夏に家雪さんが「エアコンが寒い」といっていて、それを聞いた俺は、廊下側の自分の席と家雪さんのを交換してあげた。
冬には家雪さんが「窓側が寒い」といったから、俺はまた廊下側の自分の席と家雪さんのを交換してあげた。
いや、冬といっても十一月だ。
モスバーガーならまだ月見フォカッチャが売られている。ギリギリ秋だ。
家雪さんは十一月でこれなら真冬はどうしてるんだという格好で学校に来ている。相当に着込んでいる。言語文化のおじいちゃん先生に、授業中はコートを脱ぎなさいと言われている。
東京の最高気温は十七度だ。
俺たちの代から制服があたらしくなって、衣替えは各自自由なタイミングでいいと言われている。
先生たちは、正しい合服の状態がどの状態かわからないと言っている。
俺たちは現役生の勘で適当にベストを着て込み、袖を長くして、ジャケットを羽織っている。
俺は長袖のシャツと一応冬のスラックスだ。
寒くないの? と言われたら寒い。
夏服じゃないの? とおじいちゃん先生にいわれたけど、夏服ではない。夏は半袖で、生地のうすいほうのスラックスを履いていた。
でもあんまり夏と変わらないよね? といわれたら、たしかに見た目的にはそう。
「十一月でこれなら八月どうしてたの?」
といわれたけど、普通に法律が俺に服を着せていただけだった。
松倉先生〜数ヶ月前の記憶もないんすか、服着てましたよ俺、やばいっすよ! と大きな声を出したら、うしろの席の家雪さんに、頭をはたかれた。
家雪さんは、言語文化のときは俺のうしろの席になっている。
言語文化は普通科のある棟で授業を受けるから。教室とは席がちがう。
首を傾げつつ振り向いたら、そう、そのまま、と家雪さんいわれる。
家雪さんは黒板の字をノートに写していた。
俺は身長が一九〇ある。
俺が動くとホワイトボードが見えないらしい。悪いねという気持ちで俺はその場に縮こまる。縮こまって、家雪さんのノートを覗き込んだ。
きれいな字を書くね、とおもって家雪さんのノートを見ていた。
また家雪さんの手がひらめいて、俺の頭を叩いた。見ないでとか言われた。あっそう。ふーん。
俺は前に向きなおると自分の分の板書をはじめた。
一学期は、羅生門とかやってたときは比較的真面目にやってたけど、最近は板書なんてしていない。俺は国語が好きじゃない。家雪さんは好きそう。そんな感じがする。
うしろで、家雪さんが首を伸ばしたり、体を傾けたりする気配がした。
俺も家雪さんをまねて、首を伸ばしたり、体を傾けたりした。家雪さんが右から覗き込もうとしたら、右に体を倒し、家雪さんが左に行こうとしたら、左に揺れた。
家雪さんは、ちょっと冷たいと思うね。
彼女は俺に冷たいと思いませんか? 俺は、二度も彼女に席交換しませんかって話しかけたのに。
いっつも俺が話しかけている。家雪さんはクールだ。
仲良くなれてるって思ってるの俺だけとか普通にある。うん。ある。あー本当にそうかも。だって、俺は言語文化のときくらいじゃないと、家雪さんのこと近くで見れない。家雪さんは窓際にいるし、そのとき俺は廊下側に、あるいは、彼女が廊下側で俺は窓際にいる。離れているんだもの。
あー。なんでそんなことしちゃったかなー。
頭をかきむしる俺を、うしろから家雪さんが、ねえ、ちょっと、ねえ、なんていっているが、全部聞き流す。
右に、左に、ふたりで花のように揺れていたら、先生に仲がいいのかなって微笑まれた。
ちげぇし!
俺がイライラして怒鳴ったら、家雪さんがそれ以上の声で仲良くないわよと言った。
俺は傷ついて真面目に板書するのをやめた。
授業がおわってすぐ、俺は家雪さんを振り向いて、席交換しよっかといった。
椅子にまたがって彼女の机に頬杖をつくと、立ち上がりかけていた家雪さんも立つのをやめて椅子に座った。
きれいな指がくすみピンクのフォルダを撫でていた。
「いいよ。替えよっか。ちょうどよかった。大体、世良くん、背高すぎるんだよ。十センチくらいわたしにちょうだいよ」
「無理だろー」
俺は目を合わせないように慎重に、家雪さんのうしろの壁に張られている美化強化月間の張り紙を見つめた。あれうちのクラスは張られてないんだけど、イケセン、はしょった?
「で、席替えるなら、松倉先生にいわないとね」
と、家雪さんがいった。
家雪さんは楽しそうに、またおまえら替えるのか、って言われそうじゃない? とくふくふ笑っている。替えすぎたって言われるかもねーといった。
「多分OKしてくれるよ。きっと。多田が前から、席交換したいっていってたし」
俺は、家雪さんの笑い声をさえぎるつもりはなかったけど、声がつんのめって、家雪さんにかぶせるような形になった。
家雪さんはきょとんとしていた。
リズムが崩れたように体を止めて、俺が黙っているのを見てから、「なんで多田くんの話?」といった。
多田というのは、説明しよう、極度の近眼で、メガネを小学生のころ三回つくり直している俺のクラスメイトだ。最近また黒板が見えにくくなったといって、松倉先生に相談していた。
「席交換するんじゃないの? 世良くん」
「交換するよ」
「なんで、多田くんの話?」
「だから、多田と、俺の席を交換してもらおうと思って」
なんで? と家雪さんはすぐ聞き返さなかった。
一度言葉を呑み込んで、でもすぐ俺を突き刺すみたいに「なんで?」といった。あーあ。冷たい。冷たい人ですよ家雪さんは。声が冷たい。そんなになんでなんで聞かなくてもいいじゃん。
「なんでって……家雪さんは、Sだわー。あはは」
「なに? どういう話?」
「サディストでしょ?」
「ちがうよわたし」
ちがくないね。絶対そうだね。
なんでって、だって……本人を前に言えるわけなくねー?
俺は一度だけうつむいて笑った。
「今日、黒板写すの邪魔してごめんねー」
なるべく軽く聞こえるように謝って、俺は席を立った。
あーあ。もういいんだ。いいんです。俺と家雪さんは、教室の端と端くらいでいるのがぴったり! あーそうですか。そうです、そうです。
身長一六二センチの多田のもとに俺は向かおうとして、くん、とワイシャツをひっぱられた。
「家家さんは、乱暴だー」
きれいなのに。見かけによらず強い力でひっぱられて、夏服みたいな格好の俺はシャツをべろんとスラックスから出していた。
「べつにいいよ」
「家雪さん、手つめたいね。シャツ越しにわかる」
「世良くんがわたしと席替わってくれればいい話でしょ。いいよ、多田くんに替わってもらわなくて」
「多田は俺の席に来たいって言ってるんだよ! まだ言ってないけど。言ってるのは教室の席だけど。これから言語文化の席にも言わせる予定だよ」
大体ねーと家雪さんが大きめの声で言う。
「多田くんと世良くんが替わったところで、わたし、多分、前見えないんですけどー……」
家雪さんがぶつぶつ声を落としていった。
「えっうそ」
「……」
「えっうそ。ちっ……っさ!」
「殴るよ?!」
立ち上がって、俺の傍にきた家雪さんは小さかった。
俺はびっくりした。いや、今までも、小さいと思っていたけど。あんな体じゃ寒そうと思っていたけど……!
俺はすぐ振りほどこうとしていた彼女の手を外せなくなって、シャツをだしっぱなしにした。
何センチ? と聞くと、不機嫌な顔をされて、俺は腹を殴られた。
痛てーといいながら、俺はパンチを痛がる。ぜんぜん痛くないけど。
「じゃあ、まってまって、家雪さん」
「なに?」
「こういうのはどうよ? 多田を家雪さんの席に、家雪さんは俺の席に座ってもらって、俺は多田の席へ……トライアングル」
「なんでよ」
「なんでなんで、って、そういうのいけないよ家家さん! トライアングル!」
「なんで多田くんを挟みたがるの?」
「俺は、多田を救いたくて!」
「はあ」
家雪さんは呆れた顔をして、傍をすり抜けていってしまった。出入口付近で待っていた友だちと出ていってしまう。振り向きもしなかった。見放すみたいなため息つかれた。
俺も次のクラスに教室を追い出されながら、後を追うように特進棟にもどった。
本当、何センチなんだろ……。
前を歩く家雪さんの一つ結びを見つめる。
足幅ちっさ! 歩くのおっそ!
間隔を空けてうしろを歩くのが、めんどうくさくなる。俺は家雪さんとその友だちをさっと追い抜いた。追い抜くときに、家雪さんの顔を見た。嫌味ったらしく覗き込んでやった。どんな顔してんだろ! 顔もちっちゃいのかな。
家雪さんはつるんとした顔をして、俺を無視した。
あーあ! あーあ!
友だちに話しかけて、俺から逃げていく。
冷たい人や。
あの小さな頭の中でなに考えてるんだろ。俺を突き放すことを考えているのかもしれない。それは今のところ、大成功だった。なにしても成功。いつだって優等生だ。家雪さんは、なにしても正義で、家雪さんが勝ってしまう。俺と相手をさせた場合にかぎり。
俺は家雪さんに謝りたい気分にさせられる。俺の席いりませんか? とかいっちゃう。
無視されただけで、俺なんかもうだめだ。
俺は早足で四階へと駆け上がった。
負けちまえ! って自意識が叫ぶ。
脳裏で、女王さまみたいに顎を突き上げた家雪さんが、わたしに言いなりになっちゃいなさい、っていう妄想をした。現実の家雪さんは、こんなこといわないけど。
教室に帰ると、多田が窓側最前列の俺の席に座っていた。
「世良、おまえ、おまえのこの席、いい席だなっ!」
「えー。家雪さんとかは、最悪っていってたよ」
多田は楽しそうに椅子でのけぞっている。
うぜー。
席交換しよう! と言われたから、「そこのけ、そこのけただの多田」「そんな〜俺を救うと思って」「おまえなんて救われてたまるか!」と言い返して、椅子から押し出した。
「世良、家雪さんとかも最悪〜っていってたのに、世良は嫌じゃねぇの? 俺が替わってやるっていってんのに。チャンスだぜ? おまえ視力二、〇なのに。いらないだろ最前列。一九〇センチの最前列ジャマすぎだろ。握力八〇の最前列」
「うるせぇな」
「暑がりなの?」
「べつにそんなことない」
と、いうと、論理表現の滝本先生に、きみのその格好は、説得力がない! と指さされる。
急に会話に入ってくるじゃん。
ALTのフレディーにまで、why? と肩をすくめられた。なんなんマジで。
「だってー。だってさー!」
はあーあと盛大なため息をついて、俺は嘆いた。
「暑がりって設定がないとさ? 言い訳になんないじゃん? べつに暑がりとかじゃないけど、暑がりっていっちゃったから、俺は紺色ベストを真冬まで封印すると決めたんだ」
「どういうこと?」
「だからー!」
自分の席で突っ伏して叫んでいると、バサリと頭上に紙が乗せられた。
授業プリントだ。英語で毎回配られる。
滝本先生、SDGsとかしらねぇから、ばんばん授業プリントを刷るんだ。
家雪さんと話したかったからとか、言えねー!
顔を上げると、授業プリントを抱えた本日の日直の家雪さんがいた。
俺は硬直した。
家雪さんはつん、と顎をあげて、ふーんといった。
俺はなにもできなくなった。
フレディーはhuhーと首をすくめた。
棒立ちの多田や、プロジェクターの設置に四苦八苦している今年五十二歳の滝本先生の横を通りすぎ、さっさと家雪さんは授業プリントを配っていく。
俺はポーッとしていた。
じわじわと顔が赤くなった。
うわああ!
ああ。
家雪さんから目を離すこともできず、彼女が黒いタイツの足さばきで廊下側の席に座るところまで見た。
家雪さんが俺に気づいて、俺を見返した。
俺はプリントの束で口元をかくして、目を細めた。
あーーー……。
家雪さん。家雪さん。
授業開始二分前で、多田もみんなも自分の席に座っている。俺は窓際最前列から廊下側真ん中の家雪さんを見ている。ごくりと、唾が出てきて唾を呑み込んだ。うしろの席の木崎からプリントを回せと肩を叩かれた。家雪さんは俺から目をそらす。はーあ。
家雪さんは俺をめちゃくちゃにする。家雪さんはすごいなと思った。
読了ありがとうございました!
意味がないこと。
鬱になり、筋肉はすべてを解決するという言葉を信じて鍛えてきたが、勇者とかいうストレス激ヤバ職に就けられてド鬱な件。
あなたとわたし。
ひとりの夜はさみしかった。ふたりの夜は共犯で、三人の夜は冒険に終わり、四人の夜は探偵が死んだ。五人の夜は宴だった。
ミステリー研究会に入っているあなたとわたしは、ほかの部員といっしょに無人島の別荘に遊びにきていた。
ひどい二日酔いで目覚めた朝、長谷部部長がわたしのとなりのベッドで死んでいた。
外部犯に違いないと、戸締りをして、別荘で警察を待とうと言ったのはあなただった。警察に連絡したとあなたは確かにそういった。
N大学で探偵をしていると有名な先一郎先輩だけが、こんな場所にいてられるかと別荘の外へ飛び出した。
部長の部屋を外から調べていたらしいが、翌日、先輩は頭部を石で殴られた状態で死体として見つかった。
隠された地下室を見つけたのが、小説家の家雪しょうこだった。
死体が散乱する地下をスマホのライトで照らしていた。そんな家雪さんを背後からスコップで殴ったのがあなただった。
ライトが家雪さんの体の下でこもっている。
暗闇に包まれた地下であなたが家雪さんを殴る音だけが響いた。
わたしはいつあなたに殺されるのだろうかと思った。
あなたがわたしのとなりで部長に毒を飲ませたとき、わたしの酔いは完全に醒めていた。
あなたがわたしの部屋から先輩の頭上に石を落としたときも、わたしはいつあなたに殺されるだろうかと思っていた。
素足に飛び散ってきた家雪さんの血を感じながら、次こそはわたしだとわたしはあなたを待っていた。
あなたはわたしにスコップを渡した。
家雪さんはまだ生きていた。
わたしは彼女にトドメを刺した。
あなたはその場をあとにして、わたしといっしょに部屋で眠ろうとした。わたしの部屋には部長の死体がある。わたしはあなたの部屋に行ってあなたといっしょに寝ていた。あなたは死体のように寝て、ゾンビのように起き上がった。
わたしはあなたを殺すことになった。
言いくるめられてしまって、ふたりで死のうと言われた。まずあなたをわたしが殺して、わたしが後を追う段取りになった。
わたしは元々死にたかったから、べつによかったけど、あなたに殺されたかったのに……なんでこうなったのか……。あなたは直前までわたしを口説きたおしていたが、わたしはあなたの彼らへの復讐やらその発端やらぜんぶ聴き流していたので、なんの話か正直わかっていなかった。
わたしは言われるがままにあなたが首を吊るのを見た。
わたしのロープもそこにあった。
わたしは警察に連絡した。
警察の到着を待ち、わたしは無人島から脱出した。
犯人の自殺ということでわたしは無罪放免された。
一家無理心中からも、集団安楽死サークルからも、無人島密室殺人事件からも生き残るなんて……と七番さんはわたしの自己紹介にドン引きした。
さっき、あなたがたには殺し合いをしていただきますと、モニターに映る謎の男に言われたばっかりだった。
わたしは七番さんのとなりに立ちながら、彼女がひとりふたりとデスゲーム参加者を殺し、犠牲を出し、見放し、蹴落とし、裏切り、殺し、殺していくのを見て、あなたはいつわたしを殺すのかと、あなたはいつわたしを突き放すかと、嫌うかと、殺すかと、七番さんを見つめて――。
柔らかい雨。
螺旋階段の踊り場で目を覚ましました。
眠っている間に雨はどれだけ降ったでしょうか。わたしは足音を鳴らして階段を降ります。朝の青い影が細い手すりについています。
わたしは階段に住んでいます。住んでいる建物が階段そのものでできています。わたしが二年前にこの塔に入りました。この塔はとても高く、天井知らずです。ぐるぐると昇ってきて、まだ終わりがありません。
昨日はいつにも増して雨が降ったようでした。
少し降りたところで階段は水に浸されていて、わたしが寝て起きた踊り場も、数時間後には冠水すると思われます。
この水はただの雨水ではありません。わたしを上へ上へと追いやる雨水は、二年前からずっと透き通っています。なにを落としても、だれが沈んでも。
わたしは螺旋階段の踊り場で睡眠を取り、踏み板に座って本を読み、ときどき現れる窓にもたれ、滅んだ世界を見て生きています。
雨は一日として止むことはありません。
塔にてっぺんはありません。
見上げると次の踊り場の窓から朝日が差し込んでいます。ここは一体どこなのでしょう。
外では小雨が降っています。
わたしは石の壁を撫でながら階段を上ります。窓の外を見てみます。太陽が水平線の向こうにいます。ここはどこなのでしょう?
きらきらと小さな雨粒が太陽に光って落ちていきます。
窓から身を乗り出して、飛び降りるつもりでわたしは下を見ました。
そこには、陸も海も底もなにもなく、ただただ、透明な水と石の塔の肌がはるかに続いているのでした。
一筋の光。
くそっ……ほかに打つ手はないのか! ほかに、魔道具研究部の廃部を阻止する方法は、ほかに――。
唇を噛み締めた、そのときだった。閉め忘れていた部室の扉からあの男の声が滑りこんできたのは。
「――お話は聞かせてもらいましたよ」
おまえは……!