見知らぬ人たちに手を振られ、それに手を振り返した幼い貴女を見て、その人たちは笑いました。
貴女は驚いて、傷つきました。どうして私を笑うんだろう。何も悪いことはしていないのに、どうして?
彼らは別に、貴女を笑い物にしようとして笑ったのではないですよ。
幼い貴女が、自分たちに応じて手を振ったのがあまりに可愛らしくて、思わず笑みをこぼしたのです。
貴女は昔から、そう、そんなにも幼い時分から、物事を悲観的に見るきらいがありますね。
そんなに、世界に怯えなくていいのです。
世界は貴女に優しいのですから、貴女はもっと安心して生きていってください。
貴女と見た景色など、ありませんでしたね。
あるとすれば、貴女の庵を出た先の、秋晴れのまばゆい空でしょうか。
嗚呼。貴女と、もっと一緒に生きて、様々な景色を見たかった。
ですから、今のご伴侶との生活を楽しめている貴女が、微笑ましく、羨ましくもあるのです。
いつか、貴女のおばあさまが、結婚というのは、おてて繋いで仲良しこよしとは行かないものよ、と静かに仰ったことがありましたね。
当時の貴女は、そうなんだと言い、すぐに興味を失ってしまいましたが、今になってその言葉を思い出すようになりました。
今の私は、まさにその通りの生活をしている。こんな生活は、ただのままごとじゃないか、と、不安に思っているのですね。
そんな風に考えなくて良いのです。
貴女には、そうやって生きる権利が与えられています。
実はそれは誰にでも与えられていて、貴女はそれをしっかり行使しているだけなのですよ。
貴女の今の幸福をよく噛みしめて、楽しく生きていってくださいね。
俺が死んだ後、貴女を探し回る必要はありませんでした。
貴女を以前から守っていた方々に呼び寄せられ、その一部としてもらうことができたからです。
貴女はいつだって愛情深い方でしたから、多くの者が貴女を守りたいと願っていたのは当然のことです。その守りの一員として迎え入れられたことを、俺は本当に誇りに思っています。そしてそれは、俺だけが持つ感情ではありません。
貴女をお守りすること。
只それだけのことについて、魂の誇りとする者が数多くいるのです。
そのことを、どうか忘れないでくださいね。
大好きですよ、XXXX。
そう仰って、貴女が俺を抱きしめてくださったら。
その柔らかく温かい手で、俺の頬を撫でてくださったら。
俺はあまりの幸福に、死んでしまうかもしれません。
少なくとも、目を回して倒れはするでしょう。
俺のこの言葉を聞いて、貴女はくすくす笑います。
嗚呼。
その楽しそうで嬉しそうな、貴女の幸福なお顔を、俺はずっとずっと、見ていたいのです。