眠る時の呪文は「目が覚めませんように」
1日に何回も唱えているのになかなか叶ってくれなくて、目が覚めたら毎回泣きたくなるけど泣いていられない。
三人家族、夫と可愛い盛りの園児の娘。
それだけで十分だった。
幼稚園に入園した娘に倣ってパートも始めて忙しいながらも幸せだったんだと思う。その時はその時の不満はたくさんあったのに、今となってはあの頃が幸せの頂上だった。
義理の母が自損事故してから転がるように生活は一変。
近距離別居の夫の実家は我が家にあまり干渉もしないいい嫁姑関係だった。そう、「だった」の。
まだまだ若いと言われる60代の義理の父は仕事一筋な人で、夫は駆け出したばかりの若手の忙しさ。
そんな中での姑の事故。
車は廃車。今時信じられない事にシートベルトしてなかったらしくて、頭でフロントガラスに突っ込んだらしい。その時に首の神経触って半身不随とも言えないけれど動いたり動かなかったりする右手右足は利き手側。
姑が退院したばかりの頃は「これもリハビリ!」と家事を頑張っていたらしいけど、長く続くはずもなく、夫の実家からヘルプの連絡が増え、パート先に頭を下げて早退する事が増えた。
それならいっそと同居の話が出た時は、私の中に危険信号が点滅した。
夫と何度も話し合い、パートを辞めて手伝いには行く。
で、落ち着いたのは一瞬で、頭打ってた姑は手足どころではなく、今までと人が変わったようになった。
忘れっぽいなんて生優しいもんじゃなく、靴を履かずに出かける。財布を持たずにお買い物。帰り道がわからないからと新幹線に乗った事を笑って話せるのは舅と夫だけ。
頭下げるのも、迎えに行くのも私。
娘の延長保育に間に合わなくても2人とも「仕事」で娘がひとりぼっちでいる幼稚園に頭下げて泣いた娘を宥めるのも私。
この頃にはもう自分がおかしくなってたんだと思う。
同居する事にした。
娘だけはと転園したくないと言う娘のために片道30分の送り迎えとお弁当必須の幼稚園を続けさせている。
朝を何時というかわからないけれど、姑が朝と夜の区別がつかなくなったのは同居してすぐだった。
夜中にスーパーが開いていないと騒いで警察のお世話になった。
それから私は姑と一緒に寝るようになった。娘も一緒にと思ったが夜中に何度も起きてその度に宥めなければならない。娘が眠れないと思い、娘は隣の部屋で寝かせる事に。
それからは娘も夜中に何度か「トイレ」と言って私を起こすようになった。
この頃には夫も舅も頼る気持ちもなかったし所在不明な事が増えた。
たまに家にいる時は2人とも、「家事」を手伝ってくれた。
それは庭の草木の手入れや玄関前の掃き掃除。まとめたゴミをだしてくれたりもして、ご近所さんからは好評な舅と夫。
マダラボケの姑にケアマネさんまで同居で専業主婦の私と「家事担当の男性陣」がいるから施設はまだ早いと判断されてる。
もう、目を覚ます事なく眠りたい。
姑に処方されている睡眠薬を見る。
そろそろ薬も貯まった頃かな。
この日の為に、姑と夜中の散歩もしたし、娘のトイレも付き合った。姑はフリスクを薬だと思って飲んでた。
フリスク知らない世代で良かった。
舅と夫の浮気の証拠はさっき姑との散歩のついでにご近所のポストに投函した。
こうやって、一つ一つ思い出しながら、久しぶりのビールで睡眠薬を飲む。ウィスキーもある。舅のだけど。
次に眠ったら目が覚めませんようにって飲み込む。
娘が「トイレ」と言ってきた。
これが最後のお付き合いなら悪くないやと思う。
娘をベッドに連れて行って、
「ゆっくりお休み」って言う。
明日は日曜日。
私もゆっくり眠ろう。朝、目が覚めませんように。
朝、起こされるのは7時2分前。7時に起こすって約束なのに。
朝の貴重な2分を取られるのは我慢ならない。
だから、絶対7時には起きない。何度か来たら仕方なく起きてあげる。
朝ごはんはパンがいいって言ってるのにご飯の日もあるから頭にくる。
1日の始まりは気分良くいたいのに。
学校に行く準備していたら早く行けとばかりに「遅刻するよ!」って言われる。前髪に寝癖ついてるから仕方なくない?
遅刻なんて別にいいじゃん。誰に迷惑かけるわけじゃないし。
お昼になってお弁当箱開けたら、私の苦手なブロッコリー入ってる上に、フリカケにしてって言ったのに、ご飯の上に梅干しのってるし。
お弁当くらいは希望通りしてよ。まじムカつく。
学校終わって疲れて帰ってきたのに、「宿題ないの?」とか「制服ハンガーにかけろ」とか「弁当箱だして」とかうるさいし。
友達と大事な相談のライン中だから無視。
宿題してもしなくても迷惑かけないじゃん。
制服ぐらいハンガーかけてくれて良くない?
私疲れてるんだし。
弁当箱、テーブルに置いたじゃん。勝手に持ってって洗えばいいじゃん。
今日は体育もあったからお腹空いてるのに夜ご飯、いつもと同じ時間とかありえないでしょ。
しかも、今日はお肉の気分なのに焼き魚って。
バカにしてんじゃない?って思う。
お風呂早く入ってって言われても困るんだけど。
彼氏と電話で話す約束してるから無理無理。
じゃあ、最後に入るならお風呂洗えって?
なんで私がそんな事しなきゃいけないの。
それって親の仕事じゃん?
しかも、私が買ってきてって言ったシャンプーじゃないの買ってきてるし。もうボケたの?迷惑過ぎるんだけど。
しかもさ、早く寝ろって寝る時間まで疲れた顔して鬱陶しい。自分が疲れてるなら勝手に寝ればいいじゃん。ほっといてほしい。
夜は唯一の自分の時間なのに、何勝手に文句言ってるの?私若いからさ、体力あるんだよ。親の世代と同じ時間に寝なくたって平気なんだから。
もう知らないって言われたってこっちこそ知らんし。
なんで勝手に死んでるの?
朝起こしたりご飯用意したり親なら当たり前じゃない?
私の当たり前にあるべき生活返してよ。
とっぷりと日は暮れて、幼稚園や小学生くらいの子供だったらそろそろ布団に入って眠りにつく時間。
私は蛍光灯が眩しい塾の窓から自宅のある住宅地を眺める。そろそろ授業が終わりそうだ。
10年ほど前に新興住宅地として作られた住宅が段々畑の様に並ぶ家並み。
私も私の両親とあの家並みの一つに住んでいる。
駅までバスで七停ほど。ちょっと遠い。
だから家から駅を見ると遅い時間になっても煌々と灯りが見える。私のいる塾はその灯の中の一つ。
私の家はきっと灯りはついてない。
塾に通う前は私が留守番していたからついてたと思う。
家に居たから自分家の灯りがついてるところを外から見た事はない。
父も母も忙しい人で家にいる時間はほとんどない。
一人っ子な私はいつも留守番だったから、暇だしやる事ないしでダラダラとスマホ見たりゲームしたりしてた。
口煩く注意されない代わりに、成績は最底辺を這いずっていた。学校ではおバカキャラってほど陽キャにもなれず、今時、ヤンキーなんて見たことないから、そんな仲間もいない感じなんだけど、もうすぐ高校受験って事で塾に通う事になった。
私の成績にも無関心な両親だけど、塾に通いたいと言った時も何もいわず通わせてくれた。
将来の夢なんてないし、勉強は嫌い。
やらなくていいならやりたくないのが本音だけど、中卒で働けって言われても困るから高校行こうかなって思っただけなんだけど、家で勉強した事ないし無理で、塾。
塾に入って良かった事は、夜に1人で家に居なくていいって事。最初はゲームとかYouTubeとか見れないの嫌だなとか思ってたけど、慣れたら別になくてもいいかなって思うようになったし、学校以外の同級生と話するのも面白い。
だから結構、塾にいる時間が好き。
だから、塾が終わって暗い家に帰るバスが嫌い。
明るい所からどんどん暗いところに行く感じが嫌い。
ずっと人がいる明るいところにいたいのに。
もうすぐ授業が終わって、バスに乗る。
そしたら、私は家に着いて、電気をつける。
あの、暗い家並みの灯りの一つになる。
そしたら、誰か私の灯りを見てくれるのかな?
親の決めた人と結婚するのが私の役目。
女として産まれたのだから、夫に尽くし、子を産んで…
って育てられた無知だった頃が遠い昔のように感じる。
昭和の時代でも普通に恋愛婚が多かったらしいのに、なーんで親の言う事がフツウのイッパンジョウシキなんて思ってたのか不思議。
若かりし頃、親の決めた相手じゃないと結婚出来ないと、本気で思ってた自分をぶん殴りたい。
結婚するまでの腰掛けでついた受付嬢の仕事。
出会いました。一目惚れです。恋を初めて知りました。
名前も知らない会社の飛び込み営業の人。
貴方が何を話したか覚えていたかったなぁ。
私の頭の中は花が咲き乱れ、小鳥が囀り。
話していた内容を覚えていません。凄く残念。
何を話したかわからないけれども、貴方が私に背を向けて、帰って行く姿はしっかりと覚えております。
しばらくして、結婚相手が決まった私はつつがなく結婚しました。
結婚相手は親の同業他社の一番株だそうでした。
仕事に意欲的で、好青年。
いかにも私の親の好みそうな相手でした。
勤めを果たすべく、私は夫に尽くし子を産むべきでしたが、一度恋を知ってしまった私は結婚相手を受け入れられません。
しかしながら、諸葛、政略結婚。
子が出来るまでは…。と言い訳を作り今も受付に座っています。
若い子がどんどん入社してきて、今の部署は総務となってしまいましたが、貴方が来社するこの時期は、指導と称して受付におります。
貴方のお勤めになる会社と我が社はしっかりと協力関係にあると書類から知りました。
貴方の尽力が、御社を支える一つの要因だと思うと
胸が熱くなります。
一昨年前の貴方は少し肥えて丸くなりましたね。
去年は、髪の色に白が混じっていましたね。
今年はどんな貴方にお会いできますでしょうか。
私も歳をとりました。
イッパンテキにはおばちゃんです。
恋焦がれる気持ちは色褪せないまま、体は生娘のまま。
今年も貴方がいらっしゃると、頭の中は花咲き乱れ、小鳥が囀るのでしょうね。
心より貴方のご来社、お待ちしております。
俺の家は貧しくて、食うにも困る暮らしだが、幸せだった。
家は港の横にあるから、海に潜って魚を取れるし、行商の親父の手伝いで遠くまで出稼ぎに行ったら、お代をちょろまかして、ちょっとした小遣いだって作れた。
でもよぉ、俺は戦争には行けねぇんだわ。
まずは長男って事があった。そんでもって、海に入りすぎたのか、鼓膜が破れて無いらしくて耳が悪いらしい。
しかも、目がロンパリだからなかなか赤紙が貰えんで、友達が戦争に行くのを見送ってばかりだった。
近所の者は、俺に石投げたりした。
俺が中等教育終わる間際に戦争が終わった。
卒業したら働くもんだと思ってたら、ある日、家に先生がきた。どうやら俺は成績がいいらしい。どうにか高等学校に行かせてやれないかと、親父に話に来たらしい。
下の妹達を食わせてやらんとならんのに、無理だろうと思ってたんだが、なんやかんやで親父は俺を高等学校に行かせる事にした。
おかげで片道2時間の徒歩での通学が決まった。
俺の町ではまずお目にかからねぇ立派な外套きた同級生やら、入学の祝いと新しいカバンやら靴の者ばかりで驚いた。俺は下駄で2時間歩いて来たんだぞと。
しかしながら、高等学校の新しい同級生はどいつもこいつも人を疑わねぇ心根の綺麗な奴ばかりでな。
聞けば、医者やら議員やら金のある家の子供ばかりだった。
俺は貧乏だが、勉強はできる。
友達に教えてやったりもした。
友達は貧乏な俺を見下しもせず、かわいそうだとも言わなんだ。
しばらくして学生運動が活発になった。
俺たちも徒党をくんで参加した。
ある時、警察に捕まった。
俺は本当は上手いこと逃げたんだが、捕まったやつの家は名家だったから、代わりに俺が拘置所に入ってやった。俺は飯代もかからんし困る事もないからな。
そん時に、学生帽子を潰して被ってた事が気に入らない警官が俺の帽子のツバをチョキンとハサミで切りやがった。
拘置所から出て、また学校に行くと、ツバのない帽子を被る俺を友達が笑って、俺のあだ名は「チョッキン」になった。
俺たちが卒業したら、住む世界の違いからだんだんと疎遠になったが、どいつが言い出したか知らんが毎年同窓会をしようと。
その頃、俺は親父の後は継がんで国鉄に勤めとった。
毎年、どんどん出世していく友達に負けるもんかと一念発起して、国鉄をあっさり辞めて商売を始め、議員を目指した。
俺は金持ちは心根の綺麗なやつばかりだと勘違いしとったんだなぁ。
俺が選挙に出馬表明しに行く朝、俺は商売で騙されとった事を知った。そん時の借金は400万円。
もう、首括って死ぬしかねぇと思った。
でも、嫁も子供もおったから死に損ねる毎日でよ。
そんな時だ、あいつが六畳一間の我が家に来たのは。
あいつはこんな狭くて汚ねぇところに来るような人様じゃなくて、きっちり親の後継いで立派な会社を営んでよ。
俺と小一時間くだらねぇ昔話して帰って行きやがった。
それからあいつが高等学校の同級生に声かけてくれてよ、みんなで400万円もの大金集めてくれて、しっかり言ったんだ。
「借金返してこい。俺らに借金キッチリ返せ。ついでにチョッキンが同窓会の幹事だからな」
って。
それから俺はガムシャラに働いて、商売が上手く回るようになった。借金も返せたし、子供を大学まで行かせてやれた。
その間も毎年一度の同窓会は続いた。
何十年この同窓会を開いただろうか。
同窓会の参加者は少しづつ減ってって、皆が88になる年に、コレで終いにしようと決めた。
後は、みんなあの世で同窓会でいいじゃないか。
みんな精一杯生きたから、話は尽きる事ないだろ?