蝉助

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5/21/2024, 11:28:25 PM

透明なカゴの中に入っている。
透明なので触れも感じもできないが、そこには確かに境界線がある。
世界はそれで覆われている。
なんのため?
……。


「なんの為だと思う?」
「知らんです。」
無関心そうに朔真はコーヒーを啜った。
「んー……どうしてあるんだろう。」
クルクルと椅子を回転させ、もうお手上げだと言わんばかりに未来は手を上げた。
彼は新しい短編小説に向けて執筆作業に勤しんでいる。
さっそく数行を書いてみたが、どうにもしっくりこないようで、昨日今日のようにこちらの部屋へやってくる朔真に尋ねてみた。
しかし朔真その話題にそれほど興味がない。
完全に行き詰まったと、未来はため息をついた。
「透明なカゴ……そんなのないんじゃないの。」
「いやあるよ。」

5/18/2024, 5:03:14 AM

眠れない夜は存外嫌いじゃない。
1時間くらいベッドの上でごろごろして、それでも瞼が重くならなければ不思議と口角が上がる。
ああ、彼がやってくるんだなと。
俺は毛布を蹴って起き上がり、部屋の窓を開けた。
こういう日はいつも空が綺麗だ。
黒じゃない、深い紺色が月と星とを閉じ込めている。
窓縁へ足をかけ、下を見ないよう努めながらゆっくりと立ち上がり、家の外壁の取っ掛かりに手を伸ばした。
うちの家は構造上、俺の部屋から屋根へ上がることができる。
もう慣れてしまった手つきで体を持ち上げ、古びた瓦屋根へ裸足をつけると冷たくて心地好い。
そしてもう一度空を見た。
満月一歩手前の夜であることに気が付いた。
1番綺麗に映るあの星は、もう死んでいるのかなと遠い宇宙へ思いを馳せながら、緩やかな風の流れを薄い寝間着越しに感じる。
そんなオルゴールのように柔く過ぎゆく時の中、空間が歪む音が聞こえた。
多分、誰も聞いたことがない感じの音。
俺だけ知っているということにちょっと愉悦感だ。
ほら、今日も来た。
「久しぶり、フルムラさん。」
車掌のような制服を来た男、帽子を深く被っているせいで顔はあまり見えないが、体格や話し方から、多分俺の数個上くらい。
でも人じゃない。
夜の空を裂いて現れる存在を人間とは呼ばない。
「久しぶりだね、繰磨くん。」
落ち着いた声で俺の名前を呼んだ。
ふわりと屋根へ着地すると、すぐ隣に座る。
「まったく、主人の気まぐれにはうんざりだ。休みがほしいと言ったのにちっとも聞き入れてくれない。」
フルムラさんが項垂れた。
彼はどこかで従者をやっているらしい。
以前に主人の名前を尋ねたけど、人間の舌では発音できなかった。
そう考えるとフルムラさんの日本語も板についてきたなと思う。
「とはいえ今日もいい夜だ。見ているだけで少し心が安らぐよ。」
「絶品だね。」
「ああ、主人もきっと満足する。」
割れた空間の裂け目からカメラのようなものを取り出す。
つまみを回して何かを調整し、眩しさを持つ月を中心に夜を映した。
これもフルムラさんから聞いた話だが、主人の主食は景色らしい。
美しいもの、奇怪なもの……その他の何か心が奪われるようなものほど美味で、栄養素が高い。
だから従者であるフルムラさんは様々な場所を巡ってはそれぞれの景色をこのカメラに保管し、屋敷へ持ち帰らなければならない。
「地球の夜はデザートに丁度いいよ。さっぱりして甘いけどしつこくなくて、肥満気味の主人には特に。」
「果物みたいな?」
「果物ってなんだっけ。」
俺は身振り手振りでリンゴとバナナを表現した。
フルムラさんは思い出したかのように何か単語を発したが、それもやっぱり聞き取れなかった。
「この世界の食べ物って面白いよね。誰でもほとんど同じもの食べられるんだから。」
「そっちの世界は違うの?」
静かに首を横に振っていた。
「主人は景色を食べるけど、うちのメイドは基本的に鼓動が好きだよ。あとは曇りが主食の奴もいるし、繰磨くんみたいに果物食べることもある。」
「へえ。」
それがどういう意味なのか完全には理解できないが、多分フルムラさんが母国語を日本語にする過程で齟齬ができてしまっているのだろう。
あちらの世界にベッドはない。
寝る時はまた別の方法を使うらしい。
そういう感じで、多分全く同じ意味を持つ単語というもの自体がそもそも少ないのだ。
だから互いの話は小説を読むように受け止めようと決めた。
小説さえきちんと伝わっているのか分からないけど。
「じゃあ、そっちでは食事の時ってどうしてるの。別々?」
「大抵はそう。そもそも明確な食事の時間を取らないことも多いね。いつの間にか食べ終わってるみたいな。」
「ふうん……。」
そこで1つまた疑問が湧いた。
「そういえば、フルムラさんの主食ってなんなの。」


〈繰磨〉
高校生。普遍な青年だが

4/25/2024, 10:26:33 AM

「星を見に行こう。」
ジルが提案する。
唐突なことだった。
しかし彼がすることはいつも唐突なので、それを咎める者はもうこの組織にはいない。
「どこへ?」
興味を持たない声色でルクスが尋ねる。
彼は机を挟んでジャックと今週の報酬金15%を賭け勝負をしている最中で、ジルの話を本気で聞くのは毛頭ない。
すべて分かっているように駒を動かすと、ジャックの方が小さく唸った。
しかしジルは続けた。
「この街の海手側にある丘だよ。前の依頼人が言ってた、赤い星が見えるって噂の場所。」
「はあ?お前、そんな話信じてるの?」
そう呆れ声を上げたのはレイチェルで、訝しむように瞼を歪めては

4/25/2024, 7:41:17 AM

「今からカレーを美味しく作る術を伝授します。」
エプロンを付けた満花は、人差し指を立ててそう言った。
芝居がかった声色に恭介は笑いを堪えると、数回乾いた拍手をお見舞いする。
カレーの作り方を教えると言ったのは、数日前の満花の方だ。
ちょうど二人とも空いていた土曜日の午後三時。
普段は満花しか立たないキッチンで、机の上には人参やじゃがいもや豚こまやカレールーが広がっている。
「まず、料理をする前に最初にすべきことはなんでしょう?」
「すべての食材にありがとうを伝える。」
「ちがっ……わないけど、もっと現実的方針で。」
分かりやすく眉間にシワを寄せる満花の様子が面白くて、恭介は口の中いっぱいに空気を溜めることでしか吹き出すことを抑えられなかった。

4/10/2024, 9:48:10 AM

「春みたいな頭。」
紫煙に包まれてぼやけた視界の中、御崎さんは皮肉たらしくそれを口にした。
眼の前にいる私に向けられて発せられたもの。
ひどく蔑む、あるいは見下すような声色であることは、観察に疎い私でもよく分かる。
「桜が満開の様子を、頭の中がお花畑と例えたのでしょうか。」
「まあ、それもある。これトリプルミーニングだから。」
「残り2つは?」
「考えてみなって。初めから答えを求めんのは、社会人として良くない姿勢だ。僕が矯正してあげないと。」
貴方だって、それほど褒められたエチケットを持っていないだろうに。
優秀な成績に胡座をかいていることは日々感じる。
表上はニコニコしていたって、上からも下からもそれほど慕われていないことをこの人は知っているのだろうか。
「……あ。入学式のようにおめでたい頭?」
「お、いいねそれ。クアドラプルミーニングだ。」
聞き慣れない言葉に顔をしかめる。
「なんですか、それ。」
「知らない?トリプルの次。4って意味の。」
「初めて聞きましたよ。」

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