高揚
聖光教会の本拠地・ガルシア大修道院に併設された教会騎士団の生活棟。
俺は騎士団の中では、教会では執行官と呼ばれる幹部の立場にある。気がついたら手に入っていた地位だが、さして興味は無い。
「ねぇ、ヴァシリー」
「何だ」
「今日は稽古つけてくれないの?」
俺の部屋で、近くにあった椅子に座り不思議そうに首を傾げる赤い髪の娘。名前はミル。数年前に、戦地として赴いた街で死にかけていた娘。いつもなら弱い者は捨て置くが、何を思ったのか俺は今日まで、この娘の面倒を見ている。
しかし、今ではこの娘を拾って正解だったと思うことがある。
「お前は、したいのか?」
「もちろん。この前みたいに怪我して、ヴァシリーに怒られるのも嫌だし」
拗ねたように口を尖らせながら、ミルはそう言った。この前……というのは、先日の反逆者掃討の時のことだろう。こいつは右腕を怪我していたのにも関わらず、戦いを続けようとした。それを俺が止めたことにより懲りたらしい。
(……事実を述べたまでだが)
それをどうやら、俺に怒られたと判断したようだ。何も言わない俺にミルは「それと」と続ける。
「早く強くなって、ヴァシリーの隣に立てるようになりたい」
「……俺の隣に?」
「うん。だって、ヴァシリーは今までの執行官の中で一番強いんでしょう?なら、それに並び立てるようになれば、私がヴァシリーを支えられるようになる」
(それが本当に出来ると思っているのか?)
俺の思っていることなど露知らず、ミルはどうかな?と笑う。
(しかし……ミルの言ったことが現実になったなら、それはそれで面白いのかもしれん)
思わず口元に笑みが浮かぶと、ミルは怪訝そうな顔で聞いてくる。
「何で笑っているの?」
「いや、なかなか面白いことを言うと思っただけだ。俺の隣に立つ……か。なら、その為には俺から一本取れ。来い。訓練場に行くぞ」
「!分かった!」
訓練場に着き、俺はミルと向かい合う。俺の両手には銀のレイピア。ミルはその手に短剣を握っている。
俺は正面から戦うのを得意とし、ミルはその小柄な身体を活かした奇襲を得意としていた。これまでに手合わせを何度かしたから分かる。この娘は暗殺者としての才能が少なからずある。
故に正面からの力のぶつかり合いは当然ミルには向かない。が、訓練時にはこいつは敢えてそれを望むのだ。
(だから、こいつの面倒を見るのかもしれんな)
これから始まる戦いに気分が高揚する。自然と口元に笑みが浮かんでいた。対してミルは無表情で此方を見据えている。
「来い」
「っ!」
ミルは姿勢を低くし、一気に地を蹴る。そして、俺の喉元を狙った正確な一突きを放った。俺はその突きを片方のレイピアで弾く。が、ミルは弾かれた反動を利用して、俺の腹部に蹴りを叩き込んだ。俺が少し怯んだ隙に、娘は一度俺から距離を取る。
「どうした?その程度か?」
「………」
ミルは再度地を蹴ると、今度は俺の腹部を狙った一突きを繰り出す。当然それは俺のレイピアに阻まれる。が、空っぽだったミルの左手に鈍く光る何かがあった。
「……急所が狙えないなら、こうするだけ」
その手には短剣。そして、それは俺の左太腿を貫く。血が流れ、身体が傾いた。
(得物を隠し持っていたか。面白い)
「だが、至近距離で敵を仕留められないなら、返り討ちに遭うぞ?」
俺は笑いながら、ミルの両側からレイピアを振るう。片方は首を薙ぐように、もう片方は腹部を貫くように。
(俺の動きはさぞわかりやすいだろう。さぁ、どうする?)
「………」
ミルは腹部を狙った剣撃を短剣で受け流し、もう片方は姿勢を低くすることで回避した。
獲物の喉元に食らいつく獣のように、ミルは低い姿勢から短剣を鋭く繰り出す。
(この感覚を待っていた)
明確な殺意を持った目。間近に迫る死の気配。そして、この手で相手を殺せるという確信。その感覚が、俺の気分を高揚させる。今、この瞬間がとても愉しいと感じる。
次にはミルの短剣は俺の喉元に。俺のレイピアはミルの首筋にあった。僅かに刃が触れたのか、ミルの細い首筋に赤い線が走る。俺の喉元からも何かが伝う気配がした。
「……引き分け、だね」
「ああ、そうだな」
互いに武器を下ろす。すぐにミルは「ごめんなさい」と言った。
「何故謝る?」
「あなたに怪我をさせたから」
「左太腿なら大したことない。止血すれば、すぐ良くなる」
「なら、早く戻ろうよ。ね?」
「……」
先の高揚はもう無い。心配そうな顔をするミルの手に引かれ、訓練場を後にする。
「ミル」
「?」
「さっきお前の言っていたことは、もしかするとそう遠くない日に叶うやもしれん」
それは俺からすれば何でもない一言なのに、ミルは嬉しそうに笑うのだった。
手当
どれほどの時間が過ぎたのだろうか。この大陸に深く信仰されている聖光教会の教えに背く者たちの根城に踏み込んでから。
俺の足元には今し方斬り捨てた反逆者たちの死体が山のように折り重なっている。少し遠くで銃声が聞こえるから、彼方はまだ交戦中なのだろう。
「………」
本来なら救援に向かうべきなのだろうが、俺は足を運ぶことはしなかった。理由は気が向かない、それだけだ。
「ヴァシリー」
その声に振り返ると、俺と同じように敵の返り血で真っ赤に染まったミルの姿があった。娘には怪我一つ……いや、右腕から出血している。
「……怪我、してるな」
「少しだけね。大したものじゃないよ」
あっけらかんとした様子のミルに俺は息を吐く。彼女は不思議そうに首を傾げていたが、そんなことはいい。俺は娘の手を掴み、近くの部屋に入る。
そこは交戦した痕跡が無い客室の一つ。ミルを椅子に座らせ、衣服をずらす。腕には白い肌を切り裂く、痛々しい裂傷があった。絶えず血が溢れ、古い血は傷口で黒く変色しこびりついている。
「これの何処が少しだというのだ?何かの拍子で腕が動かなくなったら、どうするつもりだ?」
「……痛くはないもの」
似た言葉を繰り返すミルに俺はため息を吐き、近くの引き出しから処置に使えそうな白い布を取り出す。それから持っていた水をミルの傷口にかけた後、その白い布で傷口を拭う。すると、痛むのか娘は僅かに顔を顰めた。
「例え痛くなくても、処置は施せ。放っておけば細菌が入り、腕を切り落とすことになるぞ」
「……分かった。ごめんなさい」
素直に謝るミルの腕に処置を施し、最後に包帯できつく巻く。処置を終わらせた後、俺はミルを抱き上げ、ミルが座っていた椅子に腰掛ける。
「少し休む」
「でも、まだ皆が……」
「その状態で戦うか?今度こそ無事で済まんぞ」
「………」
大人しく俺にもたれかかったミルに軽く笑みを溢す。しばらくして娘から寝息が聞こえてきた。
(……俺らしくも無い)
今までは誰が傷つこうと気にしたことはなかった。だが、こいつは……出先で路頭に迷っていたこの娘だけは、どうにも俺の気を揉ませる。
俺はミルのこめかみにそっと口づけた。
「……俺はお前が勝手にいなくなることを許さない。いなくなるなら、その前に俺の手で殺してやる」
小声で呟いたは夢の中のミルには届かないだろう。この感情が一体何なのかは分からない。が、自然と悪い気はしなかった。
日々紡ぐ
ある日の昼下がり。屋敷の中庭に置かれたベンチに一人私は座っていた。私の手の中には、彼から贈られた本。何度も読み返して、本の縁はすっかり擦れていた、
「レグルスと結婚して、もう五年になるのね」
五年前に、政略結婚から始まったこの生活で、夫となるレグルスと上手くいくのかすごく不安だった。
実際、レグルスは仕事の都合でよく屋敷を空けることが多かった。レグルスとお話し出来る時なんて本当に僅かで、食事の席も彼はなるべく一緒になれるよう配慮してくれた。
私はそれだけでレグルスの愛情を感じることができた。でも、レグルスは不安に思ったのか、初めは洋服、本、レコードといったものをとにかく贈ってきてくれた。その数があまりにも多かったから、私はある日、執務室にいた彼にこう言った。
「レグルス!贈り物で私の気を引くぐらいなら、その貴重な時間を私にもらえる!?私、レグルスのことをもっと知りたいの!」
彼は仕事中で、突然現れた私に呆気に取られていた。ハッと我に返った私が慌てて謝ると、彼は声をあげて笑った。
「ふふ、あははっ。確かにそうだ。お前が寂しい思いをしないようにとあれこれ用意したが……そうか。お前は俺との時間が欲しかったんだな。すまなかった。これからは気をつけよう」
彼は気分を害するわけでもなくそう言ってくれた。恥ずかしくて、穴があったら入りたいくらいだった。でも、彼は笑って許してくれたのだ。
「グラシア」
五年前のことを振り返っていた私に聞き慣れた優しい声が呼びかける。その声の方向へ振り返ると、レグルスがこちらへと歩いてきていた。
「おかえりなさい、レグルス」
「ああ、ただいま。グラシア。お前にこれを」
見ると、彼の手には一輪の白薔薇が。彼は結婚した後、私と約束するために毎年こうして白薔薇を贈ってくれる。
「この先もお前のことを慈しみ、守り、愛することを約束する。だから、お前もこの先ずっと俺の隣にいて、笑ってくれると嬉しい」
私はその白い薔薇を受け取って、こう返事をする。
「ええ。私も約束する。この先もずっとあなただけを愛しています」
私たちは笑い合って、それからどちらからともなく口づけを交わす。
今までの日々の中で、あなたはいつも私のことを想ってくれた。それは私も同じ。あなたの側にありたいと常に願っている。
この先もずっとあなただけを想い、愛しているわ。
冬空の星
吐いた息が白くなるような寒い夜。
彼女はマフラーに埋めたその鼻を赤くしながら、目を輝かせて夜空を見上げていた。
「やっぱり冬の星は綺麗ね!」
幼子のようにはしゃいだ声をあげる彼女の手をそっと握る。手袋をしていないその手は氷のように冷たかった。
「手袋はどうした?」
「家に忘れた……」
「………」
誤魔化すように笑った彼女の右手を繋いだまま、その手をコートのポケットにいれる。驚いたように息を呑む彼女に俺は目を向けないままで呟く。
「帰るぞ。風邪をひかれたら、困る。星の観察は家でも出来るだろう?」
「あははっ。それもそうだね」
俺と彼女は訪れていた公園を後にする。
「着いたらラテを用意しよう。砂糖とミルクはたっぷりだな?」
「うん!君の作るラテは甘くて美味しいから、好きだなぁ〜」
「ふふ。そうか。今度は、あたたかい春に星を見にこようか」
「そうしよう!でも、冷えるかもしれないから温かい飲み物も用意しようよ」
「そうだな。今から考えるだけで楽しみだ」
「そうだね〜。君と一緒なら何をしても楽しいよ」
彼女の無垢な笑顔に、俺も釣られて微笑んだ。繋いだ手はそのままに俺たちはゆっくりと家路を歩く。
明日も、その次も、ずっと彼女と共にいられることを願いながら。