西の護符屋

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7/31/2024, 1:00:41 PM

あなたがどうでも良い人では無いから 一人にして欲しいの。
あなたが大切な人だから、抱きしめた後、隣の部屋で静かにしているの。

明日の朝、挨拶しようね。絶対だよ。

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 漫画等でたまにある友情のシーンに、「悲しい時に黙って側にいてくれた」というのがありますよね。あのシーンに自分には無いものを感じて憧れながらも登場人物のどちらにも入り込めずに今まで来ました。

 大切なものを失った時、大きな挫折を味わった時、毎度の如く死にたいような自己嫌悪に囚われた時、それに荒れ狂う怒りに囚われた時。私にもそんな時はあるし、大切な人にもそんな時はあります。
 私がそんな心の時に側に誰かいれば、その人に理不尽なことを言ってしまうかもしれない。慰めを強要してしまうかもしれない。それならば一人でいたいと思うのです。
 逆に大切な人がそんな心の時には、側に居たい、自暴自棄にならないで欲しいという気持ちと逆に気を遣わせてしまうからダメだという気持ちが闘うことになります。だってあなたは私が居たら無理に笑いそう。下手な解決策を言ってしまいそう。

 できれば犬や猫になって、寄り添いたい。あなたを一人にしてあげたい夜もある。
 1人と1匹なら、良いよね。

7/31/2024, 9:40:28 AM

 澄んだ瞳のその先は 伏し目がちなあなたの秘密

 子どもの頃、祖父母のうちに置いてある日本人形が怖かった。とても艶やかな振り返り美人さんだったけど、振り返った伏し目がちな瞳のその先に何かがいるような気がしてならなかったのだ。
 この美人さんを作った方はその視線を捉えにいったりしたのかしらと大人になって思う。あなたの理想を体現した美人さんは正面から見る客とは決して目を合わせないのだ。こちらを見るのが恥ずかしいから逸らすのか、視線の先が堂々と見れないからそっと振り返るのかと妄想する。

 その先にあるのは、枯れ尾花か、憧憬か、背徳かそれとも。

7/29/2024, 2:12:15 PM

嵐が来ようとも 踊ってやると 崖の上で笑う道化師

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 まるで道化師のように愚かに映っても、この嵐が避けられぬならば君が笑うまで踊っていたい。

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 ひどい嵐が来る日は、準備がたくさん必要だ。

 観葉植物を室内に取り込み、雨戸を閉め、ご飯を炊いておき、作り置きできて腐りにくいおかずもできれば用意をしておく。風呂に水を溜め、飲料水もペットボトルに確保しておく。   

 交通情報をみて通勤やむなしの時は、一通りの雨具に、濡れた雨具が周りに迷惑をかけないよう傘カバーやビニール袋を鞄に入れる。無臭タイプのデオドラントを念入りに施し、電車等に閉じ込められた時用に、スマホのモバイルバッテリーに低血糖対策の飴に水筒も必要だ。タオルは鞄と玄関にも用意する。濡れて帰った時の玄関のタオルって幸せだよね。

 後は、イヤホンを耳に差して映画「雨に唄えば」の主題歌「Singing in the rain」ばかりを集めたプレイリストを再生することにしている。
 周りを見る余裕などいつも以上にない時は、私が多少ステップを踏んだって小さく鼻唄を歌ったって脳内でメリーポピンズごっこをしたって、誰にも気付かれやしない。

7/29/2024, 9:42:10 AM

履き慣れぬ 私の下駄の代わりを 持参する君
君の肩に腕に すがっちゃダメかな
君の優しさに 甘える勇気はでなかった

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 "踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損"
 徳島の阿波踊りの出だしのこの歌詞が、好きだ。
 
 阿波踊りの起源は、死者を弔う盆踊りだとか、築城記念の祭りだとか色々あって、肉を祭壇に捧げて神と交信する儀式である本来の漢字の成り立ちからするお祭りとは少し違うものなのかもしれないが、非日常を味わうお祭りの本体はやはり踊りなのではと思っている。

 人混みも行列も暑さも高すぎる屋台も履き慣れない下駄も、正直苦手だ。だけど、非日常を味わうには仕掛け人にまわるか、積極的に参加して楽しむしかない。暑いけど浴衣を着て、お気に入りの扇子を差して、絆創膏を貼って下駄を履き、屋台は食べたことのないものか、祭りでしか食べないものだとより嬉しい。りんご飴を片手に格闘して、ヨーヨーを吊り下げて、できればなんやかんやと面白がって、笑って、やっぱり最後は踊りたい。

 同じ阿呆なら踊らにゃ損損。

 遊び疲れた子どもも、もう抱き上げなくても良くなった。
 同じ行くなら大人用の浴衣を買おうかな…鼻緒ずれする下駄を履いていったら家族を困らせる気もするから、鼻緒ズレしない草履でも探そうか。少しは年甲斐もない阿呆にならなきゃ損ですよね、お祭りですもの。

7/27/2024, 11:55:12 PM

 神様が俺の枕元に舞い降りた時、どうしてそれが神様だと俺はわかったのだろう。人魂のようにかすかに発光し、ふよふよと浮いているそれは、どこにあるかわからない口でこう言った。

「何故死なぬ?」

 俺は今死刑宣告を受けているのだろうか。酷い悪夢だ。

「寿命が…まだだと考えていたのですが、違うのでしょうか。」

 掠れながらも返答できた俺は偉いと思う。

「お前だけではない。人間は増えすぎた。」

 そう言って神は去っていった。特に俺が神に選ばれたわけでもなく、たまたま俺がそこにいただけの話なのかもしれない。

 数々の病、気候変動による食べ物の増減、偏在。それらに対抗すべく人生をかけている全ての人が、あの神様に見つかりませんように!あの神様に良いことが起きて、思い通りに減ってくれぬ人間のことなど忘れてくださいますように!
 そんなことを祈りながら俺は解熱剤を服用してもう一度眠りについた。

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 神様は、人間の願いを叶えるための存在ではなく、時にただおそれるべき存在であったろうなとも思うのです。一日に100種が絶滅するという現代において、人間の味方だけではない神様にとっては特に。

 ところで、舞い降りるって改めて考えると不思議な表現ですよね。能の舞を知っている日本人からすると舞い降りるの表現が布や髪や羽なんかが、たなびいたりして神秘的に美しいくらいで済むけれど、外国の方がこの言葉を見たら、神様ダンスすんの?とイメージに悩まれるんではないかな。ブレイクダンスしながら現れる神様を想像してひとしきり夜中にニヤニヤしてしまいました。

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