「私を困らせて楽しいのは貴女だけです」
「あんたのそういうところが嫌いなのよ!」
ヒステリックに彼女は叫んだ。
そうは言われてもなぁ……
仕事に私情を持ち込まないでほしい。
上司に「ふたりで話し合え」と言われたが、歩み寄りというものは、お互いにしないと意味がないと思う。どちらか片方だけではダメなのだ。
それに、こちらの話を聞く気もない人と冷静に話し合えるわけがない。
だけど、これだけは言っておかねばならない。
「私のことをどう思おうが貴女の自由です。私のことを『死ねばいいのに』と思っていても、私は全然構いません。ですが、業務に支障が出るようなことはしないでください。私を困らせて楽しいのは貴女だけです。貴女が私に業務上必要な連絡を怠った結果、他の部署との連携に影響が出てしまいました。今回は社内だったので、まだいいです。もしこれが取引先だったら会社としての信頼に関わると思うのですが────」
落語の『大工調べ』の啖呵のごとく捲し立ててしまった。私だって貴女のことは正直嫌いだ。それを言えたらどんなにいいか。でも私はそんなことはしない。仕事に私情は持ち込まない。
だが、今回、いくらなんでもマズイだろうということが起きたので、言いたいことは言った。
これで彼女が態度を改めてくれれば良いのだけど……そんなに甘くないか。
────好き嫌い
「駐車場で遊んでいたこと」
少し遠くに高層ビル。
その手前にマンションやらビルやらが見える住宅地。
遊び場は駐車場。
公園に行くには大通りを渡らなければならない。
子供たちだけでそこに行くのは危ないし、日中はほとんど車の出入りがないから、みんな駐車場で遊んでいた。
問題は、すぐに吠えて噛み付く犬の散歩コースだということ。
その犬が来るとみんな逃げる。一目散に逃げる。
たまに逃げ遅れて追いかけられたり、噛まれたりしていた。今から思うと、飼い主は何してたんだろうと思う。
駐車場だから、ボール遊びは出来ない。
せいぜい缶蹴り。
ドロケイが多かったかな。
あとは、隅にある椎の木に登ったり。
たまに駐車場から出て、家と家の間の狭い空間をすり抜けていく、探検ごっこ。
今から思えば不法侵入だ。
塀を乗り越えようとしてスカートの裾を破いたこともあった。
地面に書いた絵をバケツに入れた水で消して、バイバイ。
静かにしていると聞こえてきた、路面電車の音。
今はもう、軽くて静かな音に変わってしまった。
それでも、高層ビルと、煌びやかで鮮やかな光、路面電車を見ると帰ってきたと思う。
どんなに他の建物が変わってしまっても。
あの頃仲が良かった子たちが、この街にひとりもいなくても。
────街
「決める勇気」
とくに得意ということがなく、逆にすごく不得意なこともない。
自分の長所も短所もよくわからない。
自分がどうしたいのかが、わからない。
本当のことを言うと、やりたいことがありすぎて、どれを選んだら良いのかが、わからないのだ。
親の跡を継がなければならないヤツが少しだけ羨ましい。継ぎたくないって言ってるあいつには絶対言えないけど。
失敗したくない。
だけど、得意なことが特にない自分は、どの道なら、うまくいくのかわからない。
道を間違えるのが怖い。
外に出なければ、迷子にはならない。
ドアの前で立ち止まっている。
こんな感じだから、他人から見たらやりたいことがないように見えるのだろう。
決める勇気がないだけなのに。
────やりたいこと
「雨戸のない部屋」
眩しさに目を覚ます。
いつもなら起き出す時間だ。
日曜日。
試験も終わり、バイトもない。
雨戸がない西向きの部屋にも少し慣れた。
隣で眠る遠距離恋愛中の彼女が身じろぎする。
眩しいのだろう。もぞもぞと頭を布団の中に入れていく。
久しぶりに会えたのだから、どこかに行きたいし、色々なことを話したい。
だけど、もう少しこのままでいたいとも思う。
あと五分……
いや、十分。
君が目を覚ますまで、このままで。
────朝日の温もり
「柵(しがらみ)」
運命なんて、自分ではわからない。
いつ命を落とすのかもわからない。
数分の差で、そのあとの人生が変わってしまうかもしれない。
それなのに、普段はそんなこと気にしないで生活してる。
「本当は、やりたいこといっぱいあって……たぶん、何年生きても足りない」
だけど、親に決められたレールの上を歩くことになりそう、と彼は言う。
人の寿命なんて誰にもわからない。親よりも長く生きられる保証なんてどこにもないのに、親のために生きるの?
しがらみも、立場も気にしないで、自分のためだけに生きてほしい。
そう、言えたら……
他人の私には、黙って見守ることしかできない。
────岐路