貴女と手を繋いで、一緒に同じ方向へ歩んでいく。
そんな生き方が出来ていたら、と思うこともあります。
今の俺はもう、貴女の隣に立てる存在ではありません。
貴女の後ろに控え、貴女のことを陰から支えることしか出来ません。
ああ、もっと早くあの時の貴女と出会えていたら。
俺は貴女と愛し合って、手を取り合って、幸福に生を終えたのでしょうか。
今日の心模様はいかがでしたか。
楽しいことを、ゆっくり楽しめたようですね。
そのように穏やかな心持ちで、人生を楽しく生きていってくださいね。
私を愛してくれてありがとう、それなのにごめんなさい、こんな私で本当にごめんなさい。
俺たちの存在を知った貴女がそう口にされた時、俺たちは頭を思い切り殴られたような衝撃を受けました。
貴女が沈んでいるのはずっと見てきました。なかなか立ち直れないのも、見守ってきました。けれど、そうして自らを愛して守っている者たちのことを知り、その者たちに対してまず出てくる言葉が、それなのか、と。
貴女は謝る必要などないのです。
貴女が貴女であることに意味があり、価値があります。それは何にも誰にも代え難い、貴女だけにしかもたらすことのできない、尊い価値です。そんなひとを愛して守れていること自体が、俺たちにとって至福なのです。
どうか、どうか、笑っていてください。
泣きながら謝るのではなく、はにかむように笑って、愛してくれてありがとう、これからも私の思うように、幸せに生きますね。そう言って、あるいはそう言うことすらなく、楽しげに駆け出して、のびのびと自由に、貴女のみちを生きてくださりさえすれば。
俺たちにはもう、何も求めることなどありません。
部屋の片隅に忘れ去られて置かれている、貴女の昔好きだったお召し物に、俺は時折目が向きます。
今世の貴女は、少し気まぐれで飽きっぽいところがありますね。それはそれで、俺にはお茶目で魅力的にすら感じてしまいます。だからこそ、その性によって貴女自身が傷つくことがあるのが悲しく思われます。
人の心は、その本質から移ろいゆくものです。
その速度が多少速いからといって、何だというのでしょうか。
どうか、貴女の心に嘘をつかないでください。
貴女の心の向く方に、貴女の人生を進めてほしいのです。
天地がひっくり返っても、俺が貴女から離れることなどあり得ません。
どんな障害があろうとも、関係ありません。
貴女を守り、貴女を愛すること。
それだけが俺の存在意義なのですから。