大人になるにつれて感度が低くなっていることを自覚する。
子供の頃は連休のたびにワクワクしたし、正月には世の中の全てが休んでいるような静けさにそわそわしていた。
空を見上げて雲の形を連想することもあれば、季節の変化を道端の植物に感じることもあった。
今ではそれらが意識の外に追い出され、同じことを繰り返す日々を送っている。
毎日がつまらないのは自分自身のせいで、それに対する答えも自分の中にちゃんとある。
思い出して、意識して目を向ける。それだけで見える景色は一変する。
世界は楽しいことであふれている。
それを教えてくれる子供は私の人生の先生なのだ。
『子供のように』
「先生さようならー」
「はい、さようなら」
連絡事項を通達しホームルームを終えた教室はすでに放課後の様相を呈していた。律儀に挨拶をくれた生徒に返事を返し、私は賑やかになった教室を後にする。
職員室までの道のりは階段を含め300メートルほど、普段より速めに歩けば3分で到着する。
残り時間は少なく、ここからは忍耐力が試される。そう、私は今からロッキーになるのだ。
厳しいトレーニングに耐えるロッキーに自分を重ねながら廊下を進む。頭の中では勿論あの曲が鳴り響いている。
残り100メートルを切ったところで唐突に試合のゴングが鳴った。急な事態に驚きはしたが私の行動に変わりはない、ただ歩くだけだ。
まずは挨拶のジャブ、それからジャブ。たまにストレート。執拗なまでのボディへの攻撃が私の気力を削っていく。
しかしてついに「職員室」のプレートを掲げる扉の前までたどり着いた。だが今の目的地は職員室ではない。私はそのまま直進し、職員室の隣にあるピクトグラムが示す空間へと入って行った。
The final bell 私は勝利を確信して座り込んだ。
『放課後』
子どもの頃から境界が怖かった。
当時は田舎の木造家屋に暮らしていたため、夏は窓や家中のドアを開放して扇風機だけで涼をとっていた。
夕食の時間にもなると常に電気がついているのはリビングくらいなもので、続く廊下や座敷には暗闇が広がっていた。
開けたドアの位置には暖簾を取り付け目隠しをしていたがそれがかえって内側と外側を意識させ、見えない向こう側に何かを感じていた。
他にも座敷のすりガラスの向こうに見える影、少しだけ開いた押入れの戸や隙間風に揺れるドア。
認識できそうでできない、そんなありふれた境界に想像力を掻き立てては恐怖した。
仕事を終えワンルーマンションに帰宅する。
一人暮らしだから迎えてくれる人などいるはずもなく、電気をつけながらリビングに入る。
正面に見える掃き出し窓には朝と変わらずレース生地だけが掛かっていた。
外からまる見えじゃないか。そう思い、荷物を置いてカーテンを閉めた。
境界の外側に何かがいる気がする。それが怖いのだ。
『カーテン』
「卒業式終わっちゃったね」
それぞれ仲の良いグループに分かれ話に花が咲く教室の中、私は隣の席の幼馴染に声をかけた。
「終わったねー。そうだ、せっかくだしお昼はちょっといいとこに食べに行こうよ」
「それいいね、どこがいいかなー」
小学校から高校まで奇跡的に同じクラスだった私たちだったが、さすがに大学まで同じとはならなかった。
ならば残り少ない期間をどう過ごそうか、まず今日の昼食から、そう考えていると-
「それにしても、ほんと泣き虫だよねー」
涙のせいで赤くなっているだろう私の目を見て幼馴染が笑いながら言ってきた。涙なんて自然と出てくるのだから仕方がないじゃない、そう思いつつ返事をする。
「違うってば。もう、そのいじり何回目よ」
「ごめん、ごめん」
気の置けないやり取りに楽しさと一抹の寂しさを覚える。
春。別れそして出会いの季節。
くしゅん、ずびび。
とりあえずお昼は花粉が少ない場所にする。絶対に。
『涙の理由』
朝。定期券を通して改札口を出る。これから電車に乗るであろうサラリーマンの流れに逆らって駅舎から出ると、日に暖められ始めた涼しい空気が体を包んだ。
学校指定の通学バッグを肩にかけ、両耳のイヤホンは線を通して胸ポケットのウォークマンに繋がっている。音楽を聴きながら人が少ない時間に登校し、教室で勉強するのが日課になっていた。
学校へと向かいながら今日の時間割を思い出していると、曲が変わりテンポの良い音楽が流れ始めた。自然と歌詞を口ずみ体がリズムを刻む。
日日是好日。今日もまた音楽に身を委ねるのだ。
『ココロオドル』