『ようこそ、生人図書館へ。何をお求めかい?』
「私の愛する彼の未来が知りたいの。」
『あぁ、あいつのか。いいぜ、死人みたいな姉ちゃん。』
「初対面の私に死人って失礼じゃない?」
『知るか。それで本題に入るよ。あいつは一生涯、誰とも添い遂げぬまま老いてゆく。』
「そう。」
『もっと喜べよ。恋人が誰にも取られないんだ。』
「喜べないわよ。彼が幸せになれない未来なんて。」
『それもそうだ。あいつはお前と結ばれる事を望んだんだからな。お前が死んでたら幸せなんてなれない。』
「やっぱり、知ってたのね。」
『あぁ。お前の事もあいつの事も、知っていたさ。』
「あいつの事って?」
『まだお前が生きていた頃、あいつはここを訪れた。そして、俺に聞いた。お前の未来を。』
「そんなの初めて知った。」
『だろうな。惚れた女の死を知ったら誰だって黙る。』
「じゃあ悪い事をしたわ。先に死んじゃうなんて。願いが叶うなら、彼との日々に戻りたい。」
『残念ながら、俺は神じゃなくて司書だ。願いは叶えられねー。でも、その本はやるよ。』
「いいの?」
『特別だ。未来はいつ変わるかわからない。それを持って、監視しとけ。浮気されたら復讐してやろうぜ。』
「いいわね、それ。」
『今一番欲しいものはなんだ?それに手は届くか?お前は欲しいものを手に入れるために、どこまで墜ちれる?』
「親から貰った名前なんだから、大切にしなさい。」
うるさい。何でお前らは名前が大切に思えるの?
【貴方の名前の由来は?】
中学校の頃、家庭科の課題で出されたプリント。その中の一つに、名前の由来の欄があった。俺は両親に聞いた。
「俺の名前の由来って何?」
「そんなのないよ。適当につけた名前だからね。」
その言葉を聞いた瞬間、時間が止まった。姉二人には理由があったのに、何で俺だけ。手が震えた。結局、名前の由来は書けずに提出した。
あの時から、俺の中でモヤモヤが消えない。家族から先生から友人から、名前を呼ばれる度に苦しくなった。もう辞めろ。俺の名前を呼ぶな。俺が無意味な存在みたいじゃないか。こんな名前で呼ばれるくらいなら、死んだほうがマシだ。
海月 時。これが今の俺の名前。自分でつけた意味のある名前。俺はこの名前が好きだ。
【海として地球の一部になり、月として宇宙の一部になれたのなら、俺の時間は未来へと移り変われる。】
海月時として生きる時、俺は酸素が吸えた。きっと馬鹿馬鹿しいと笑う奴も居るだろう。例え何と言われようと、俺は自分を殺してでも、自分が愛した名前と生きる。
『ようこそ。生者の未来を記す図書館、生人図書館へ。何をお求めかい?』
「いつも僕を虐めてくるあいつの、未来が知りたい。」
『知ってどうする?より惨めになるかもよ。』
「どうするかは、知った後に考えるよ。」
『喰えないね〜。先に言っとくが、未来はコロコロ変わる。見た内容が、本当かは分からない。』
「分かったよ。」
『お前を虐めてる奴は、結果から言えば成功者となる。』
「…世界って、不公平だね。」
『そうだな。でも、俺はこの世が好きだな。不公平だからこそ、自分の欲を解消できるってもんよ。』
「そうかな。そうかもね。」
『おい、どこに行く気だ?』
「どこって、帰るんだけど。」
『何言ってるんだ?ここからが本題だろ。』
「何だよ?」
『復讐だよ。とりあえず、今までの借りを返そうか。』
「そんな事しても意味がない。それに、そんな事して僕が捕まったらどうすんだよ。」
『じゃあこのまま、惨めな姿で生きるか?それも面白いかもな。』
「何が言いたい?」
『どっちに転ぼうが、お前の未来は暗闇だ。それならば、この世の不公平さを叫びながらが良いだろ?』
『視線の先に暗闇しか見えなくても、お前は前に進めるか?お前の復讐という喜劇の物語を読みながら、本日もお待ちしてます。』
「何がしたいんだよ。」
焦った声で彼が聞く。私の願いは只一つだけだ。
「こんばんわ。死んでください。」
私は見知らぬ彼に、刃を向けた。しかし、彼は微動だにしなかった。
「殺したいなら、殺せ。」
彼は何事もないかのように言った。違うんだよなー。これでは、面白くない。抵抗する相手を殺す事が、楽しく面白いのだから。
「やっぱり、辞めときます。」
私が立ち去ろうとした時、彼は少し焦ったように言った。
「自己中な野郎め。何がしたいんだよ。」
「貴方は何がしたいんですか?」
彼は少し間を空けて、私に話し始めた。
「死んだ女房と娘に会いたいんだよ。あいつ等、俺を残して事故で死んじまった。俺は何度も自殺しようとしたが、震えが止まらねーんだ。そんな時にお前が現れた。」
「そうですか。」
私は考えた。死を望む彼に、どのような苦しみを与えようか。私を死んだ理由に使おうとした罪は重い。
「それで、お前は何がしたいんだよ。」
「私ですか?そうですね。」
名案を思いついた。面白さもスリムも、絶望も満点。僕は自分の腹に刃を立てた。
「貴方は自分で死ぬ事ができず、一生どん底に居てください。貴方のような人間には、惨めな姿が似合いますよ。」
「何故そこまでする?」
「笑っていたいから。」
昔から夢見ていた。世界が終わる最後まで、笑うのは私だけが良いと。そのためなら、私はどんな大罪も怖くない。さて、これからどうしようか。まずは、神でも殺そうか。
「僕の事、忘れないでね。」
本当に馬鹿だな。人間は忘れる生き物なのに。
『何してるの?』
僕が聞いても彼女は何も言わない。ここは駅のホーム。そこに一人の彼女。誰かを待っているようで誰も待っていないような、何処か掴めない雰囲気を持つ彼女。僕は彼女の事を知っている。
『ねぇ、もう諦めたら?』
あれは数年前。僕達に悲劇が訪れた。彼女が【若年期認知症】と診断されたのだ。診断された後からは、より症状が悪化していった。家族の顔も、友人の名前も、僕の存在も彼女は忘れていった。
「良くなったら、電車で旅とかしようよ。」
彼女の記憶から消える事が、ただ怖かった。だから何度も願った。しかし、願いは届かなかった。
「僕の事、忘れないでね。」
彼女は僕を忘れる。これは変わらない事実なのに。僕はいつまで、夢を見ているんだろう。もう嫌だ。彼女の窶れた姿は見たくない。彼女の記憶から消えたくない。もう逃げてしまいたい。僕は彼女からも、現実からも逃げたんだ。死という道を選んで。
『誰を待っているか分からないけど、誰も来ないよ。』
僕は彼女から逃げたくせに、死んでなお彼女に会いに来てしまった。本当に馬鹿だ。僕も、君も。
「誰かに電車で旅をしようっ言われた気がするの。誰かは忘れた。でも、その人がすぐ近くに居る気がする。」
こんな小さな言葉を覚えててくれたんだね。僕は泣き出した。そんな僕を見て彼女は困った顔をした。
「私、貴方に会った事がある気がするわ。」
『さぁ、どうだろうね。』
遠い日の記憶を、辿る。そして願う。もう一度彼女と、恋に落ちる日を願う。