夜中に目を覚ますと、彼が床に落ちていた。ひとつのベッドで寝たのはいいが、思った以上に寝相が悪い。しかもそのまま寝続けているからある意味大したものだ。起きて戻って、このままでは体を痛める。まだ覚醒しない彼に声をかけ、放り出された両手を取ってやる。薄ぼんやりと目を開けると、大人しく縋って体を預けてくるからまるで子供のようだ。やれやれと再びベッドに彼を転がし自分も横に潜り込むと、おもむろにその手がこちらへと伸ばされた。頭を胸元に抱き抱えられ、おまけに優しく背中をとんとんと叩かれて思わず噴き出してしまう。自分のことを何だと思っているのか。言ったところでもう聞こえていない様子。それでもあやされてしまうとどうにも心地良く、そのまま本当に子供のように寝こけてしまった。
(題:子供のままで)
言いたいことはちゃんと自分で、相手に届く声で言うように。そう自分に説教したのはこの人だ。言わなければ伝わらない、伝わらないから誤解とすれ違いで崩壊する。身に覚えはある。この人との関係は崩れてしまうと困るから、なるべく努力はしたいのだ。けれど、いざ恋人関係になってみたらどうだ。どんな小声でも聞き逃さず、言い捨てようとしても捕まえられる。パーソナルスペースがぶっ壊れているのだ。逆に秘匿する努力が必要になっているが、この人はそんなことお構いなし。迫る夜を前にため息をつく。嫌ではないが、ひたすらに恥ずかしい。また言わされるし、啼かされる。
(題:愛を叫ぶ。)
酒が入った席の後に誘い、誘われるがまま一人でふらふらとやってきたのが彼との最初だった。誘っておいて言うことではないが、あまりにも簡単に掛かったから少し心配したものだ。それはある意味杞憂だった。この家で自由に過ごしながらも、常にこちらのことを見ているのだ。少しでも隙を、あるいは牙を見せれば蹴飛ばしてでも出て行きそうな、そんな気配がいつも彼にある。ひらひらとした翅の下に針が仕込まれている。気づいた瞬間、刺し貫かれてでも手の中に収めたいと思った。だから逃げられぬよう、慎重に。口実をいくつも拵えて通話をタップする。今宵もこの家に蝶を呼ぶ。
(題:モンシロチョウ)
その人は一言「長生きしたいから」と呟いた。確か、最近食べる物や量を気にしているという話からだ。横目に顔を見ようとしたが、表情は窺い知れなかった。お互い若くはないが、老い先短いというにはまだ早い。仮にこの人が突然いなくなったとして、自分はそこからあと数十年ほど生きる必要がある。あと数十年、ありもしないこの人の影を追いながら生きるのは確かに御免だ。今更残りの人生を自由でいられる気もしないから、元気で長生きしてくれれば本当に助かる。さっきから横から飛んできている、だからあなたも気をつかうようにいつも食べすぎ今日はそのへんにしなさい等々怒涛の説教を聞き流しながらそんなことを考えていた。
(題:忘れられない、いつまでも。)
初夏だというのに今夜は冷える。洗って仕舞い込んだはずのブランケットを引っ張り出し、包まれてソファでごろ寝する彼を見てそれを実感する。去年の今頃もこんな日があっただろうか。彼の横に腰を下ろし、ついでにその頭を膝の上に乗せてみる。何事かと訝しげに見上げたが、すぐに顔を戻してまた寝始める。ゆっくりと撫でながらつらつら考える。一年前の自分に言ってもおそらく信じないだろう。好いた相手とこんなふうに過ごしているだなんて。これからも一緒にいられますように、そう願いながらつむじをぐりぐりと押したらさすがに嫌がられた。
(題:一年後)