沁み圖書房

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10/29/2023, 1:52:25 PM

もう一つの物語

もう一つの物語って聞くと、今この文章を書いている自分と同じ世界で、別の自分がもう1つの人生を歩んでいるドッペルゲンガーとか、違う選択肢を選んだ自分が、別の人生を歩んでいるパラレルパーワールドとか、全く違う世界で自分と違う人生を、今文章を書いている自分が歩んでいる異世界転生とか、いろんなパターンのもう一つの物語が、空想上でやっぱりもしかしてあるかもしれないって視点で描かれることが多い、と思う。

確かにそんな特別で特異な現象に巻き込まれるんだったら、と気持ちを寄せてしまうこともわかるけど、そんな大層な視点でなくても、もう一つの物語が、自分のそばに、気づけないほど小さいけれど、ちゃんと存在している。

あの時、君を選ぶ選択をしていたら、きっと私達はもっと仲良く出来ていたのかなとか、気軽に友達に戻れたのかななど、最近君と親しくなった季節が近いから、ふと考えてしまう。

クリスマスは会えないけどと言って、街中を彩るツリーが無くならないうちに食事に誘ってくれた君と、面と向かって話すことは、もしかしてないのかもしれない。

ないことが、今ちょっと寂しいと感じるのは、秋が本格的にぬくもりを恋しくさせているせいなのだと思い込むことにしている。
そうしないと、もう一つの物語があったかもしれないと考えてしまうからで、それはきっと、今ある私の選択を、間違ったと考えていることになるからだ。

人は他人を思いやり、自分を大切に、悦を感じて、生きていくことが健康的であるというのが私の価値観だから、間違えて、寂しくて、もしもって想う、ありそうでなかった未来の選択肢は、もう一つの物語として美しいまま、夢に溶かして、秋のぬくもりを、今隣にいてくれる人と分け合うことが、私にとっての、もう一つの物語なのだろう。

でも、やっぱり君のことはずっと尊敬しているから、
生きているうちに、少し成長した私で、笑顔を交わしたいと思うよ。

10/25/2023, 3:15:13 AM

行かないで。

あの時ほどそう強く思ったことはない。今でも、ずっと、ずっと気持ちは変わらない。
それでも引き止めることは出来なかったし、もっと出来ることがあったと後悔は変わらない。

その子は小さい足を精一杯動かしながらキャンキャンとよく吠えていた。
我が家に来た頃は、私の足に噛みつくから、小さいその子が怖かったのを今でも思い出す。

ふわふわで小さくて、どこを触っても温かくて、
頭からこぼれ落ちるのではないかと思うほど耳が大きくて、目がくりくりしていて光が射すと美しくキラキラしていた子犬は、
我が家に来た時名前が決まらず、頭に句読点模様があったこともあって「てんちゃん(仮)」と呼ばれていた。

しかしてんちゃんと呼んでも反応が無いので、定着してしまう前にと改名され、我が家のアイドル「りんこ」が誕生した。
りんちゃん、りんちゃんと呼ぶと顔を向けてニコニコしてくれる様子が、本当に可愛らしかった。

りんちゃんとの生活はあっという間に時間が流れていってしまった。
何度も失敗して、たくさんかわいそうななことをしてしまった。
もっと散歩に、もっと撫でてあげれば、もっと食べたいだけおやつをあげられていたら、お風呂も少なかったかもしれない。
何よりもっと写真や動画を撮っていたらと思う。

持病が悪化し徐々に具合が悪くなるりんちゃんの様子を見守るのは、生きた心地がしなかった。
仕事をしていても心配で何も手につかない。

行かないでほしかった、なにか出来たことがあったのではないか。
でも苦しむ姿もいたたまれなく、大好きだよとひたすら声を掛けた。

りんちゃんがいた時間に戻れるのならと想う時、たまに夢に姿を見せてくれる。
夢から目が醒めると、心の中が温かさで満たされている。
どこを触っても温かくてふわふわで、頭を撫でると撫でているのとは反対の手を、舐め回されていたことを思い出す。

人の気持ちがわかる聡明な子だったから、きっと不甲斐ない私を心配してくれているのだろう。

今でも行かないでと願ってしまってごめんね。
そっちでは元気に走り回っているのだろうか。いつかまた会えるように、もう少しこっちで頑張るね。

10/18/2023, 6:18:51 PM

秋晴れ

私は夏が大好きだ。
朝から肌を焦がす太陽の熱、外に出た瞬間から体温と空気の境界が無くなり溶けていく感覚。海や、水や、青色が恋しく、白いワンピースが流行る季節。
強い日差しは植物の輪郭をくっきりさせる。

桜を愛でる時間が過ぎ去り、上着一枚必要だった空気の冷たさも、徐々に湿気を含みながら雨とともに眩しい夏を連れてくる。
ただ、夏はあっという間に訪れて、気づいた時には過ぎ去ってしまうのだ。

スイカを食べ、暑さにうだり、蝉の声とともに目覚め、夏野菜を楽しむと、たった1ヶ月で命の母である雄大な海は、人が足を踏み入れられない姿に変わる。
そうして私は、恋い焦がれた夏の訪れと、過ぎ去る姿を横目に汗を流し、あっという間に終わった夏に気づいた。

大気が荒れ狂う9月、昨年は肌寒さを感じたが、今年はまだまだ夏が影から顔を出していた。
半袖で街中を歩く人が多く、私も例外ではなく、その群れの中に交ざっていた。
世間では秋をうたい、温かい食べ物が巷に溢れる。
焼き芋の香りはお腹が空いていなくても、つい手に取ってしまう魔法の匂いだなといつも思う。

昼間は、熱を孕んだコンクリートが湯だって見える。残暑にも関わらず、犬の散歩へ行くにはまだ早い。
夜は、暑さが風で冷えて、ぬるく沸かしたお風呂にゆっくり浸かっているようで心地よい。

この、夏と秋の堺が曖昧な夜に散歩をすると、自分が唐突に物語を語り始める主人公になったような気分になる。
日常と違った不思議な事が起こるかもしれない、わくわくした子供のような気持ちで歩を進める。
カナカナと鳴くひぐらしが、どこか寂しさを感じさせた。

夏はまだ終わっていないと言わんばかりに、僅かな力を振り絞り、木々の隙間から日を照らしていたが、9月も終わりに近づくにつれ、空の色が変わっていった。
強く濃く青くあった空は、からっと薄く、対称的だった白と混ざりあっている。

焼き芋の匂い、温かな鍋特集記事が並ぶ雑誌コーナー、酸素を多く含んだ空気の匂いで、やっと秋が来たのだと感じる。
季節が変わったから私もリセットしようと胸にしまった決意を、後ろから秋がそっと背中を押してくれた。

犬を連れた人が増え、深呼吸すると涼しい空気が肺に入る。
空気の匂いを感じ、木々は黄色く葉を枯らし、秋を受け入れ始めたのだった。