何度やっても千日手。
相手も自分も負けず嫌い。
棋力は同じくらいだろう。
負けるくらいなら千日手に持ち込んで、もう一度始めから。
夏休みずっと将棋ばかり。
約束もしていないのに、毎日お互いが対戦相手になってしまう。
お盆までには「参りました」を勝ち取って、終わりにしようと家に帰っても詰将棋。
明日こそは!と挑むけれど、相手も昨日より鋭い手。
負けてたまるかと千日手。
明日からお盆休みになる将棋クラブ。休み前の最後日にもやっぱり千日手。
「もう終わりにしよう」
そう言った見慣れた相手の顔を見る。なんで!勝ちたい勝ちたい勝ちたいっていいたいけれど、そんな子供じみた事したくない。
「どうして?」と、だけ聞く。
相手も嫌々ながら終わりにしようとしている雰囲気。
「夏休みの宿題終わってないから」
はっ!そうだ。1ページもやっていない事に気づいて青ざめる。
「…そっか。じゃあ仕方ないね」と。自分はさも終わってるような顔して言う。
「うん。ごめんな」と、苦い顔で言う相手。
「仕方ないよ。宿題なら。」と苦い顔で返す。
「あとは自由課題と読書感想文だけだから、お盆明けて1週間後にもう一度だけ将棋さしてくれる?」と、相手。
マジで!1ページも進んでない問題と自由課題に読書感想文残ってますけど。な自分はスマした顔で、
「うん。盆明けの1週間後の一戦で終わりにしよう」
すでに完敗でお手上げの気分だけど、おばあちゃん家行っても遊ばないで宿題やろうと決意。
夏の最後の戦いは10日後。
僕が小さい頃は君も小さくて、4本足で移動して、僕といっぱい遊んで、たまにママに叱られて。
君が朝からどこかに出かけるようになったら、ママと一緒に家で君の帰りを待って、君と公園に遊びに行くのが凄く楽しかった。
ママと君は手という前足を握って、僕はリードという紐が繋がれた。
ある時から君の帰ってくる時間が遅くなって、僕はもう待ちくたびれて、ふて寝する時間が長くなった。
それでも、日が暮れる前に帰ってきた君と2人で目一杯走って散歩するのはとても嬉しかったよ。
その頃からはママも昼間は出かけるようになったから僕はこの家が余所者に入られないように気をつけて過ごすようになった。
日中、この家を守るのが僕の仕事だってパパにいわれて美味しいジャーキー貰ったんだ。
でも、なかなか余所者は入ってこないから、楽な仕事だった。
たまに、塀の上にいる僕によく似た4本足で歩くやつに挨拶するようになった事は家族の誰も知るまい。
僕は家から出られないし、あいつは家には入れないから。
僕の散歩は日が暮れてから行くようになった。
君だったりママだったり、たまにパパだったりした。
パパとの散歩はいつもと違う道で楽しかった。
たまに、家族の誰かがこっそりと泣いていると、理由はわからないけれど、僕が一緒にいた。
一緒にいる事がいいような気がしたから。
嬉しいことはみんなで喜んだ。そんな日は決まって僕のご飯も豪勢になる。
君が大好きになった子を家族の誰よりも先に僕に紹介してくれるのは僕と君の秘密だよね。
僕はずっと家族で一緒にいるんだと思っていたのに、君は自分の荷物と一緒に出て行って、その日から帰ってこなくなった。
僕は、ママとパパの三人で暮らした。
ママは変わらず僕の世話をしてくれた。
ママもパパも凄く元気なのに、僕は楽しい散歩も走るのが遅くなった。
君が夏の暑い日に帰ってきたときは凄く凄く嬉しくて、おしっこ漏らしちゃってごめんね。
あまり走れなくなった僕と君だけで散歩に行ったら、君は昔みたいに汗だくになるほど走ってくれて、僕はついて行くのが精一杯だったけど、君がリードを離さないように頑張ってついて行ったよ。
でも何日かしたらまた君が帰ってこなくなった。
ママとパパと僕の暮らしは何不自由な事はないけど、いつも何か足りない気分。
君がいないと寂しいよ。
冬の寒くなってから、また君が帰ってきた。
今度こそはもういなくならないでって思ったのに、君はすぐにいなくなる。
君がいないと、家の中は凄く静かになるんだよ。
家族のみんな元気なのに、僕はなんだか起き上がるのも億劫で、ママが僕の好物ばかりくれるのに食べられなくなってきた。
毎日、僕の散歩をしてくれるけれど、みんなと繋いでたリードは使わなくなった。
その代わり抱っこで外に連れ出してくれる。
いつか仲良くなった塀の上のやつもしばらく見てない。
僕たちは二本足の君たちよりも早く歳をとるんだね。
知らなかった。
僕さ、多分君たちより先に天国に行くみたいだね。
その時はさ、リード持って行きたいな。
手の代わりのリードで繋がっていたいんだ。
いつか君たちが天国に来る時はリードを引っ張って連れてってあげるね。
地区選抜優勝!次は東京でコンクール。
ここまで頑張ってきた。絶対取りたい金賞。
そのためだったら何時間でも練習する。
そう思って、実際、本当に学校が終わってから何時間も弾き続けるピアノ。
暗譜は苦手だけど、体に叩き込むように弾く。
今なら目を瞑っても弾ける曲。
東京について、すぐレンタルピアノに向かう。
1日だってピアノを触らない日は作れない。
絶対負けたくないライバルはたくさんいる。
プレッシャーに負けても体が負けないように、腱鞘炎なんて慣れっこ。本番前はいつもこうだから、仕上がった証拠。
結果は銀賞。まずまずだろう。
隣に立つ金賞のトロフィーをもつのは僕より一つ年上で、体も大きい分、手も大きい。指も長い。
金、銀、銅と並んだら、僕は背が低いし手も小さい。
なのに銀。
ここまで勝ち抜くのに何人、僕より大きな子供がいただろうか。
この、スポットライトを浴びながら撮られた写真はネットや冊子に載るはずだ。
眩しいほどの照明の前の観客席は真っ暗でお母さんの顔は見えないけれど、喜んでくれていると思う。
控室に戻ってお母さんに会うと、期待通りにお母さんは涙を流して喜んでくれた。
高いレッスン代。交通費。兄弟そっちのけで僕の練習に付き合ってくれるお母さん。
一緒に頑張ってきたね。ありがとうと、いただいた銀賞の賞状を渡す。
僕はスーツを脱いで、私服になる。
途端に普通の中学生。
ホテルに着くとお母さんは「次は合唱コンクールね」と言う。僕の通う中学には合唱コンクールがあって、クラス賞の他、指揮者賞、伴奏者賞がある。
去年、同じクラスだった彼女がコンクールさえ出た事ないのに僕ではなく彼女が伴奏者に選ばれた事をお母さんは根に持っているらしい。
僕は他のコンクールに力を入れていたから気にもしていないけれど、目の上のたんこぶではある。
合唱コンクールまでまだ何ヶ月もあるし、その間にコンクール入れなければ大丈夫。
僕はコンクールに出るつもりで、たかだか学校の合唱コンクールの伴奏曲の練習をしてレッスンも受けた。
もちろんちゃんと腱鞘炎になって、準備は万端。
今年一組の彼女が最初に出場した。
クラスはまとまりのある歌声。指揮者は退場の時慌てたのは減点かな。
彼女の演奏は指揮者の指示通り、楽譜通り。
減点も加点もない演奏。
僕は4組。4番目の演奏だった。
僕には必要ないくらい見飽きた楽譜と一緒にピアノの前でお辞儀をし、指揮に合わせて鍵盤を押した。
歌声が乗らない。指揮者が不安そうだ。
サビにかかる時、ここだ!のタイミングでアレンジを加える。バッチリ決まり、僕のアレンジからみんなの歌声はボリュームを上げた。
曲終わりがけに僕の写真を撮ろうと近づいたカメラマンが楽譜を鍵盤の上に落とした。
僕の指はもうそんな事すら気にならず、ブレずに鍵盤を押し続けた。
弾き終わり、僕は優勝を確信した。
他の組の演出中、ブルッと震えた携帯を確認するとお母さんから「やっぱりあのアレンジ良かったよ」と。
アレンジはお母さんの演出で、確かにピアノが活きる演出。「ありがとう」と素早く返事を返して、他のクラスの演出を見る。
どのクラスも僕よりいい演出をする伴奏者はいなかった。
表彰の時、僕のクラスは呼ばれる事はなかった。
彼女のクラスは、クラス賞と伴奏者賞を勝ち取った。
納得がいかなくて審査員の先生達に理由を聞きに行った。
先生達は口々に言った。
「君1人の演奏ならピカイチだったよ。」
「君のアレンジを楽しく聞かせて貰ったよ」
音楽の教師だけが採点の内容を教えてくれた。
「技術は一位と差はないほど、君は上手だよ。だけど、コレは合唱コンクールであって、彼女は目立たず指揮者に合わせて自分の技術の見せ場すら抑えた演奏をしたんだよ。伴奏は、歌がなければ成り立たないと理解した弾き方だった。君は指揮者も押さえ込んで自分のコンクールにした。それは伴奏者の仕事じゃないんだよ。君はクラスの練習に参加していましたか?」
何も言えなかった。
あの華々しい脚光を浴びた僕はただの学校の合唱コンクールでは、なんの役にもたたなかった。
クラスに戻るとみんなから「伴奏者賞くらいは貰えると思ったのになぁ」と聞こえよがしに言われる。
僕だって、一生懸命がんばったのに。
優越感と劣等感
「こんにちは。お迎えにきました。」
「あらあら、いらっしゃい。もう少しだけ待ってくださいますか?はるばる遠方から子供がきてくれてるみたいなの。とっても急いでね。」
「そうですか。では到着を待ちましょう」
「私のお迎えは、私の母か父か兄か、夫かと思っていたのに、こんなにお若い男性に迎えに来ていただいて嬉しいわ」
「あの世で皆お待ちしております。」
「そう。みんなに会えるなら怖くないわ」
「怖いことは何もありませんよ」
「あなたは私の夫の若い頃にそっくりだわ。顔だけで選んじゃったけど、なかなか悪くない人だったのよ」
「知ってます。無口でしたが真面目な人でしたね」
「あら、お知り合い?」
「僕は息子です。産まれて来る事は叶いませんでしたが、両親に会いたい一心で、今までずっと待ってました。お母さんって呼ばせてください」
「あら。」
「お忘れですか?」
「いいえ。ごめんなさいね。気付かずに。お母さんと呼んでくれてありがとうね。ちゃんと覚えていますよ。産んであげられなくてごめんなさい。抱きしめたいけれど、まだ体が動かないの」
「よかった。嬉しいです。お母さん」
「もう少し待ってね。産んだ我が子にお別れしたら、あなたを抱きしめたいわ。」
「この日までずっと待っていましたから、少々待つくらいなんて事ないです。」
「寂しい思いをさせてしまったわね。」
「そうでもないですよ。おばあちゃんやおじいちゃんと一緒にいられましたから。産まれていたら、おばあちゃんやおじいちゃんとはあまり一緒に居られなかったですし。」
「たしかにね。迎えに来てくれてありがとう。これからはあなたとずっと一緒に居られるの?」
「どうでしょう?」
「あなたのお母さん、やれるかしら。もう一度。」
「それなら、お母さんが死んですぐに生まれ変わって大人になってもらわないと僕はお母さんの息子になれないみたいです。」
「休む暇ないみたいね。」
「僕は一応、水子という事になってますから。僕があの世にご案内するときに少し遠回りしましょうか」
「そんな事できるの?」
「お母さんと手を繋いで歩くのが夢なんです」
「あの世には歩いて行くもんじゃない?」
「歩くとは多少違う感じです。多分、僕は歩いた事がないからわからないのですが。」
「そう。杖が無くても歩けるかしら。」
「大丈夫ですよ。お母さんを支えますから歩き方教えてくださいね」
「嬉しいわ。あの世に行くのが楽しみになったわ」
「今までずっと待たせてごめんなさいね。さぁ、逝きましょうか。」
「お母さん」
「まずは抱きしめさせて頂戴。あなたの事、産んであげられなくてごめんなさい。迎えに来てくれてありがとう。あなたの事もちゃんと愛しているわ」
「ちゃんとわかってますよ。お母さんありがとう。僕はこれまでずっと見ていましたよ。」
ラインなんて面倒。
メールで十分じゃない?
なんか、写真とかいるし、名前も登録したやつになるから、フルネーム?名字?名前だけ?あだ名?
と、思ってから20年。
今ではラインがならない日はない。
広告だったり広告だったり広告だったり。
子育てしてる間こそ、ママ友や子供の部活やらで連絡のツールのいかんを発揮してくれた。
今となっては昔の新聞折り込みちらしのように広告を受け取るツール。
ラインごと消しても生活に問題ないと思う。
ママ友は所詮ママ友。
年賀状を送り合う程度の友達とさほど変わらなくなった。
それでもたまにラインのアイコンを眺めて、誰かの写真が変わったのをお便りのように見るため。
過去の友達の日常をチラリと見たいが為。
「お元気ですか?久しぶりにお会いしたいです。」
の一通のラインが送信できない。
筆不精という言葉を聞かなくなったけれど、ライン不精というのかな。
スーパーなんかでバッタリ知人に会えば
「久しぶり!今度お茶しよう!ラインするね」と、どちらともなく言う社交辞令。
仕事でもしたら違うのかな?とも思うけれど、今更、働いて友達作ろうとも思わない。
取り立てて誰かに相談しなきゃならない事もない。
ピコンとなったラインをみると、子供から写真が一通。
こういうのがあるからラインをやめられないのよね。