今にも泣き出しそうな空の下で、貴女はにこにこと笑ってご伴侶と歩いていました。傘を片手に持ち、もう片方の手はご伴侶と仲良く繋いで、幸せそうに歩いていました。
そんな日が何度もあったことを、俺はよく覚えています。
いつか貴女のご伴侶が亡くなった後で、貴女は空を見上げて思い出すことでしょう。
こんな空の下で、確かに私はあの人と幸福に歩いていた、と。
貴女が、貴女の大好きだったあの女性と付き合っていた頃、インターネットを介したやり取りはメールが主流でしたね。
あの頃と、貴女は変わりました。
あのメールがどれだけあの女性を傷つけたか、貴女は分かりました。そしてあの女性がそうやって感じたのは、貴女を大切な人と思ってくれていたからなのだということも。当時の貴女は、どちらのことにも無自覚でした。
それから貴女は少しずつ、大切な人を大切にする方法を学んできました。今の貴女は、当時よりもずっとずっと優しく魅力的なひとになっています。貴女は、学べるひとですから。
そうして、大切な方のことを慈しんでください。
貴女の大切なものが失われた時、後悔しないように。
自分の命が燃え尽きるのを心待ちにして、俺はそこに座っていました。貴女を悼む碑の前で、何日も何日も何日も座って待ちました。
腹が減り、喉が渇き、背が痛み、それでも座り続けていたら、そのうち全てが消えていきました。
その時が来た瞬間は、覚えていません。
気づいたら、死んでいました。
貴女は昨夜、死ぬのが怖いなぁと、ぼんやり思いを巡らせていましたね。大丈夫ですよ。怖がる必要はありません。貴女の今世の命が燃え尽きることは、一つの終わりではありますが、貴女の魂は輝き続けます。俺たちの見立てでは、貴女はまだまだ何度も転生するでしょう。
それに、転生を終えてあの大きな廻り続けるものに回収されることも、恐れるべきことではありません。それは魂の、最後にして最高の救済なのですから。
暗い暗い俺の夜は、貴女という太陽の光でようやく明けました。
今俺は、貴女という太陽が、何度も生を得て昇ることを知っています。
俺の明けない夜は、終わったのです。
本気の恋しか、俺はしたことがありません。
相手は勿論、貴女ただ一人です。
俺がそれまでに女と結んだ関係は、恋などとは呼び得ない、ただ俺の性欲を女にぶつけるだけの、一方的な蹂躙に過ぎませんでした。
だから貴女が俺を心底愛してくださっていると気づいた時、俺はどうやって貴女を愛せばいいのか、全く分かりませんでした。けれど、貴女の愛を一身に受けたい、貴女とずっとずっと一緒にいて、互いを慈しむ生活がしたいと、心の底から願ったのです。それはきっと、恋と呼ばれるものなのではないでしょうか。
それが、貴女が俺に与えてくれたような、本物の愛ではなかったことは確かです。その証拠に、貴女が亡くなったと知った俺は、貴女の遺言に背いて貴女の後を追って死にました。
そんなものは、愛ではないのです。
相手がいなければ自分は立っていられない、相手が死んだなら自分も死ぬ。それは身を焦がす恋ではあっても、相手を本当に大切に思う愛ではないのです。