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4/17/2025, 7:50:52 PM

静かな情熱。















 先週末グランピングに行った。グラマラスかといわれると微妙だった。グラマラスなキャンピング、グラマラス抜き、寒さ厳しめ、設備ボロめ、っていう感じだった。

 山小屋から少し離れたところに便所があった。「便所」と書かれてあり、小便器と個室がひとつという具合だった。

 夜は案外明るかった。木々の奥こそ暗く、闇で行き止まりになっていたが、空は曇りで、灰色が見えて、小雨が降っていた。


「外から鼻歌を歌う女が近づいてくるかもしれませんが、それは怖さを紛らわすために気丈に振舞っているだけの私なので、警戒しないでください」

「外から開けてといってくる女が現れるかもしれませんが私は鍵を持っていっているのでそれは偽物としてやり過ごし、絶対に耳を貸さず、絶対に開けないでください」などと言いつけ、便所に向かった。

 父親が、そんなに怖いなら着いていこうか、といってくれたけど、さすがに情けないので震えながら行った。
 家族とのキャンプは久しぶりで、色んなことを話したけど、さっきのはさすがに口がすべった。洒落にならなかったかもしれない。昼間、ここで昔、自殺があったという噂話を聞いたばかりなのだ。

 物音ひとつない、静かな夜だった。
 怪談をすることで、恐怖におびき寄せられて怪異がやってくる、なんてこともあるんじゃないだろうか? お化けがいる、いる、と聞いたら、本当に思えて、枯れ尾花もお化けに見えてしまうような。あるいは、私のイメージが広まって本物の怪談になってしまうようなことが、あるかもしれない。

 私がああいったことで生まれる、近づいてくる、鼻歌を歌う濡れた女……。
 今日本当に、お化けを見てしまうかもしれない。
 そんな妄想していた。けどそれどころじゃなくなったのは外に出てすぐだ。

 足元が暗く、雨と落ち葉で道は滑りやすかった。
 便所は、車道から少し逸れ、少し降りたところにある。ここは川岸だった。お化けの怖さより、転倒の怖さが勝ったというべきか。そのころふっと気持ちが楽になり、怪異は出ないだろうと思いはじめた。なぜだろう? いや怪異をそれほど積極的に信じていたわけでもないけれど。なぜか、出るなら向こう岸だ、こちら側じゃない、と思った。

 死体を埋めに来た殺人鬼の気分だった。視界には白い息が上がり、落ち葉は雨で濡れ、しゃくしゃくと柔らかい感触を足裏に伝えた。懐中電灯で照らされた範囲は狭く、そこのコントラストが映像みたいで、ドラマや映画なら、ジャンルはホラーじゃないと思ったのだ。サスペンスか、ミステリー……。怖いのは、人間、って感じのやつ。

 鼻歌を歌わずに小屋に辿りついた。
 中は、寒くもなく、暖かくもなく、電灯の光で満ちていた。家族は顔も上げずスマホをいじってこちらを見てない。私は私自身が幽霊になったかのような、一瞬、陶然として、なにか風が通り抜けていったような、前もここに来たことがあるような不思議な心地がした。けれど多分気のせいだと思って、後ろ手に扉を閉めた。


 キャンプに行って泊まって帰った次の日、風邪を引いた。
 夢の中でわたしが持っていたのは斧だった。
 便所に行くときの、持っていた傘はなく、レインコートで視界に割り込んだレインコートの裾には、血が飛んでいた。

 ところで遠くから殺人鬼が鼻歌を歌いながらやってくるのはなぜだろう。
 こういうときに歌う歌はあらかじめ決めておくべきだった……と思いながら、私は斧を引きずって便所に向かう。
 私は高揚した気持ちのまま熱い尿を便器に叩きつけた。股を拭うと、そうしてまた元の山小屋まで引き返していった。


 川のこちら側は此岸であり、私は勝者であり、生き残り、怪異になる側なのだった。

 風邪のときに見る夢ってのは変なもので、自分で嬉々として歌を歌いながら、自分がこれから家族を殺すことになるのに恐怖しているのだった。役に乗っ取られたように身動きの取れない体でぶるぶると震え冷や汗をかきながら、なぜ歌うのか、なぜ自分で開けないのか、中の人間に鍵を開けさせるのはなぜなのか、なぜ殺すのか、なぜ家族なのか、込み上げてくる尿意と、髪を振り乱したくなるような衝動が、頭のてっぺんまでどうしようもない焦燥感として突き抜け、頭がくちゅくちゅしてきて、おかしくなって、ぼろぼろ、ぼろぼろと、仰け反りながら私は涙を流していた。冷たい雨の中で体をビクビクと痙攣させ、それでも一歩、一歩、山小屋へ足を前に進ませているのは、静かな情熱――殺人への、静かな情熱からなのだった。










4/9/2025, 9:01:14 PM

















 元気かな。
 春になると猫の子が産まれる。

 猫の赤ちゃんは、毎年産まれる。
 猫は、地域でかわいがられている猫で、でも去勢手術はしていないし、だれが餌をやっているのかもわからない。
 わざわざ口にはしないけど、でも、なんとなくわかるところがある。どこそこの家が餌をやっているとか、田舎だから、みんなほんの少しずつうちの子だと思っているし、みんなほんの少しずつ、うちの子だけど、と思いながら、他所が面倒見てるし、と思って、見放している。


 猫は毎年死ぬ。
 産まれて間もなく、車を避けきれないのが、毎年いる。
 猫は、野良だし、名前も家によって違うし、田舎だから、だれも気にしないみたいで、坂の上のおばあちゃんが、可哀想にねといって、話してくれた。
 飼っていた猫のこと、犬のこと、お母さんからは、メダカのこと、トンビのことも聞く。
 トンビは、野良猫に餌をやるときを狙って、やってくる。勝手に餌をとっていくので、飼っていたとはちょっと違うけど。うちには家族がたくさんいた。猫は、野良のときもペットのときもあったけど、つねにいた。


 引っ越してからも、焦げ茶色の猫を飼っていた。
 お母さんは、変な人で、猫派と犬派、どっちなの? とわかりきっているかに思われることを聞くと、犬派かな、とかいった。
 代々、猫を飼って、わかりきっていると思っていたのに、ありえない人だなと思った。衝撃的で、お父さんにも告げ口すると、お父さんも、あれだけ飼ってるのに! といっていた。お父さんはお母さんのありえない話が好きだ。新居で猫を飼いたい、といいはじめたのは、お母さんだった。


 また次に、猫派と犬派、どっち? と聞くと、これまたおかしいことに、猫派だといっていた。前の質問から二、三ヶ月経ったかどうかのときだった。
 前は犬派だったけど、猫派になったのよ、とかいって、前もこの質問したんだよというと、覚えてるよといわれた。覚えているのに、またまた、わかんない人である。「だから前、犬派っていったでしょ」とか「今は猫派。猫ちゃんがいるもんねえ〜」とか続けてしゃべっている。
 私は猫派である。猫は絶対で、すばらしい存在だから。


 春になると、猫の子が産まれる季節だと思う。
 今住んでいるあたりは少なく、子猫の死体も見たことがない。
 それでも、数週間前から白い猫が現れるようになった。


 昼間に見かけたときは白猫に見えたが、夜、窓から見ると、白に茶色のぶちだった。夜にやってくるので、夜に挨拶している。
 雌猫である。
 猫が鳴くと、うちの猫が反応して、廊下を駆け回ったりしている。ほかには、耳を立て髭をぴくぴくしている。または無視している。猫はふしぎで、大騒ぎしているときとあれば、私のとなりで寝ているときもあり、なんだかまばらだった。雄で、去勢手術済みである。


 私は、表の猫に、可哀想にね、と声をかけている。
 うちの猫がぬぼーっと寝ていたりするので、私のほうが窓に駆け寄って、窓越しに挨拶をしていたりする。
 白い毛並みなのでそれなりに暗闇でも見える。鳴き声は、本当に切なそうで、本当に可哀想である。可哀想と思っている。猫のことはよくわからない。猫自身は可哀想と思っているのか。車道に出てしゃがれた子猫は、産まれてくるべきだったのか? 可哀想なんていっていいのか。いっているとき、私はあの、坂の上のおばあちゃんになる。気持ちが、まばらに外に出たがる雄猫を閉じ込めて外の猫には窓ガラスに額をくっつけ、哀れんで声をかけているとき、私は老いている。人間は愚か。猫に比べて。とくに老人。
 でも同時に子どもに戻っている。鳴いているのがなんかおもしろいから。


 お父さんは夜勤で、暗闇の中、猫と戦っている。うちの猫は、玄関の引き戸を、器用に開けて脱走することがあり、静かに入りたいお父さんと、隙を見て出ていきたい猫で攻防が起きている。
 あるとき、外であの雌猫の声がして、お父さんが、まさかうちの猫が脱走したのかと、外に出ていったことがあった。当然外にはなにもいない。雌猫は逃げていた。雄猫は家にいる。玄関に鍵はかかっていたし、お父さんは首をひねりながら、のそのそと家に入ってくる。私は午前四時半、布団の中で、耳をそばだてている。お父さんが部屋に入って、おっ、と声を上げた。
 多分、うちの猫は、お父さんの部屋に元々いたんじゃないだろうか。
 お父さんは、深夜に猫を追いかけていけるので、真の猫派である。


 お母さんは、お父さんをおちょくった話が好きなので、六時半に起き出して、私から話を聞いて、ひいこら笑って、ひいひい笑い転げて、椅子の背もたれを折った。
 お父さんは眠っていて、お母さんは仕事に出ていった。私はもう一度、眠りにつこうと思っている。









2/27/2025, 12:26:56 AM













 充電がゼロになるまで。
 そう決めて、そうならないとわたしの一日は終わらない。スマホに入ったアプリはぜんぶ、返信がくるまでの暇つぶしだ。今日はあと何回、返信がくるだろうか。
 充電残量をカウントダウンする。あと十四パーセント。二十五時十六分。今日のメッセージ総数は三回。あと何回、くるだろうか。

2/26/2025, 1:03:39 AM

さぁ冒険だ。













 小さなころはツツジを秋の花だと思いこんでいた。

 春の花だと知ったのは、中学生のころだ。実際に咲いているのを見て春だと思った。なんでこれが秋の花だと思ったのか。見れば見るほど春の花だ。春のちょっと黄金っぽい日差しを浴びて、ピンクの花弁が輝くようになっていた。これが祖母の家の庭でのことだった。

 小さなころはこの時間、兄と、姉と、その友だちといっしょに遊んでいた。わたしは大抵、お荷物なので嫌がられていたが、母親が混ぜてあげて、と兄と姉にいって預けるので、厚かましくも着いていった。

 わたしは自転車に乗れない。兄、姉の友だちはみんな自転車で来ていた。田舎なので、一番近くの公園までも遠かった。兄、姉が通う小学校まで行くことになった。うちの自転車は一台だったから、兄と姉はいつも交代して乗る。兄と姉のどちらかは、わたしといっしょに歩道を走った。

 五歳のころの話で、しかも徒歩だったから、小学校はすごく遠く感じた。
 ちょっとした冒険だった。
 今この話をしたのは、その小学校にある来賓用駐車場脇の花壇に、ツツジが植えられていたからである。

 小学校で遊んでいたべつの子たちとも合流して、兄と、姉と、その友だちは、二、三のグループに分かれて遊びだした。
 兄たちは校区内をぐるぐるサイクリングをしに、姉はすぐとなりにある保育園へ遊びにいった。保育園は延長保育をしていて、夕方になっても園内に子どもがいた。
 わたしは休んでいるあいだに置いていかれて、姉のバスケクラブ仲間のお姉さんと学校で待った。

 夕方五時のチャイムが鳴って、こんな時間に、こんな遠くにいたことがないから、不安になった。
 来賓駐車場近くにはまばらに人がいて、一輪車を乗る子が通りかかったり、草を抜いて遊ぶ子がいたりした。

 兄や姉はわりとすぐ帰ってきたと思う。
 それから帰ろうという話になったけど、わたしは本当に帰れるのかなと思った。まだ学校に残るという人たちもいる。まわりに大人はいないし、怖くないのかなと考えた。行きは姉が走ったため、帰りは兄が走ることになった。兄と並んで走っても、わたしは置いていかれるばかりになる。でも、自分で着いてくるって決めたんだから、なにもいえない。

 実際には、小学校は近かったし、春の夕日は思ったより明るかった。なんでもないことだったけど、わたしは不安になって振り返った。
 何人かの子が花壇の縁に乗って、綱渡りをするように歩いていた。
 日はだんだん暮れていく。
 近くの山に夕日がかかって、辺り一帯が影に覆われた。
 学校のツツジはみんな濃いピンクで、影にあるとにわかに禍々しく見える。

 兄と、姉と、その友だちとに、置いていかれそうになりながら走って帰る。
 このときの、不安な気持ちが、もしかしたらツツジを秋の花に思わせていたのかもしれなかった。




2/17/2025, 3:54:46 AM

何個か前のお題です。








 犬のために貧乏をしていることで有名な先輩がいて、それがわたしの好きな人だった。
 犬派ですか? 猫派ですか? と分かりきった質問をして甘えていると、先輩が、猫派かな、と言い出して、この人うそみたいな人だなって思った。百瀬さんもそうでしょ、といわれたけど、なにをもってそう思ったのか、わたしはまったくの犬派である。
 それから十年経ち、社会人になって、結婚したわたしは犬を飼うことになる。貧乏だったら飼わなかったと思うので、やっぱり犬のために貧乏をしたあのころの十夜先輩はおかしかったと思う。
 寝室から起きてきた髪も顔もぐしゃぐしゃのわたしを見て、その十夜さんが、猫みたいだね、といった。
 わたしは、十年越しの謎が解けたような、それとも深まったような、たじたじした気持ちになって、その場に立ち尽くした。

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