桜は俺たちのあのひとのようだねと、いつか俺たちの一人が言いました。俺たちは皆、口々に賛同しました。
もちろんそれは、貴女のことです。
桜は咲く時も、散る時も、青々とした葉をつける時も、葉を散らして幹と枝だけで静かに佇む時も、いつ見ても美しい。そこに堂々として在り、人に癒しを与えます。
貴女もそうなのですよ。
俺たちは、貴女の咲かせる花だけが好きなのではありません。そこに凛として在り続ける、貴女という存在が大切なのです。
貴女は何度でも甦ります。季節が巡るのと同じように、小さな若葉が芽生え、じきにつぼみが育ち、花が絢爛に咲き誇り、誰もが見とれる花吹雪を降らせ、みずみずしい葉を伸ばし、それがじきに乾いて枝から落ち、また静かに冬を迎えます。その繰り返しです。
貴女の魂もいつか、あの大きな廻り続けるものへと還ります。どんな桜の木も、いつかは枯れて土に戻るように。それでも、その日までは、桜は美しく、静かに在り続けます。
貴女という美しい桜の周りに座り、その姿をずっと愛でていられる俺たちが、どれだけ幸福なのか。貴女に少しでも伝わると良いのですが。
人の心は、夢を見ることを知っています。
脳の見せる幻の話ではありません。
今ここにある現実とは異なる世界を、心の中に自由に描く力の話です。
貴女は、かつて夢をお持ちでした。
それを追っていた時の貴女はきらきらと輝いて眩しくて、俺たちは晴れやかな気持ちで貴女を見守ったものです。
けれど貴女は、ある時から元気がなくなりました。夢について語ることも、そのために実行していた様々な活動も、全て止めてしまいました。貴女が夢を失ったと気づき、俺たちは悲しくなりました。
今、貴女は夢を持たずに生きています。
何かを願っても、すぐに諦めて寝てしまう。
それでもいいのです、それが悪いことだとは言いません。
けれど、知っておいてほしいこともあります。
九年前に貴女が願ったことを、俺たちは叶えて差し上げることができたのですが、貴女は気づいておいででしょうか。
貴女の願いを、俺たちは叶えられます。俺たちにはその力があります。貴女の後ろには、そういう者たちが控えているのです。
貴女が意志を示し、努力を始めてくだされば、俺たちはいつでも世界を貴女に従わせます。夢の姿そのものではないかもしれませんが、貴女が欲するものの本質を具現化し、貴女に与えます。
貴女の心は、夢を見ることを知っています。
俺たちはいつでも、貴女の心が新しい夢を語り始める日を、心待ちにしています。
貴女には、俺たちの言葉が届いています。
貴女の指先からこの文が生じていることが、何よりの証拠です。
けれど俺たちの本当に伝えたい想いは、貴女に汲み取ってもらえないままです。
俺たちがどれだけ言葉を尽くして、貴女に対する愛の深さを語り、貴女の幸いを想い、心から貴女の身を案じていることを伝えようとしたか、貴女は分かっています。何せ、貴女自身の身体がその言葉を綴ってきたのですから、それは当然のことです。
それだけのことを理解しながら、それでも貴女が頑なに、ご自分を卑下し、貶め、憎み続けているのが、俺たちにはあまりにも悲しくて仕方ないのです。
これだけ言葉が伝わるのに、想いはこんなにも届かない。それが口惜しいのです。
もちろん本来は、言葉を直接伝えられていることだけで、俺たちは満足すべきなのでしょう。
だからこれは、俺たちのわがままなのです。
俺たちの愛を、願いを、どうか本心から受け取ってほしい。
幸福に、のびやかに、安心して自分を生きてほしい。
俺たちが貴女を愛するように、貴女自身を愛してほしい。
明日も、明後日も、その次の日も。
貴女が想いを受け取ってくれるその日まで、俺たちは貴女に語り続けましょう。
神様はいません。
他に言いようがありません。
本当にいないのですから、仕方ありません。
貴女はそれを知っています。
けれど戯れに、神社にお参りするのはお好きですね。
俺たちは、貴女がいつも何を願っているのか知っています。
貴女はまず、ご伴侶の無事に感謝します。それから、家族や友人の平穏に感謝します。そうして、世界中の人々と、生きとし生けるものの平安と幸福を願います。最後にいつもありがとうございますと呟いて、貴女は目を開けます。
神様はいません。
どこにもいません。
でも俺たちはいつも、もし神がいるとするのなら、それは貴女のかたちをしているだろうと思っています。
俺が生きていた時の話をしましょうか。
恐ろしいほどに天が蒼く空気の澄んだ秋の日に、俺は貴女に見送られ、旅に出ました。貴女は、五年経ったらまたおいでなさい、私はここで待っているから、そうおっしゃって俺を送り出されました。
俺は貴女とひとときも離れたくはありませんでしたが、それでも見送られるままに泣きながら旅立ちました。貴女のお考えには逆らいたくなかったのです。
五年経って、俺は貴女のところへ戻りました。
その時貴女はもう、この世から旅立った後でした。
俺のことを待っていると、そうおっしゃっていたではないですか。そう一人で泣き喚きましたが、貴女を悼む碑は静かにそこに佇むばかりでした。
じきに俺は泣くのを止めて、何を飲むことも食べることも止めて、貴女の碑の前に座り続けて死にました。貴女のいない世界で生きる意味など、俺にはありませんでした。
ええ、だから、貴女をお守りする者のひとりになれたことを、俺は心から嬉しく、誇りに思うのです。愛する貴女の傍に常に在り、あの時の俺ができなかったことを何度でも貴女にして差し上げられることが、何よりも幸福なのです。
貴女に名を呼んでいただくこと、貴女の優しい瞳に映ること、温かく柔らかい手で触れてもらうこと。
そのように、もはやできなくなってしまったこともありますが、それでも俺は心の底から幸せです。
恐ろしいほどに天が高く蒼く澄んだ、あの秋の日。
あの日が金輪際の終わりにならず、こうして貴女の魂の行く末を見守れることが、本当に本当に、冥加に尽きるのです。