お題『自転車に乗って』
黒い制服に身を包んだ令嬢が家の前で車を待っていると、執事が走ってきた。
「なんですの、こんなにきれいなお庭なのに走るなんてはしたないですわ」
執事は令嬢の目の前で頭を下げる。
「お嬢様、大変です。道路が渋滞してリムジンが来られません!」
「なんですって! そんなもの、他の車を轢き潰してでもこさせなさい!」
「それは犯罪です、お嬢様」
「じゃぁ、どうしろと言うんですの? わたくし、学校に遅れてしまいますわ」
「ご安心ください、お嬢様」
「いい方法があるのですわね」
「はい、こちらです!」
気がつくと執事の背後にワインレッド色の布がかけられている物体がある。布をとると現れたのは自転車だった。
しかもご丁寧に後ろの方に椅子が用意されている。まるでそれは、幼児が乗るための席のよう。しかも令嬢サイズに大きくしてあり、安全設計の他に無駄に金色に光り輝いている。
「絶対嫌ですわ」
「お嬢様、この際ですからプライドは捨てましょう。遅刻してしまいます」
「今日は休みますわ」
「皆勤賞を目指されてるのではないですか、お嬢様!」
「は! でも……こんなダサい乗り物……」
「大丈夫です、お嬢様はいつもダサくていらっしゃいます」
「な、なんですって!」
「リムジンで登校する時、自分が降りる時にレッドカーペットを敷き、その上を歩くことが本気でかっこいいとお思いですか?」
「あれは、わたくしの美学ですわ!」
「わかりました。ですが、レッドカーペットを歩くのは自転車でも変わらないでしょう」
「でも、かっこよさが」
「お嬢様、遅れてしまいます。そちらの方がもっとダサくていらっしゃいます」
令嬢は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべ、拳を握ってため息をつくと、自転車に取り付けられている金ピカのチャイルドシー……椅子に腰をかける。
「安全のためです」
と言われ、ベルトを付けたあと、執事に無理矢理ヘルメットをかぶせられる。執事も同じ白いヘルメットを被っている。なんだかダサい。しかし、前のかごにいつものレッドカーペットが丸まって入っているからよしとしますわ、と令嬢は思う。
「では、行きますよ、お嬢様!」
執事は張り切って、ペダルをこぐ。そのスピードは意外にもリムジンに負けず劣らずだ。いつもと違うのは、外にいるから風を感じること。
時折視線を感じたが、令嬢は背筋を伸ばして前だけを見続け、お嬢様らしい振る舞いを演じていた。
お題『心の健康』
なんでこんなとこに立ってるんだろう、私。
ビルの屋上に立って、車が行き交う道路を見つめている。ここから落ちれば死ぬだろうなってふと考えてしまう。
そんな時、目の前に雲の上に乗っているハゲ頭のおじいさんが現れた。『神様』と言えばこの姿とでも言いたくなるくらいステレオタイプな姿だ。
もしかして、私はもう死んでるのかな?
そんなことを考えていると。
「おぬし、今死のうとするのは早計じゃぞ」
と、声をかけられた。
「あの、死のうとしてないのですが……」
「いいや、おぬしの足があと一歩でもずれていたら危うく道路に向かって真っ逆さまに落ちてたところじゃぞ。落ちたら間違いなく即死」
「あ」
自分はいつのまに屋上の、ビルのヘリの上に立っていたらしい。ひっと息をのんで慌てて屋上の方へ尻もちつくように戻った。
「おぬし、すこし疲れてしまっているようじゃ」
「疲れてません。これでも人よりずっと体力ある方なんです」
「でも、社内でセクハラを受けてるじゃろ?」
「セクハラなんてっ!」
言いかけた途端、心当たりしかない映像が脳内に流れて私は膝をつき、思わず吐きかけた。
女ばかりの会社で地味だと馬鹿にされたから頑張って身なりをそれなりに見せるようにこころがけ、体型だって絞ってきた。毎日ランニングを欠かさないし、健康診断だって今のところなんの所見も見当たらない。
それなのに、いや、それだからか、女体が好きな上司に目をつけられてしまった。
「おぬしが死のうとしてたのは、心が害されているからじゃ」
「じゃあ、どうすれば」
「それはすでにおぬしが持っているじゃろう、証拠を」
私はふと、日記の存在を思い出した。毎日欠かしていない日記。そこにはいいことも悪いことも包み隠さず書いている。最近はもっぱら悪いことしかない。
あれをもとにもうすこし詳しく上司の罪状を書けば良い。
「分かった、神様。私、戦ってみるよ」
「では、健闘を祈っているぞー。おぬしなら、できる」
そう言って、神様は消えていった。あいつさえいなければ、いや、そもそもこの会社を辞めれば済む話なのだ。
私は屋上から室内に戻り、自分を取り戻すための作戦を練ることを誓った。
お題『君の奏でる音楽』
昔好きで遠征までして追いかけていたバンドがある。そのバンドは、今ではメジャーで毎回ドラマ主題歌に抜擢されるほど。
だけど、私は正直昔の音楽の方が好きだった。
今は万人受けするような明るい歌詞とか、応援歌とか、ありふれた恋愛模様とか……そんなことばかり曲にするようになってしまった。
昔は、それはそれはもうクズ男の描写が上手かったり、それに泣かされる女の描写が上手かったり、メジャーにいる人達を妬んだり、そういう歌詞ばっかりだった。きわめつけは、ボーカルの歌い方は独特な響き方をしていて私はそれがすごく好きだった。ギターもベースもドラムももっと激しかった。
だけど、今はボーカルの独特な響き方は変わらないというかむしろそれを聴くと「あっ、あのバンドだ!」と言われるくらいにはなっているが、昔みたいな荒々しさが全体的に欠けてて、ポップスによくあるようなバイオリンみたいな音をたくさん入れるようになった。たしかに著名な音楽プロデューサーに目をつけられてその人に編曲してもらってからそのバンドは爆発的に売れたけど、私からしたら「なよっちくなったなぁ」という印象だ。
もうそのバンドを追ってないけど、昔の音楽はずっと好きだから、気が向いた時に荒々しかった頃の音楽を聴いて今日も懐かしい気持ちに浸るのだ。
お題『麦わら帽子』
憧れの灯台守がいた。そのひとは、いつもつばが広い麦わら帽子を被っていた。
背が高くて、筋肉質で、黒い髪は短くて、眉は濃いのにどうしてか僕はその人を見て、「きれいだな」と思ってしまった。
背筋が伸びた立ち方のせいか、筋肉のつき方がきれいだからか、今考えるとそういった理由は思いつくがその頃の僕はただ「きれいだな」という感想しか抱かなかった。
そのひとはいつも僕に海の中に住む人魚の話を聞かせてくれた。海の中は、たくさんの魚と人魚が共生してて、立派なお城だってある。南の海のサンゴ礁はきれいだとか、冷たい北の海だと鳥も泳いだりするとか。
だけど、人魚に男は存在しないという話を聞かせてくれた時、その人はどうしてか悲しそうな顔をしていた。ただとなりにいることしかできなかった。
最後に会ったのは、二十年前の大雨で津波が来るかもしれない時だった。両親からは家にいなさいと言われたが、僕は灯台守が心配になって外へ出てしまった。
大雨に打たれて、強風に抗いながらどうにかたどり着いた場所で灯台守は立っていた。
「ねぇ、お兄さんもはやく戻ろうよ!」
「ごめん、そうはいかねぇんだ」
灯台守は悲しそうに笑うと被っていた麦わら帽子を僕に被せてきた。
「すまねぇが、俺ぁちょっと戦ってくる!」
「え? たたかうって?」
「この海を荒らしてる悪い奴がいるんだ! そいつは凄まじく強い。俺はここに戻れないかもしれねぇ!」
「そ、そんなの嫌だよ。絶対帰ってきて!」
帽子をおさえながら僕は泣いた。そしたら、お兄さんが笑って
「そうか。お前、俺のこと待っててくれるんだな。じゃ、その麦わら帽子、預けておく。またな!」
僕の頭を麦わら帽子ごしになでると、お兄さんの姿が変わっていく。着ている服が破れて、足は魚の尾びれに、背中に背びれが生える。それから間もなく、海に飛び込んだ。
僕は必死にお兄さんの名前を呼んだけど、帰ってこない。やがて、僕を探しに来た父によって家に連れ戻されてしまった。
それからしばらくして、雨と風がやみ、もとの穏やかな海に戻ったけど、灯台守のお兄さんが帰ってくることはなかった。
今の僕は灯台守として、住み慣れた街の海を見続けている。頭に被っている彼から貰った麦わら帽子はもはや僕のトレードマークだ。背は、あの頃のお兄さんよりすこし伸びて、筋肉だって日頃からきたえているおかげで、お兄さんよりずっとごつくなってしまった。
平和な日常のなかで、僕は灯台守をしながらお兄さんを待ち続けてるようなものだなと思う。
ある時、灯台の近くで水面から顔を出している人魚に遭遇した。女性の人魚ならたまに会うが男性の人魚は珍しい。
その人魚はまだ子供で、髪が黒く短く、するどい背びれが生えて、群青の尾ひれをしている――まるで、それはあの時僕が見たお兄さんの本当の姿そっくりだった。
僕と目が合うと、その人魚は恥ずかしそうに水面に潜ろうとした。
「まって!」
走ってその人魚を呼ぶ、あやうく飛び込みそうになる。人魚はちら、と僕を見ている。
「君、お兄さんとすこし話をしないかい?」
我ながら口説いているようだと思う。だけど、いてもたってもいられなかったんだ。
人魚は僕をすこし見つめた後、頰を赤らめながら嬉しそうに笑った。見えたとがった八重歯がお兄さんを彷彿とさせて、僕もなんだか嬉しくなった。
お題『終点』
はやくこんな状況から抜け出したい。でも、無理なんだ。
男は電車の端の席で手すりに寄りかかりながら口を開けている。寝ているのではなく、日頃の激務と上司に無理矢理連れて行かれる酒の席のせいだ。
転職しようにもそんな暇などなく、職場の人間からいいように使われ、弱い酒を無理矢理飲まされても断れない、男は途方に暮れていた。
アルコールのせいでぐるぐる回っている脳内に
『次は終点、●●駅ー、●●駅ー』
というアナウンスが聞こえてくる。だが、男にはもう体を動かす体力なんて残されてなかった。それに今乗っている電車は終電だから、この電車は車庫へと向かう。
終点なら、駅員が巡回に来て、降りない客がいたら降りることを促すものだ。
だが、男のもとにはそれがなく、扉が閉まっていく。
それから、また電車が動き出す。
男の脳内にこんな声が響き渡った。
『答えよ。ここから先へ行けば元の世界には戻れない。それでもいいか?』
と、男は酔った頭で首を縦に振った。
その瞬間、周囲の風景が歪み、暗くあたりが光かがやいているだけの空間になり、電車はそこを走り出した。
夜空のなかを走る電車のなかで、男の酔いはさめていく。意識もクリアになっている。
「ここは?」
『お前はこれでもう、元の世界に戻ることはなくなった』
「なん、で」
『お前が我の声に応えたからだ。お前が元の世界に戻っても奴隷のような生活を送ることになるだろう? それに帰りを待つ家族もいない。家族はお前の給料をあてにしているだろう、だから過度に働く割にいつもお前はお金に困っている』
それを聞いた瞬間、男の目から涙がこぼれてきた。たしかに電車のアナウンスを通したおそらく車掌の言う通り、元の世界に帰っても待っているのは地獄だった。会社で奴隷のような扱いを受けてることも、一人暮らししてても家族が男の口座から給料の八割を抜き取ることも、全部このアナウンスされてる声は知ってるのだ。
「ありがとうございます。僕をこんなところから救い出してくれて」
目の前に誰もいないのに、男は立ち上がって頭を下げた。