愛とは何か。
恐らく私も誰かを愛することはできる。
だが、本当の愛とは、相手を慮ることを言うのであって、
決して自らの情欲に基づいた動作を指さないはずだ。
そこまでひとを愛することができるか。
…正直できる気はしない。
だが、私は誰かの愛のおかげで生きているはずだし、
身の回りのひとくらい幸せであって欲しいと
思ってしまう性分だ。
私はあなたを認める。
あなたはここにいて良いし、
私の文程度で救われるのなら、いくらでも読んでほしい。
第一歩としてこの程度だろうか。
ひとの心はわからない。
わからないなりに、多少は寄り添おうとしたつもりだ。
お題「Love you」
そして何より、あなた自身をご自愛下さい。
同情は傲慢の裏返しだ、唾棄すべき行為である。
同じ気持ちになってやったつもりになって、
可哀想だね、君の気持ちはよくわかるよ、だなんて
云いながら、心の何処かでは相手より優位に立っている
ことに安堵や優越感を覚えるのだ。
深く悩む者の前では、目線を合わせてやるだけでよい。
ひとの心に土足で入るべきではないから。
お題「同情」
枯葉が舞う頃は心が踊る。
何故かは分からないが、地面にへばりついている落葉が、
意を決したように踊り始める風の日が好きだ。
金木犀はとうに咲き落ち、
雪が降るようで降らないような、
コートが要るようで要らないような、
そんな晩秋に僕は生まれた。
だからだろうか。
お題「枯葉」
毎日の終わりに自問する
こんな日で良かったのか、と。
正直、毎日そんな辛気臭い訳では無いが、
これが、一日の供養の仕方かもしれない。
名のない日はない。何も為せぬ日もない。
いずれ忘れてしまう毎日に花を手向けて。
お題「今日にさよなら」
私はヒトの感情に詳しくはないので、
好意を執着と読み替えて理解したつもりになっている。
好きは好きで特に害があるわけではないので、
それこそ各自で好きにすればよいと考えているが、
それが何かを縛る枷になってはならない。
例えば、
推しのピックアップガチャは出るまで回す、とか
好きなアーティストのライブだから行かなきゃ、とか
あいつの好きなものだから嫌い、とか
好きなひとの好きな物だから、話題を合わせるために
好きになる、とか。
私も好きな物は独占したくなる。
どうやらこの部分はニンゲンと同じらしい。
(大変恨めしい問題だが。)
故に、音楽や料理のお気に入りはあるが、
生物は、好意を持つべきでないと考えている。
それが自分以外の者の手の内にあるとき、
嫉妬心で自分が正常な動作をしなくなるから。
お題「お気に入り」