いつ死んじゃうか分からない。
いつ死んだって構わない。
僕が子供の頃、祖父母はよく上の言葉を口にした。
大学に入ってからは、下の言葉が多くなった。
大学2年の夏に祖父は死んだ。
そして今、祖母も天国へ旅に出ようとしている。
きっと僕が大人になって安心したんだろうね。
さよなら。
死に際だけ寂しがるなんて酷いぢゃないか。
元気なうちはぢゃまものあつかい。
元気がない時だけは優しく振舞ってご機嫌取り。
失いかけて漸く気付くなんて、遅いぢゃないか。
元気な時には仲良く過し
病の時は、必死に励ます
そういうやうな日常こそが至上の幸福であるといふことをりかいして生きるたいものだ。
ずっと大好きだった祖母。
去り際は笑顔で見送る。
死。
別れを惜しむより、感謝と旅立ちの無事を願って。
一礼。
さらば。親愛なる祖母。
そして、もう1人の母よ。
祖父の威厳と祖母の愛情、
両親から受け継いだ勤勉さと期待を以て我と成す。
家族との別れは、心の分裂に等しい。
故に、大事に育て、手放さぬよう日々、
嘗て記憶に思いを馳せたい。
それこそが、自分を生きるといふことである。
Adoさんの逆光を否が応でも思い浮かべてしまう。
なら僕が書く必要は無い。
僕が描きたいのは、言葉にできない想い。
皆が見たことが無いもの、考えたことが無いもの。
だけど心のどこかにあるもの。
言葉を見た瞬間に何かがイメージされるなら、それ以上を作ろうとしても、たとて作れたとしても決して評価されない。
なぜなら人は有名である事を喜び迎合するから。
多分、僕に創作をする資格は無い。
「逆光」より。
正直者が僕を見る。
哲学者が僕を見る。
ミステリアスが僕を見る。
美的感性が僕を見る。
精霊が僕を見る。
慰めが僕を見る。
最高傑作が僕を見る。
「子猫」より
深夜1時。
置き去りにされたタバコをふかしながら
缶ビールをあおる。
カーテンの隙間から漏れ出る信号機の色が混じりあってサイケデリックみたい。
ヒビ割れたスマートフォン。
真っさらのトーク画面に一言。
「くたばれ」
最後の一本は湿気って火がつかなかった。
酔っていた自分が気持ち悪い。
吐き気がする。
『カーテン』より