明日のことすらわからぬ我が身に、
未来を語ることなど出来ない。
ただ、過去の私に対してはいくらでも言える。
君の熱意や悩みが今の私を形作るのだから、
どうして君を否定できようか。
自由闊達と傍若無人の間で、藻掻き抜くが良い。
お題「10年後の私から届いた手紙」
犬と猫はよく引き合いに出される二大巨頭だ。
どちらが好きかという議論もあれば、
どちらに似ているという話題もよく上がる。
私の家族は滅法犬派だ。
言いつけを守る賢さがあるし、
社会性も持ち合わせている。
子供の遊び相手としても適切だ。
猫を飼ったことはないが、
触ると怒ったりすり寄ってきたり気まぐれで、
ひとの言うことは聞かずに家具を引き裂く、
そんな先入観を覚えている。
而して、私は犬から数多くを学んだと思っている。
ひとの指示を聞いたほうが楽だし、
やられて嫌なことはやらない方が相手の信頼を得られる。
だから、
ひとの機嫌を損ねず、待てと言われたら延々と待つのだ。
言いつけを守ることも美徳の一つとして。
たとえそのひとが戻らぬとしても。
お題「待ってて」
共感を得られるひとだと、あなた自身は思っていますか。
例えば、あなたの身近であった楽しい話や辛い話を、
他のひとに話せば、理解してくれますか。
残念ながら、私は共感を得られにくいと思っています。
そもそも、小難しいのです。
例えば、ブロッコリーは嫌いだが、
マヨネーズと合わせれば食べられる、とか。
鮭は大好物だが、ムニエルだけは絶対に食べない、とか。
そういう込み入った話を、共感してくれません。
嘘だと思う方も居るでしょう。
今の話も、"文章を"理解してくれるひとが少ないのです。
つまり、「私はマヨネーズ付きのブロッコリーは好き」や、
「ムニエルは嫌い」などと、
曲解したり一部だけ記憶に残したりしてくれるのです。
それでいて「わかる〜」と、軽率な相槌を漏らすのです。
そんなひとたちには、「私」を理解されなくて結構です。
寝ぼけ眼に映る薄暮の世界の静寂や、
標高1500mの霧中の神社への畏敬や、
旅の帰路に襲う満足感を伴う悲哀も、
理解していただかなくて結構です。
それでも
理解されないと諦めながらも
理解されたいと願ってしまう
これだけ文字を重ねて
ようやく伝わるかもしれない
私の虚しさについてのお話でした
お題「あなたに届けたい」
望めば全て手に入るだけの財力は
誰しも羨ましがるものだろう。
私だって欲しい。
しかし、皆望みを叶えてしまうから、
財そのものの価値がきっとなくなる。
そんな世界で、一体何に価値を見出すのだろう。
きっと絵画や音楽が、今と変わらず
多くのひとびとが欲しがるものとなるだろう。
いわゆる芸術ってヤツだ。
芸術ってヤツは、どういう評価か分からない。
生み出された作品の良し悪しだけなのか、
それとも、生み出す過程の苦しみが作品を昇華するのか。
そんな世界で、自分に一体どんな価値があるだろう。
そこには、血と泥に塗れてでも生き抜こうとする
鏡合わせの自分がいた。
お題「こんな夢を見た」
宵の内
緩む口元に
よく似たり
お題「三日月」