沁み圖書房

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行かないで。

あの時ほどそう強く思ったことはない。今でも、ずっと、ずっと気持ちは変わらない。
それでも引き止めることは出来なかったし、もっと出来ることがあったと後悔は変わらない。

その子は小さい足を精一杯動かしながらキャンキャンとよく吠えていた。
我が家に来た頃は、私の足に噛みつくから、小さいその子が怖かったのを今でも思い出す。

ふわふわで小さくて、どこを触っても温かくて、
頭からこぼれ落ちるのではないかと思うほど耳が大きくて、目がくりくりしていて光が射すと美しくキラキラしていた子犬は、
我が家に来た時名前が決まらず、頭に句読点模様があったこともあって「てんちゃん(仮)」と呼ばれていた。

しかしてんちゃんと呼んでも反応が無いので、定着してしまう前にと改名され、我が家のアイドル「りんこ」が誕生した。
りんちゃん、りんちゃんと呼ぶと顔を向けてニコニコしてくれる様子が、本当に可愛らしかった。

りんちゃんとの生活はあっという間に時間が流れていってしまった。
何度も失敗して、たくさんかわいそうななことをしてしまった。
もっと散歩に、もっと撫でてあげれば、もっと食べたいだけおやつをあげられていたら、お風呂も少なかったかもしれない。
何よりもっと写真や動画を撮っていたらと思う。

持病が悪化し徐々に具合が悪くなるりんちゃんの様子を見守るのは、生きた心地がしなかった。
仕事をしていても心配で何も手につかない。

行かないでほしかった、なにか出来たことがあったのではないか。
でも苦しむ姿もいたたまれなく、大好きだよとひたすら声を掛けた。

りんちゃんがいた時間に戻れるのならと想う時、たまに夢に姿を見せてくれる。
夢から目が醒めると、心の中が温かさで満たされている。
どこを触っても温かくてふわふわで、頭を撫でると撫でているのとは反対の手を、舐め回されていたことを思い出す。

人の気持ちがわかる聡明な子だったから、きっと不甲斐ない私を心配してくれているのだろう。

今でも行かないでと願ってしまってごめんね。
そっちでは元気に走り回っているのだろうか。いつかまた会えるように、もう少しこっちで頑張るね。

10/25/2023, 3:15:13 AM