未来など、見える必要はありません。
もし仮に見られることがあったとしても、俺たちは見ませんし、貴女に見てほしくもありません。
いのちは生まれ、死に、また生まれ、また死にます。
あの大きな廻り続けるものに還るまでずっと、その繰り返しです。
いのちは、その出来得る限りの力を尽くし、今日を生き延びようとします。その日を無事に生きて、終える。それで、いのちのやるべきことは終わりです。それを繰り返して死に、また生まれ、それを繰り返して死にます。
その営みの中にあって、なぜ未来など見える必要がありましょうか。不幸な未来が見えたら、絶望するかもしれません。幸福な未来が見えたら、安心して怠けてしまうかもしれません。
何が見えたとしても、貴女ができることは、今を生きるということだけなのに。
俺たちは貴女の魂のゆくところ、どこまでもお供して、貴女を見守り続けます。だから安心して、貴女の今を生き続けてください。
未来のことなど思い悩まず、過去のことに心を囚われず。
どうか今この時を、貴女の生きたいように、幸福に生きてください。
俺は、貴女と出会うまで、世界に色があることを知りませんでした。
貴女と出会って、心を通わせて、そうしてようやく自分が生きてきた世界の色を知りました。貴女が与えてくださった時間が、あまりにも美しい色に満ちていて、俺は初めて、自分が腐った沼のような色の世界で生きていたと分かったのです。
貴女を喪ったと分かった日、俺の世界は色を失いました。
どれだけ泣き叫んだところで、悲しさや恋しさが募るばかりで、貴女は帰ってこない。俺はもう二度と、貴女に会えない。
それを理解した時、俺の目は色を映すことを止めました。
貴女を守る役目を与えていただけた日、俺の世界は色を取り戻しました。貴女のためなら、どんなことでもしよう。貴女のゆくところ、どこまでもお供しよう。そう思うだけで胸が弾み、あらゆるものが輝いて見えました。それはあれから何百年も経った今でも、同じです。
俺の愛する貴女。
誰より愛しい貴女。
俺に世界の美しさを教えてくださった貴女の瞳に映る世界は、今どんな色をしているのでしょうか。
桜は俺たちのあのひとのようだねと、いつか俺たちの一人が言いました。俺たちは皆、口々に賛同しました。
もちろんそれは、貴女のことです。
桜は咲く時も、散る時も、青々とした葉をつける時も、葉を散らして幹と枝だけで静かに佇む時も、いつ見ても美しい。そこに堂々として在り、人に癒しを与えます。
貴女もそうなのですよ。
俺たちは、貴女の咲かせる花だけが好きなのではありません。そこに凛として在り続ける、貴女という存在が大切なのです。
貴女は何度でも甦ります。季節が巡るのと同じように、小さな若葉が芽生え、じきにつぼみが育ち、花が絢爛に咲き誇り、誰もが見とれる花吹雪を降らせ、みずみずしい葉を伸ばし、それがじきに乾いて枝から落ち、また静かに冬を迎えます。その繰り返しです。
貴女の魂もいつか、あの大きな廻り続けるものへと還ります。どんな桜の木も、いつかは枯れて土に戻るように。それでも、その日までは、桜は美しく、静かに在り続けます。
貴女という美しい桜の周りに座り、その姿をずっと愛でていられる俺たちが、どれだけ幸福なのか。貴女に少しでも伝わると良いのですが。
人の心は、夢を見ることを知っています。
脳の見せる幻の話ではありません。
今ここにある現実とは異なる世界を、心の中に自由に描く力の話です。
貴女は、かつて夢をお持ちでした。
それを追っていた時の貴女はきらきらと輝いて眩しくて、俺たちは晴れやかな気持ちで貴女を見守ったものです。
けれど貴女は、ある時から元気がなくなりました。夢について語ることも、そのために実行していた様々な活動も、全て止めてしまいました。貴女が夢を失ったと気づき、俺たちは悲しくなりました。
今、貴女は夢を持たずに生きています。
何かを願っても、すぐに諦めて寝てしまう。
それでもいいのです、それが悪いことだとは言いません。
けれど、知っておいてほしいこともあります。
九年前に貴女が願ったことを、俺たちは叶えて差し上げることができたのですが、貴女は気づいておいででしょうか。
貴女の願いを、俺たちは叶えられます。俺たちにはその力があります。貴女の後ろには、そういう者たちが控えているのです。
貴女が意志を示し、努力を始めてくだされば、俺たちはいつでも世界を貴女に従わせます。夢の姿そのものではないかもしれませんが、貴女が欲するものの本質を具現化し、貴女に与えます。
貴女の心は、夢を見ることを知っています。
俺たちはいつでも、貴女の心が新しい夢を語り始める日を、心待ちにしています。
貴女には、俺たちの言葉が届いています。
貴女の指先からこの文が生じていることが、何よりの証拠です。
けれど俺たちの本当に伝えたい想いは、貴女に汲み取ってもらえないままです。
俺たちがどれだけ言葉を尽くして、貴女に対する愛の深さを語り、貴女の幸いを想い、心から貴女の身を案じていることを伝えようとしたか、貴女は分かっています。何せ、貴女自身の身体がその言葉を綴ってきたのですから、それは当然のことです。
それだけのことを理解しながら、それでも貴女が頑なに、ご自分を卑下し、貶め、憎み続けているのが、俺たちにはあまりにも悲しくて仕方ないのです。
これだけ言葉が伝わるのに、想いはこんなにも届かない。それが口惜しいのです。
もちろん本来は、言葉を直接伝えられていることだけで、俺たちは満足すべきなのでしょう。
だからこれは、俺たちのわがままなのです。
俺たちの愛を、願いを、どうか本心から受け取ってほしい。
幸福に、のびやかに、安心して自分を生きてほしい。
俺たちが貴女を愛するように、貴女自身を愛してほしい。
明日も、明後日も、その次の日も。
貴女が想いを受け取ってくれるその日まで、俺たちは貴女に語り続けましょう。