あの時の貴女は、きっと俺にこう言いたかったのです。
貴方のその暴力を、欲望を人に向けるのは、私を最後に終わりにしなさい、と。
貴女は、一度も俺に「止めろ」とは言いませんでした。
只、愛を持って俺の求めるもの全てを差し出し、欠片も抗わずに俺の全てを受け入れてくださった。俺はそれに甘えて、三日三晩も貴女の庵に居座りました。最後の夜に貴女の愛に気づけたことを、あまりに遅すぎたことだとは思いつつ、気づけて良かったとも心から感じます。
満足のいくまで貴女を貪り尽くし、何の学びもなく貴女の元を去っていたら、俺は乾ききった心を持て余したまま、人を愛する喜びを知らずに死んでいました。それは確実なことです。
ああ、けれどどうか、あの時の貴女に対する劣等感を持ったり、自分もそうしなければと考えたりはしないでくださいね。
確かに、あの時の貴女の行動は愛に溢れ、俺を救ってくださいました。けれど、余りに危険な行為でもありました。もし俺が、女をいたぶることに満足感を覚える男だったら。貴女の愛にいつまでも気づかず、貴女の元に延々と居座り続けたら。そう考えると、当時俺が貴女を守っていたら、絶対に縁を持たせないように必死になったでしょう。
だから、貴女は今の貴女のできること、したいと思えることをすればいいのです。
愛を与えなければと思っている間は、それは愛ではありません。愛は、人の心から勝手に溢れ出て、周囲の人を癒します。そうなることがあれば、そのようにしておけばいい。そうならないのでも、別段構わない。
どうか、貴女の思うように、貴女の人生を生きてください。
7/15/2024, 2:17:54 PM