横殴りの雨のように
私は力を込めて鉛筆でノートに想いを書き殴った。
強い風が吹き荒れる。
強い力で芯が折れる。
疲れ果てた私には
悲哀の恋愛小説が似合う。
叶わない恋。
敵わないライバル。
横殴りの雨のように
私は力を込めて鉛筆で日記帳に愚痴を書き殴った。
学校を卒業して環境が大きく変わったあの頃。
社会に出たときに
初めて『自分』という者を試される時がくる。
アルバイトとは違う、責任、人間関係、仕事の重み。
私は学生時代にアルバイトが出来なかった。
勉強に燃えていたわけではなくて、
病気という名の幻聴と争っていたから。
だから今、社会という荒波に圧倒されるときがある。
ノルマを時間内に果たさなければならないのは
ほぼ毎日のことだ。今でもある。
直属の上司の機嫌を損ね、冷たい態度を取られた時は
必死になって仕事しながら改善のため闘っていた。
そんな過ぎし日を想えば少しは強くなれたと
思っていいと思う。
乗り越えた自分は
一つの山を登り終えて坂を降りて次の山へ向かってる
山は次から次へと現れる。
積んだ経験は次の山を登る対策になる。
過ぎし日を想うならば誇らしく想うべきだ。
ネットで調べると星座には性格があるらしい。
私の星座では受容性があると出てくる。
自分ではそんなに受容性が高いとか思わないが、
私は、誰かの意見に流されやすいのはあるかと思う。
誰かが「Aが素晴らしい」と言っても「Bの方が正しい」
と真逆なことを言われると
どっちに転んでいいか分からなくなる。
その時はよく考えて選んでいる。
でも、魚座だからとか水瓶座だからとか
そんな血液型みたいなくくりで性格を決めつけるのは
正しいとは言えない。
人にはその人だけの価値観や生き方があるから。
自分の星座のプラスな点を私は信じてみようかなと
ネットで調べて思った。
短い秋の始まりは遅く、終わりは早い。
紅葉が舞い散る夢の中で私は黒い猫になっていた。
さまざまな年齢の数種類の猫が
猫語を話して木の下で戯れる。
なぜか私にも分かる、その猫の言葉が。
全ての紅葉が舞い降りる前に私は彼らを誘った。
「一緒に踊りませんか?」
彼らと私は初対面なのに
猫同士には初対面の気まずさがないと見えて
私たちは紅葉という葉吹雪のなかで
猫の界隈で流行っている「グレーの招き猫」を
歌いながら踊った
運命って偶然なのか必然なのか分からない。
もし本当に存在してるなら
プラスの方に信じようと思う。
その『運命の人』とか『運命の出来事』があるならば
いい意味で人生が一変するきっかけを
運んでくると思うから。
きっと『運命の何か』に巡り会える前触れは
心が沈むようなつらい出来事が重なるかもしれない。
しかし、それを乗り越えた先にある『運命の何か』が
自分への最高のデザートだと実感させられるだろう。
私は今日もそれを待ちながら
仕事をして、趣味で疲れを労わって、寝床に入る。
『運命の何か』に巡り会えたら
私は今の生活が180度変わるかもしれない