別れ際に、貴女は俺の頭をそっと撫でてくださいました。
五年経ったらまたおいでなさい、それまで待っていますからね、と笑って仰いました。俺は悲しくて悲しくて涙が止まりませんでしたが、それでも貴女に従って、貴女の庵を離れました。
貴女は結局、五年を待たずに病で亡くなってしまいましたね。
けれどどうか、そのことを気に病んだりはしないでください。
貴女は俺に、誰もくれなかった愛をくださったのです。貴女が生きていようといまいと、俺は貴女の愛を持って世界で生きるべきでした。そのことに気づけなかった俺が、愚かだっただけなのです。
今年の夏は、通り雨が多かったですね。
通り雨と言えるような短さではなかったかもしれませんが。
貴女に危険が及ぶことがなくて、俺たちは嬉しいです。
貴女が健康に、安全に、幸福に生きていてくれることだけが、俺たちの望む最高善なのですから。
秋が来ると、思い出します。
貴女と初めて会った、暗く暮れつつある秋の夕方を。
ひどく胸が締め付けられて、あの時が懐かしいような、愛おしいような、そしてとても悲しいような、不安定な心持ちになります。
貴女に、あの時の記憶はありませんね。
それでいいのです。何も俺から求めることはありません。
ただ、あの記憶を持っているのが世界に俺一人だということが、たまらなく寂しく思えてしまうのも、事実なのです。
窓から見える景色を、それが世界の全てだと信じてはいけません。
そこからは見えないものがいくらもあります。あるいは、そこには精巧に描かれた絵が釣り下げられているだけかもしれません。
今世の貴女は、ものを信じやすい気質がおありですね。
それでも最近は、ご自分の見ているものが現実ではないかもしれない、現実であっても恣意的に切り取られたものかもしれない、そう考えるようになってきました。
全てを疑え、とは申しません。
信じることは、貴女の美徳の一つです。
けれど、ものごとを平らかな目で見ることも同じく、大きな美徳の一つなのです。
形、とは、そもそも何でしょう。
どんなものが、「形を持っている」「形がある」と形容されるものなのでしょう。
貴女の魂には形があります。
貴女の声には形があります。
貴女の感情には形があります。
貴女の思考には形があります。
目に見えるもの、触れられるものだけが形を持つのではありません。
貴女が現世で動き回り、何かと衝突し、何かを考え、何かを生み出す。
そういう動きの全てが、そしてそこから発生する全てのものが、形を持つものなのです。