「ここではないどこか」
ここではない?
そもそもあなたは「ここ」に
しっかり根を下ろして取り組んだのか?
「この場所」のなんたるかを
全て知りつくした上で 口にするのか?
自分の居るべき場所は
「ここではない」と。
もし そうではないのなら
恥じ入りなさい
そして 「どこか」?
どこかへ行きたいと?
あなたが行きたいと思っているのは
「どこか」なのか?
北でも 南でもなく
西でも 東でもなく
近くの映画館でも
地球の反対側の外国でもなく
「どこか」なのか。
「どこかへ」などと
漠然と願うだけであれば
一生あなたは一歩も動こうとせず
一生あなたは「どこか」とやらへ
たどり着けるはずもない。
つまり
「ここではないどこかへ」などと
隅から隅まで愚かなことばよ。
心得たのなら
恥じ入りなさい
「ここではないどこか」
※因みにこのお題も過去と重複しているよ。
意図をもって選定したのでないなら
恥じ入りなさい
「君と最後に会った日」
きみとさいごにあったひ
それはうつむいて
背中を丸めていたばかりの僕が
前を向いて、
背筋を伸ばして歩いていこうと決めた日
迷子になって途方に暮れていた僕の
ちいさなちいさなひかりを
この僕の命を 存在を
何にも替えられない価値あるものだと
君が教えてくれた日。
「君と最後に会った日」
それは僕が新しくうまれた日
「繊細な花」
思ってもみなかった。
こんなにもすぐに
花びらが落ちてしまうなんて。
私はただ、ひとの手の入らぬ
有象無象の輩の迫る危険な森から
誰も襲ってこれない安全な人間の元に
君を救って 連れてきただけなのに。
きみはただ ひとの手の及ばぬ
精霊妖精たちの棲む安全な森から
誰も護ってくれない危険なにんげんの元に
私に攫って 連れてこられただけだった。
神力の及ばぬ濁った下界の地で
震えながら うつくしいきみは
花弁をおとしてゆき
最後の力を振り絞って
森の精霊を喚びながら
私の前で息絶える
ひとつの命を捧げられて
そうしてようやく
人は己の愚かさを知る。
そうしてようやく
人は命の悲しさを知る。
ひとつの命に
ひとつのまなび
なんと罪深きことか
なんと傲慢なことか
にんげんよ
「繊細な花」
「1年後」
驚いた。
そして ゾッとした。
1年後の未来から
もうタイムカプセルを開けよ と
報せが届いたのかと。
この小さな画面に視線を奪われ
集中力の全てを注いでいた間に
まさか私独りが時間に取り残されて
いつの間にやら ひっそりと
1年も経ってしまったのか。
2023年5月8日に
私は1年後について書くように言われていた。
私のみならず、おそらく
多くの人々が。
本日が
2023年6月24日であることを示すのは
私の部屋だけであろうか。
もしや既に 外界は
2024年なのだろうか、と。
何が正しいのか
わからなくなっている。
二ヶ月開けずして、同じお題を出されても
「驚いた」感情だけで
これほどつらつらと文章が書けるのは
『書く習慣』の賜であろうが
今日ばかりは 少しばかり
皮肉を言わせてほしかったりもする。
しかしながら我が部屋だけが
時間に取り残されていたのなら
すまなかった。
5月8日と同じお題「1年後」
「子供の頃は」
子供の頃は
わからないことは
わからないままで良い
大人になると
わからないことは
わかったふりをすれば良い。
但し 自分自身のくちのなかに
おそらくは鉄の味の
生暖かい血を感じることだろう。
口の端から零れぬように
そいつを飲み込んで
滑稽に笑ってみせることだろう。
あるいは自ら切りつけた
脾腹の刺し傷から
他のものからは見えぬよう
じっとりとどす黒い血が
拡がってゆくのを感じるだろう。
焦点の合わない眼差しを
宙に泳がせながら
視界の靄が
拡がってゆくのを感じるだろう。
まことに遺憾ながら
まことに残念ながら
それが大人になるということであるか。
それが大人になるということならば
子供の頃は なんとさいわいであるか。
「子供の頃は」