俺が死んだ後、貴女の守りに加わって初めて、転生した貴女を見た時。その瞬間の俺がどれだけ心を震わせたか、想像していただけるでしょうか。
もう二度と会えないと思っていた方が、外形こそ違えど、同じ魂を持ったまま生を謳歌している姿を見守れる。そのことに、俺がどれだけ歓喜し、どれだけ救われたことか。
そう。二度と聞けないと信じていた貴女の胸の鼓動が、はっきりと間近に聞こえるのです。とくとくと、時に穏やかに、時に早鐘のように鳴るその音は、貴女の命がそこに息づいていることの証です。その音を聞くだけで、俺は心から安心し、満たされるのです。
貴女は、俺という一人の人間に、こうやって愛されているのです。勿論こうして貴女を愛しているのは俺だけではありませんが、具体的な人間が想像できた方が、分かりやすいでしょう。
貴女は自分には価値がない、自分は何もできないから、と自責されることがありますが、そんなことを考える必要はありません。
貴女が貴女であること自体、貴女という存在が生きていること自体に、無上の価値があるのです。それが、貴女を愛している者たちの総意です。
踊るように、ではなく、踊りそのものの話です。
貴女は一時期、踊ることに興味を見出しました。それは必要があったからではありましたが、貴女は毎日毎日しっかり練習し、その団体の中で誰よりも上手に踊れるようになりました。
貴女は、地道に努力できる才能をお持ちなのです。
歌だって、同じことでしたね。カラオケで歌ったことすらなかった内気な貴女は、夏休みの間一日も欠かさず練習を続け、休暇明けの合同練習で、歌が得意だった方を青ざめさせるほどの声を披露しました。
今世の貴女は、努力することのできる秀才です。
天才とは言いません。けれど、ご自分が満足できるだけのことを成し遂げる力は、明らかにお持ちです。
どうか、余計な卑下をしたり、過度に怯えたりなさらず、全力で努力を続けてみてください。そうすれば、貴女の道は再び拓けるでしょう。
どうやら、今日はもうお疲れのようですね。
どうか、ゆっくりお休みください。
明日の朝は時を告げる時計など鳴らさず、静かに、好きなだけ、たっぷり眠ってくださいね。
おやすみなさい、愛しいひと。
昔、貴女が幼かった頃、ご家族で海に行ったことがありました。貝殻に耳を当てた貴女は、波の音がする、と不思議そうに、けれどきらきらと輝く目で母君に言いました。貴女の母君は、そうだね、不思議だね、と返し、貴女を慈愛に満ちた目で見つめていました。
俺の中にある、ただそれだけの記憶です。
それ以上、何が起きた訳でもありません。
けれど俺は、今の貴女の母君がどれだけ貴女を愛しているか、改めて分かった気がしたのです。
貴女が瞳をきらめかせ、世界を駆け回っていた頃のことを覚えていらっしゃいますか。
最近の貴女は、今をそのように生きていないことを、恥じていらっしゃいます。
何かに夢中になって、人のためになるように心を尽くして、日々行動して忙しく過ごす。そういう生き方をしていたあの頃を、貴女は懐かしみ、またそうやって生きたいと願い、けれど不安と恐怖で動かない身体を憎々しく思っているのです。
確かに、あの頃の貴女は守り甲斐がありました。やりたいと思うことにあふれ、危なっかしく心底の好意を振りまく貴女を、俺たちは危険から遠ざけたり良縁を引き寄せたりして、楽しくお支えしたものです。
けれど、今そうやって生きていないことについて自責したり、恥じたりはしないでほしいのです。貴女は今まで、その瞬間にできる限りのことをしてきました。この九年間も、その精神状態でできることを、しっかりとやってきたのです。
今、貴女の心は安定を得始めています。
その心を持って生きることで、貴女の人生は再び、大きく変わっていくでしょう。