誰かと出会ったり笑ったりしたくなるのは、
ニンゲンが社会的な生物である証左だろう。
誰かと居ると、下らない私の癖や信条がために、
そのひとに嫌な思いをさせることがある。
自らをより良くするために、自らを変えるとしよう。
建付けが甘かったらまさしく仮面、
脱げたときに問題になる。
かと言って外せぬ様に固定するのは難儀だし、
それを果たして自分と呼んでいいのか疑問が残る。
従って、私は私を変えることを望まない。
では、ありのままの私を愛してくれるひとりがいれば、
私の胸に空いている穴も満ちるのだろうか。
答えはきっとYesだが、それは絵空事だ。
誰かの身勝手を全て許容するなんて、私はできないから。
従って、私の身勝手を許容する誰かは存在しない。
それでも、存在するはずのない誰かを求めることを、
恋に恋する、とでも言うのだろうか。
この世を笑顔で生きてみたかった、
「君と一緒に」。
一年の計は元旦にあり、とよく言うが
計画を立ててその通りに実行させた記憶などない。
ひとの熱意が一年未満で腐ってしまうならば、
面白きこともなき世をおもしろく、程度の目標が
丁度良いと思われる。
お題「今年の抱負」
いつも通り。
邪教徒のくせに、聖なるキリストを祝うと
敬虔な一神教徒に殺されちまうからよ。
聖戦だなんだ云ってる連中だ、信じちゃいけない。
お題「クリスマスの過ごし方」
たとえば、酒を呑んだとき。
くだらないことで馬鹿笑いする自分を卑下するとき。
たとえば、衰えを感じたとき。
昔はあんな事もできたのに、と今の自分を悔やむとき。
たとえば、老獪さが出たとき。
利己的に他のひとを傷付けても、躊躇しなくなったとき。
たとえば、ひとりでいるとき。
ひとと分かり合えないと悟りながら、
それでもひとの温もりを求めてしまうとき。
たとえば、こういうとき。
痛みや悲しみに慣れて、何も感じなくなったとき。
お題「寂しさ」
春に出会った。
夏に温めた思いをようやく伝えた。
秋に思い出を沢山作った。
冬は一緒に何をしようか、考えていた
のに。
お題「冬は一緒に」