hashiba

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7/1/2024, 5:49:41 AM

自分が置かれている状況を「しがらみ」と表してしまうと、係る言葉に「断つ」が連想されてよろしくない。断たないという選択がまるで不本意なもののように思われかねないからだ。傍から見れば理不尽であっても、自分にとって憎い相手など一人もいなかった。言い換えれば断捨離の失敗、でもある。何も捨てられないままこの歳まで来て今更、全てを捨ててでも結ばれたい相手と出会った。愚かで浅はかだとわかっていても、手放すことはついにできなかった。縋りついて胸の中で懺悔すれば、その相手はまるで「知ってた」と言わんばかりにため息をつく。自分の背中、心臓の裏から突き出た無数の線を指先が恭しくなぞる。たった一本垂らされた糸があまりに頑強で、そうして大人しく抱かれている以外何もできなかった。


(題:赤い糸)

6/28/2024, 10:27:31 AM

少し変わった部分はあるが、基本的には良識と理性を備えた人格者である。見た目も世間一般には良い部類に入るらしい。そんな人がこの歳まで独りでいたのには、相応の理由がある。承知の上で告白に乗った。こっちもいい歳をして独り。失うものも少なく、泥舟に乗るにはちょうど良かった。そうやって助手席を陣取っても未だに、この人を望む誰かが周囲にいる。やわなくせに無駄に絢爛で目を引くのだ。舟はこの人の向く方へしか進まない。立ちはだかるものたちを想定し、心の中で銃を磨く。この人が選んだのは自分。どこへ行きどこで沈むにせよ、その事実だけは否定させる気などなかった。


(題:ここではないどこか)

6/26/2024, 7:20:44 AM

生命力がとても強く、人に依存する必要がない。掘り起こせない地下深く、こちらの届かない場所までその根は伸びる。水がなくなれば枯れる前に首を落とし、違う根の先で枝葉をつけてまた花を咲かせる。彼が自分の傍にいるのは、特別に手を掛け仕向けた結果でしかなかった。一度、どこにも行かないように頼んだことがある。いつまで続くと知らぬ関係、時々は不安になるのだ。しばらく目を白黒させたあと「どこかに行きそうに見えるのか」と不思議そうに首を傾げていた。素知らぬ顔で今日も隣で美しく咲き誇り、温い風にふわふわと揺れる。あの言葉を額面通りに受け取るには、自分はこの花に入れ込みすぎてしまっていた。


(題:繊細な花)

6/15/2024, 7:37:37 AM

晴れていると聞けば傘を持たずに外へ出る。普通のことだ。自分も以前はそうしていた。しかしこの頃、日が差すなかでよく雨が降る。いつどこでそれが訪れるかいまだに予測がつかない。この人と付き合い始めてからだ。些細なことで喜んで舞い上がって、決まってぼたぼたと涙を流す。すぐ隣で急速に雨雲が発達。自分と一緒の世界はどうやら気候が相当不安定らしい。だから備えをする。晴れているのに傘を差すのも妙な話だから、水滴を拭うハンカチ。本音を言えばこの身に直接降らせても別に構わないのだけど、照れくさいからバレるまでは黙っていようと思う。


(題:あいまいな空)

6/13/2024, 7:45:12 AM

食べ物は選り好みせず何でもよく食べる。好きな映画やら本やら音楽やら、そういう話もほとんどしない。他人のことは基本的にあまり好きではなさそうだが、彼も立派な大人でありわざわざ口にすることはない。思ったことがすぐ顔に出るわりに、直裁な感情だけは頑なにひた隠す。彼はそういう人だった。だからこそ自分はひどくのめり込んでしまった。彼から「好き」という言葉を聞いたのは、告白したあのときが初めてだったのだ。


(題:好き嫌い)

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