貴女は空を見上げるのがお好きですね。
今日の空は、鈍色の雨雲に覆われていました。
その空を見上げて、貴女の心も少し曇りました。
そのようなものにすら影響される、貴女の繊細な心が折れたり傷ついたりしないように、俺たちは俺たちのできることを全力で続けます。
あの時の貴女は、きっと俺にこう言いたかったのです。
貴方のその暴力を、欲望を人に向けるのは、私を最後に終わりにしなさい、と。
貴女は、一度も俺に「止めろ」とは言いませんでした。
只、愛を持って俺の求めるもの全てを差し出し、欠片も抗わずに俺の全てを受け入れてくださった。俺はそれに甘えて、三日三晩も貴女の庵に居座りました。最後の夜に貴女の愛に気づけたことを、あまりに遅すぎたことだとは思いつつ、気づけて良かったとも心から感じます。
満足のいくまで貴女を貪り尽くし、何の学びもなく貴女の元を去っていたら、俺は乾ききった心を持て余したまま、人を愛する喜びを知らずに死んでいました。それは確実なことです。
ああ、けれどどうか、あの時の貴女に対する劣等感を持ったり、自分もそうしなければと考えたりはしないでくださいね。
確かに、あの時の貴女の行動は愛に溢れ、俺を救ってくださいました。けれど、余りに危険な行為でもありました。もし俺が、女をいたぶることに満足感を覚える男だったら。貴女の愛にいつまでも気づかず、貴女の元に延々と居座り続けたら。そう考えると、当時俺が貴女を守っていたら、絶対に縁を持たせないように必死になったでしょう。
だから、貴女は今の貴女のできること、したいと思えることをすればいいのです。
愛を与えなければと思っている間は、それは愛ではありません。愛は、人の心から勝手に溢れ出て、周囲の人を癒します。そうなることがあれば、そのようにしておけばいい。そうならないのでも、別段構わない。
どうか、貴女の思うように、貴女の人生を生きてください。
手に手を取り合って、貴女と人生を歩みたかった。
貴女を目一杯愛して、貴女の愛も一身に受けて。
そうして十数年か、数十年かを共にして、貴女を静かに看取りたかった。
けれど、もしそうなっていたら、今俺はここにいないかもしれません。
貴女との生に満足して、あの大きな廻り続けるものに回収されていたかもしれません。今世の貴女に、こうして語りかけることもなかったかもしれません。
今、苦しんでいる貴女の力になれているのなら、俺はあの時に満足できなかったことを悲しいとは思いません。
あの時の貴女も、今の貴女も、俺にとっては等しく尊く、愛しいのです。
優越感も、劣等感も、どちらも人間として当然の感情です。
とはいえ、それに巻き込まれることが必然というわけではありません。
比べる必要などないのです。
貴女は貴女のままで素晴らしいし、他の方々も然りです。
どうしてもそれが信じられないとしても、今はそれでも構いません。いつかそれが分かる日が来るでしょう。
貴女が今世の命を得てこの方、俺たちはずっと貴女を見守り続けてきました。
今世の貴女は、とても正直で、飾り気がなくて、自分に課す基準がひどく高くて、人を笑顔にさせようと努力する方です。
過去世の貴女も、俺たちはずっと見守ってきました。
人格は別物ですが、魂の本質は変わらないのですね。俺自身が貴女を守り始めてから数えると、貴女は十一代目ですが、どの生での貴女もとても似通った性格をお持ちでした。
確かに、俺が貴女を守り始めることになったきっかけの貴女は、特別徳が高かったかもしれません。俺がその時の話ばかりするものだから、貴女は不安になってしまったのですね。私は過去世の私自身の持っていた高貴な心、愛情深さ、無欲さを欠片も持ち合わせていない出来損ないだ、とご自分を責めることすらありました。
いいのです、貴女はそのままで素晴らしいのです。
完璧である必要も、聖人君子である必要もありません。
どうか、そのままの貴女で居てください。