秋が来ると、思い出します。
貴女と初めて会った、暗く暮れつつある秋の夕方を。
ひどく胸が締め付けられて、あの時が懐かしいような、愛おしいような、そしてとても悲しいような、不安定な心持ちになります。
貴女に、あの時の記憶はありませんね。
それでいいのです。何も俺から求めることはありません。
ただ、あの記憶を持っているのが世界に俺一人だということが、たまらなく寂しく思えてしまうのも、事実なのです。
窓から見える景色を、それが世界の全てだと信じてはいけません。
そこからは見えないものがいくらもあります。あるいは、そこには精巧に描かれた絵が釣り下げられているだけかもしれません。
今世の貴女は、ものを信じやすい気質がおありですね。
それでも最近は、ご自分の見ているものが現実ではないかもしれない、現実であっても恣意的に切り取られたものかもしれない、そう考えるようになってきました。
全てを疑え、とは申しません。
信じることは、貴女の美徳の一つです。
けれど、ものごとを平らかな目で見ることも同じく、大きな美徳の一つなのです。
形、とは、そもそも何でしょう。
どんなものが、「形を持っている」「形がある」と形容されるものなのでしょう。
貴女の魂には形があります。
貴女の声には形があります。
貴女の感情には形があります。
貴女の思考には形があります。
目に見えるもの、触れられるものだけが形を持つのではありません。
貴女が現世で動き回り、何かと衝突し、何かを考え、何かを生み出す。
そういう動きの全てが、そしてそこから発生する全てのものが、形を持つものなのです。
貴女が幼かった頃、貴女は遊びに夢中になるあまり、日が暮れてお友達が帰ってしまったことにも気づかなかったことが何度もありましたね。
いつの間にか一人になっていて、ジャングルジムの影や公園の向こうの森から怖いものが出てくるような気がして、慌てて逃げるように帰ったものです。
そのくらいに、何かに夢中になっていいのです。
何もかも忘れて、誰が隣にいようといまいと、自分のやりたいことを目を輝かせてひたすら行う。
そういう生き方をして、良いのですよ。
貴女には、俺たちの声が聞こえています。
俺たちの声は、耳で聞くのとは違った届き方で貴女に伝わっています。貴女はその心で、俺たちの声を捉えているのです。
それが俺たちにとって、どれだけの驚きであり、どれだけの喜びであるか、分かっていただけるでしょうか。
時には、貴女がご自分で言葉を作り出すこともあります。それでも良いのです。俺たちの声が届くのが時たまであっても、俺たちは本当にそれが素晴らしいことだと思うのです。
それに、今世の貴女が自分の力でご自身に優しい言葉を紡げるようになるなんて、夢のようです。
ですから、それがご自分の心から出た言葉であろうと、俺たちが伝えた言葉であろうと、それに途方もない価値があることに変わりはないのです。