しんだ夏にしたいとか考えるようになった。
冬より夏の方が楽しそうな大人を見て、将来の指針を決めたからさ。
太陽さん、ちょっと手加減して。
地球さん、もう少し我慢してね。
まだまだ学生で何もできないけど、10年とか20年したら、夏の太陽を楽しめる地球にするからね。
鐘の音
「行ってきます」
「ただいま」
家を出る時、帰る時、当たり前にチリンと鳴らす鐘。
仏壇にあるソレは誰かが持ち上げないと、鳴らない音。
私には当たり前の習慣だけど、私の友達にはない習慣。
結婚しようと、決めた相手が実家に挨拶に来た際に、
「仏壇にご挨拶させていただいてもいいですか」
と。
金髪で定職にもつかない体たらくな人だけど、私にはこの人しかいないって思った人。
その人を初めて尊敬したなんて言ったらいけないけれど…。
「作法は…」と言いかけた未来の夫。
「挨拶していただけるだけで充分ですから…」と、両親。
ソレから結婚し、子供にも恵まれて、実家に帰る時は両親用と仏壇用にお土産を用意する。
チリンとなる小さな鐘の音が、私の人生を決めた音。
塵も積もれば山となる。
良くも悪くも使われる便利な諺。
愛を信じて結婚したら、愛情のゲージは塵が積もって大幅な目減りをする。
結婚は生活に直結するから、愛だけでは食べていけない。
思ってたんと違う。ってのはお互い様だろう。
惰性で続ける婚姻関係か、独身にかえるか。
お金を信じて結婚したら、結婚相手にお金がなくなったら魅力は地の底に落ちる。
自分と似た人と結婚したら、同族嫌悪の時がくる。
正反対な人と結婚したら、異星人との同居になる。
結局、どんな人と結婚するのが正解?
人それぞれだろうけれど。
極端に、
世界一のお金持と結婚したなら、愛情は無くても尊敬が生まれるだろう。
明日、死んでしまうなら、愛をとるだろう。
したらば、相性というなんとも曖昧な物で測らなければならない。
相性とは?
笑いのツボや、価値観なんて年齢と共に変わる。
相手も自分も変わっていく。
歳をとって、仲良し夫婦に見えても、夫婦の間には数えきれない我慢と擦り合わせがあるはずで、
結局は、
この人がそういうなら仕方ない。
その程度の、許容。
この人のためならちょっと我慢してやってもいいか。
って程度の、見栄。
多分、他所様からみたら『つまらないこと』の積み重ねで夫婦って作られていく。
でも、この『つまらないこと』の積み重ねができないと、夫婦としての縁すらなくなる。
しかも厄介な事に、結婚して色んな嫌な思いをして、自分で選択していかなければならないからこそ、結婚とはやってみなきゃわからないギャンブル。
自分にとって、つまらない事でも相手にとっては重要だったり。逆もまた然り。
『つまらないこと』を拾い集めてお互いに納得して夫婦でいられる。
だから、離婚理由は、不一致の一言で片付いちゃう。
つまらないことでも、真摯に向き合ってくれる相手を選ぶのは、宝くじ当てるより難しいかも。