いつからが春だろうか。
3月から5月を指すのだろうか。
そうかもしれないが、何かが違う。
寒い3月は冬だし、暑くじめつく5月は最早梅雨だ。
寒くもなく、暑くもない時期だろうか。
そうすると、最近春は大変短くなってしまったと思う。
四季というほどだから、もう少し等分していてほしい。
桜が咲いている時期のことだろうか。
そうかもしれない。
しかし、この狭い日本列島の中でも時期が違いすぎる。
故郷は新学期に少し馴染んだ頃に咲いていたはずなのに、
この東京という街では4月も上旬に咲くらしい。
春だと思った時が春なのだろうか。
卒業や入学が終わっても、桜が散ってしまっても、
暑かろうが寒かろうが、あなたが春だと思った時が、
春なのでしょうか。
きっとそうだ。
出会いと別れを繰り返す人生の季節は、
いつだって春なのだ。
まだ青臭く行こう。
お題「春爛漫」
金は価値を共通化するものだ。
ヒトによって欲しい物は異なるし、購入とは、
その製品にその金額の価値があると認めることだ。
従って、金自体に本来価値はない。
金程度しか大事にできないのなら、
自分を恥じるべきだ。
お題「お金より大事なもの」
大好きな君のためを思って、
君の望みを聞くよ。
大好きな君が離れてほしいと云うから、
君から離れていることに決めたんだ。
大好きな君へ、僕の最後の願いだ。
どうか笑顔で居続けてくれ。
こうして僕は
ただの一匹のおひとよしになった。
お題「大好きな君に」
昔住んでいた町に足を運んだことがある。
あの頃から大分変わってしまって見えた。
時代相応に発展しているという良い面もあれば、
あの頃の情景はもうどこにもないのだという寂寥も
同時に胸の中を渦巻いていた。
そして、一番変わってしまったのは私自身だと気付いた。
その時ばかりは、時間がとても残酷に思えた。
無慈悲な時を私達は生きている。
私達の生活が時間に区切られているのではなく、
時間という巨大な龍の鱗の上で、
私達あくせく動いているだけと思えるほど、
時間そのものは全く揺るいでくれない。
その中でヒトが喜んだり憂いたりするから、
ひとつひとつの鱗が玉虫色の光彩を放って、
美しく見えるのかもしれない。
お題「遠くの街へ」
私からは遠くの、石川県に思いを馳せて。
一期一会とはよく言うが、
私の言葉にすると、出会いとは衝突だと思う。
出会いたくもない奴ほど何度も勝手にぶつかってくるし、
一度しかなかった縁を、もう一度、もう一度と
手繰り寄せる様は、まるで実験の再現性を確かめる
物理学の検証のようだ。
この世の中、ひとは簡単にいなくなる。
だからこそ、意図の如何に関わらず、衝突していくことと
その一つ一つを大切にすることに意味がある。
翻って、別れや音信不通などの衝突しなくなった状態は、
私の中では死に等しい。
例えば、墓の中のひとは、帰省したり、
墓の前に立って初めて存在を思い出す。
写真の中の笑顔だけで、声や性格は思い出せない。
これは、昔住んでいた町の住民等も同じではなかろうか。
顔を見れば思い出せれど、あなたがその町で
思い出して探さなければ出会えはしない。
声も性格も、何も、ひとりでに思い出すことはない。
私が嫌なら、どうぞ離れてお行きなさい。
連絡を寄越さないうちは、君を僕の鬼籍に入れておく。
お題「君は今」