「銀色と金色の向こう」
午後四時半。
防災行政無線のチャイム。
夕陽に照らされて、銀色と銀色に輝く穂が風に揺れている。
幼い頃、それは自分の背丈よりも遥かに高いと思っていた。
向こう側の景色が見てなかったから。
だけど今は、向こうから彼女が歩いて来るのも見える。
「今帰り?」
「あぁ」
進学した高校が別々になっても、この時刻、この場所でなら彼女に会える。
それを知ってから、色々と調整して偶然を装っているのだ。
「すごい夕焼け」
そう言って彼女はスマホを取り出す。
ススキ越しの空は五分前とは別の色をしていた。
────ススキ
「会えない間に」
ちょっとくらい、いいかなぁ。
みんなやってるし。
ふと頭に浮かぶのは、あの子の声と怒った顔。
思い止まって、振り返る。
そこにいるはずないのに。
もう会えなくなって何年も経つあの子。
もう辞めてしまおうかな。
長く続けている習い事や勉強がうまくいかなくて放り出したくなったとき、あの子の声と笑顔を思い出す。
次に会ったとき、恥ずかしくない自分でいたい。
そう思って、何年も過ごしてきたんだ。
ちょうどそのころ、あの子も同じように頑張っていたことは、知らないまま。
────脳裏
「顔が好みでも趣味が合わない」
「そうか。じゃあ君はパン屋になりたいんだね」
「……え。そんなこと考えたこともないですけど」
「パン屋になりたいからパン教室に通っているんだろう?」
「いえ。そういうプロになりたいわけではなくて……」
「プロになるつもりもないのに、金払って習いに行ってるのか。君は浪費家なんだな」
「はぁっ?」
※
「──と、いうわけでさ、頭にきたから時間前だけどそのハイスペイケメンとの話打ち切っちゃったよ」
婚活パーティーのあと、どうもムカムカが収まらない私は、近くに住む親友に連絡した。
「うわぁ。その男ないわー」
「でしょー。向こうも私のことナイと思ってるだろうなーと思ったんだけど、最後のマッチングコーナーで私の番号掲げてたんだよ。意味わかんない」
テーブルの上にある、注文パネルで焼酎を検索する。
呑まずにやってられるか!
なぜ、初対面の男にパン作りの趣味をお金の無駄だと言われなければならないのだろう。
プロになりたいわけでもない人はパン教室に行ってはいけないの?
そんなわけあるか。
「パン作りの醍醐味は、自分でこねて形作って……焼きたて出来立てのパンが食べられる、ってことなのにねー」
私にパン作りをやってみないかと勧めたのは、この親友だ。
彼女は学生の頃からパン作りをしているが、パン屋になりたいと思ったことは一度もないという。
「そうそれ。私が通ってるところは『おうちで焼きたてパンが食べたいから』っていう理由で来てる人ほとんどだし。ていうか、そもそもプロ志望者向けの教室じゃないし!」
タッチパネルで揚げ物を検索。
アジフライを発見。カートに入れる。
「楽しいからやってる、それが趣味ってやつだと思うけどなぁ」
そう呟き、親友がタッチパネルを覗き込んだ。
「はーあ。今日の婚活パーティー、意味なかったなぁ……無駄にムカついただけだった」
「いや、顔が好みでも趣味合わないとダメってわかったんだから、収穫ありでしょ。あ、ハイボールおかわりお願い」
親友のこういうところが好きだ。
────意味がないこと
「どうして私に構ってくるの」
学校での私は、親しみやすい良い子ちゃんに擬態している。
平均から外れないように。
みんなの輪から離れないように。
そればかり気にして、気を使ってる。
言いたいことを我慢してるし、やりたくないことをすることも少なくない。
だから、出会ってすぐに私の本音を暴いた、あの転校生の男子は危険人物。
近づかないようにしよう。
そう思っていたのに。
なにかにつけて私に絡んでくるのは、なんなの。
もしかして「おもしれー女」認定されてる?
いやいや、普通に接していただけだし、本音と建前使い分けるなんて誰でもやってることのはず。
鏡の中の自分を見つめる。
一目惚れされた可能性は……うん、ないよねぇ。
────あなたとわたし
「進みが遅い季節は別れが近づいていることを実感させない」
厚い雲が所々途切れ、その雲の隙間から太陽の光が街を照らしている。
だから、外に居ないと気が付かないのだ。
音もなく地面が濡れていることに。
「まだ紅葉見頃じゃないなんて」
この時期まだ暖かいインナーを着ていないなんて初めて、と彼女は呟いた。
「初雪もまだみたいね」
そう言う私も、いつもなら薄手のコートを羽織っている頃だ。
季節の進みが遅いと、勘違いしそうになってしまう。
それぞれ別の道へ進む、その日があと何日なのか。
あと何回、ふたりでこの住宅地を、このいつもの道を歩けるのか。
「じゃあ、おやすみー」
「うん、おやすみー」
まだ太陽が出ていても「おやすみ」と言って別れる。
私たちは何の疑問も抱いていなかったけど、東京では夕方別れるときに「おやすみ」なんて言わないのだと上京した兄が言っていた。
そして、都会ではお天気雨が珍しいということも。
あと何回、私たちはこの街ならではの風景を一緒に味わえるのだろう。
カレンダーは残り二枚。
────柔らかい雨