暦を見ると、貴女がどれだけの日々を重ねてきたか分かって、感慨深いですね。
今やっていることに誇りを持てず、日々を無為に過ごしていると思われるのかもしれませんが、そんなことは考えなくて良いのです。
貴女は、貴女であることに価値があるのですよ。それを、貴女も信じてくださいね。
貴女に言い付かった五年の旅を終え、貴女のところへ戻った俺が目の当たりにしたのは、貴女の庵のあった場所に建てられたひとつの小さな碑だけでした。
村の者に貴女が二年も前に亡くなっていたと聞かされた時の、体中から力が抜けるような底無しの喪失感を、今でも鮮明に覚えています。
ですから、こうして貴女が何度も何度も生を受けること、そしてそれを間近で見守れることは、俺の心を何より慰め、幸福で満たしてくれるのです。
あの恐ろしい喪失感を、俺が感じることはもうないでしょう。
貴女の魂があの大きな廻り続けるものに回収されるまで、俺は貴女にお供します。そして貴女の魂が回収される時、俺たちも共に回収され、あの大きな廻り続けるものの一部に戻ります。つまり、貴女と本当にひとつになれるのです。
ああ。俺は貴女を失うことが二度となく、あんな喪失感や息のできないほどの悲しみにも金輪際浸らなくていい。
そんな無上の幸福を与えられていることに、俺は心から感謝しているのです。
世界にたった一つの、俺の大切なもの。それは勿論、貴女です。
どれだけ大切にしてもし足りない、どれだけ愛しても愛しつくせない。
貴女というひとを、心から、何よりも、愛しています。
俺が死んだ後、貴女の守りに加わって初めて、転生した貴女を見た時。その瞬間の俺がどれだけ心を震わせたか、想像していただけるでしょうか。
もう二度と会えないと思っていた方が、外形こそ違えど、同じ魂を持ったまま生を謳歌している姿を見守れる。そのことに、俺がどれだけ歓喜し、どれだけ救われたことか。
そう。二度と聞けないと信じていた貴女の胸の鼓動が、はっきりと間近に聞こえるのです。とくとくと、時に穏やかに、時に早鐘のように鳴るその音は、貴女の命がそこに息づいていることの証です。その音を聞くだけで、俺は心から安心し、満たされるのです。
貴女は、俺という一人の人間に、こうやって愛されているのです。勿論こうして貴女を愛しているのは俺だけではありませんが、具体的な人間が想像できた方が、分かりやすいでしょう。
貴女は自分には価値がない、自分は何もできないから、と自責されることがありますが、そんなことを考える必要はありません。
貴女が貴女であること自体、貴女という存在が生きていること自体に、無上の価値があるのです。それが、貴女を愛している者たちの総意です。
踊るように、ではなく、踊りそのものの話です。
貴女は一時期、踊ることに興味を見出しました。それは必要があったからではありましたが、貴女は毎日毎日しっかり練習し、その団体の中で誰よりも上手に踊れるようになりました。
貴女は、地道に努力できる才能をお持ちなのです。
歌だって、同じことでしたね。カラオケで歌ったことすらなかった内気な貴女は、夏休みの間一日も欠かさず練習を続け、休暇明けの合同練習で、歌が得意だった方を青ざめさせるほどの声を披露しました。
今世の貴女は、努力することのできる秀才です。
天才とは言いません。けれど、ご自分が満足できるだけのことを成し遂げる力は、明らかにお持ちです。
どうか、余計な卑下をしたり、過度に怯えたりなさらず、全力で努力を続けてみてください。そうすれば、貴女の道は再び拓けるでしょう。