秋空に関する諺に「女心と秋の空」(以下「女心」)がありますが、これは「男心と秋の空」(以下「男心」)と言う諺が変化したものらしいです。意味合いとしては若干相違ありますが、どちらも秋の変わりやすい空模様を移ろいやすい人の心になぞらえたものとなっています。
「男心」が江戸時代にできたのに対し「女心」は昭和頃に浸透、広辞苑に掲載されたのも1998年とつい最近とのことです。
似た諺が違う時代で使われ始めたことに、当時どんな世相だったか考えてしまいます。教訓的にはざっくり言えば「男心」は男に、「女心」は女に気をつけろ、または慰めと言った感じでしょうか。
およそ諺には教訓に類するものが含まれていますが、現代に新しい諺を作るとしたらどのようなものになるのでしょう。
様々なものが分類、区別、細分化さらには分断さえもされた時代に普遍的な言葉を残すことが出来るのでしょうか。たとえ出来たとしても、絶え間なく移ろう社会に取り残されはしないだろうか。
オリジナルの諺を作るコンテストもあるようなので、自分で1つ作ってみるのも面白いかもしれませんね。
「秋晴れ」
「忘れたくても忘れられない。先月の始め」
「言う割にちょっと忘れてないか?」
「昼メシだったか、お前と食いに行ったよな」
「時間くらい憶えとけよ、てか俺も関係あんのかよ」
「ツーリングついでに美味そうな店見つけようぜ、って」
「あー、あの日か。結局は無難に定食屋にしたよな。飯は旨かったけど、その日に何かあったっけ?」
「俺もうバイクはやめることにしたんだ」
「いきなり何だ? 飯の話はどうしたんだよ。あと、バイク乗らないなら俺に売ってくれよ。お前いいバイクに乗ってたのに勿体ないな」
「はあ、もう帰るよ」
「さっきのは冗談だって、そう怒んなよ」
「……」
「おい、何か言えよ」
「おじゃましました」
『忘れたくても忘れられない』
やわらかな光はいつも私の手をすり抜ける。
近くに現れた光に手を伸ばして触れたと思った瞬間、形を変え遠く離れる。
他に見える光には既に誰かがいて私が近づく余地はない。
また近くに光が現れた。私は触れようと伸ばそうとした手を止め、そのやわらかな光へと飛び込んだ。
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木々が立ち並ぶその合間を暖かな風が吹き抜ける。
枝葉たちが一斉に騒ぎ出してはまた静かになり、声を潜めていた虫たちが代わりにと鳴き始める。
絶えず声があり続ける空間に木漏れ日が降り注ぐ。
『やわらかな光』
店内に入り周囲を見渡す。夜のピークが過ぎたのだろう店内は客入りが疎らになっており、その中に良さげなカウンター席を見つけて座る。
新たな客となった私の元へ店員がお冷やを持ってくる。
「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」
お冷やをカウンターに置き、接客の言葉を終えると店員は下がって行った。私は置かれたグラスに入ったお冷やを少し飲み一息つく。
普段訪れる書き入れ時ならば決まったメニューを即座に注文するのだが、こういう時はいつもは気にしないメニュー表を見て食べたい物を決めるのもいい。
メニュー表を見ると、そこにはいつもなら選択肢にも上がらない様々な商品が載っていた。期間限定品はもちろんのこと、トッピング物や定番から外れた変わり種の品。
こうも種類が多いと決めるのにも苦労する。
私はメニュー表の商品をひとつひとつ真剣に見つめ、そして腹に頭に何が食べたいのかを聴く。こうしていると、この一回の注文が大事なものに思えてくる。
食べたい物を決めた私はさっそく店員を呼ぶ。
「ご注文をお伺いします」
注文を受け取りに来た店員に私は告げた。
「牛丼並盛り、お新香セットで」
『鋭い眼差し』
「ねぇパパ。たかくたかくして!」
「たかくたかく?」
娘からの不意の言葉に一瞬戸惑う。だが目の前の両腕を上げて期待している顔をする娘を見れば、先ほどの言葉は《高い高い》のことを言っているのだろうと理解する。
娘は保育園に通い始めてから色々な言葉を覚え、今ではすっかりおませな口ぶりをすることもある。それを思えば言い間違いくらい可愛いものだ。そう思いながらも一応の訂正をする。
「いーちゃん、《高く高く》じゃなくて《高い高い》って言うんだよ」
遊ぶ気満々だった娘は動くそぶりもなく小言を言い出した私に不満気になり、今度は語気を強くし幾分か丁寧に教えてくれた。
「ちがう! いーちゃんはたかくたかくしてほしいの!それで、パパがたかいたかいするの!」
「なるほどな」
娘の言葉に一理あるなと納得する。
「じゃあやるからおいで、ほら」
「いちばんたかくまでおねがいします!」
その後は満足のいくまで《高い高い》あらため《高く高く》して遊んだ。
『高く高く』