「あの人、カッコいいよね」
そんな友達の一言は氷柱のように私の心に刺さった。
私が片思いをしている「あの人」。
そんなこと言えなくて
つい、「そうだね」だけ言う。
ひそかな思いは墓場まで持っていくしかない。
暗闇の中で私は孤独だ。
目の前に、ぼんやりと懐中電灯の灯りが何かを描く。
何か大きな漠然とした人の輪郭のようなもの。
手を伸ばしても、伸ばしても、届かない。
その輪郭は立ち止まることなく前に進む。
「あなたは何者?
もし姿を見せてくれるなら、
人でも動物でも構わないから私の話を聞いて」
そう叫んだ時。
その輪郭は、その姿は明らかになって振り向いた。
あっ!と思ったら、私はベッドから落ちていた。
ただの夢だったようだ。
そう信じたい、正夢にならぬことを。
今はSNSなどで誰でも気軽にどこでも言葉を送れる、
そんな時代になった。
でも、私は特定の「誰か」ではなく、
「宛先のない誰か」に自分の遺書を届けたかった。
家族はもちろん、友達でもSNSのフォロワーでさえ
この遺書を送りたくなかった。
恥ずかしいのではない。ただ、知られたくなかった。
ボトルメールという、瓶に入れた手紙を海に流して
私は海ではなく、廃墟のビルの屋上で身を投げた。
打ちどころが悪く、私の命は夜の空に舞い上がった。
遺書の行方はどうなったのだろう。
遠く、知らない街に、知らない人に届いただろうか。
もし、遺書を読んでくれた人がいたら
私はきっと、その人の守護霊になるだろう。
なぜなら、あの瓶には私の願いを込めた遺書と共に
私のお守りのエメラルドが入っているから。
石言葉を調べて生前まで大切にしていたお守り。
「宛先のない誰か」というのは、
悲哀に満ちて海に来たかもしれぬ誰かのつもりだった
これから自分は死ぬのに、他の誰かには生きてほしい
そんなの傲慢だと思ってるけど。
「私がつかんだかすかな『希望』を
あなたは『幸福』に変えてほしい」
「交通事故に遭ってPTSDを患ったあの子は
外に出歩くこともままならず、引きこもりになった」
とその子とも仲がいい共通の友達から聞いた。
事故の原因は加害者の会社員による飲酒運転だった。
被害に遭ったその同級生は自転車に乗って下校中で
横断歩道を渡る時、
信号は青なのに右折した車が止まらず、衝突した。
被害者は、
ヘルメットをかぶっていたため頭は守られたが
ぶつかった時に強打した左足を骨折したそうだ。
加害者の車は、
フロントバンパーが大きくへこみ、
加害者自身は、
軽い打撲を負っただけらしい。
のちに加害者は、過失運転致死傷罪で逮捕された。
事故を受けてPTSDを患って、
毎日怯えて生活しているその子は
時々、かんしゃくを起こしてまともに話せないらしく
友達が心配して家を訪れても親に門前払いされている
五年後。
あの交通事故に対する記憶が薄れていく頃。
被害者である同級生の子は先天的な絵の才能を活かし
新進気鋭の漫画家として、ひそかに活躍していた。
その子は音楽が好きでガールズバンドの漫画で
一躍有名になった。
彼女の今の姿を見たことがある友達は、
明るくなって笑顔がとても輝いていたと言っている。
気になる人と趣味の話をしてる今。
心が弾み過ぎて失敗するんじゃないかって不安になる
はしゃぎ過ぎて足を踏み外しそうになったとき、
我に戻れるように彼に引かれないように時よ止まって
今しかないこのときだからこそ、大切に扱いたいの