お題『見つめられると』
電車に乗って、あいた席に座るとすぐ誰かからの視線を感じた。
顔を上げると、向かいの席に座る最近流行りの黒髪マッシュルームカットの、おそらく大学生くらいの男の子がこちらを見ている。しかも、容姿はまぁまぁイケメンだ。
なんだか気恥ずかしいんだか、怖いんだかで私は思わず視線をそらした。
(そんなに見つめられると、困るなぁ)
自分の視線のやり場を失った私は、とりあえずカバンからスマホを取り出して、ニュースサイトを出す。特に興味が湧かない記事が出てくるが、そのなかの適当な記事を押す。
それでも、依然として視線を感じる。顔を上げると、視線が合って胸が高鳴る。
(まさか、こんな私に気があるのか? いや、そんなことあるはずがない)
ふたたびスマホに視線を落とすと電車が止まった。
どうやら駅に着いたようだ。私はスマホに視線を落としたままじっとやりすごそうとする。
その時、ふと誰かが近くに来たから視線を上げざるを得ない。そこには、視線の主がいた。
「えっ……」
「おねーさん、頭なんかついてますよ」
そうそっけなく言って、彼は電車から降りていく。
えっ、なに、どういうこと? と思って私はスマホのカメラを起動してインカメラに切り替えた。そして、思わず引いた声が出る。
私の髪にべったり鳥のフンがついていたからだ。たしかに私はその日急いでいて、道中カラスがたくさん止まっている電線の下を走った記憶がそういえばある。
電車はすでに発車し始めた。さいわい、乗客はまばらで皆スマホに視線を落としていて、たまたま大学生くらいの男性が気づいただけだ。
(頭に鳥のフンがついてたら、そりゃ見ちゃうよね)
絶対次の停車駅で降りて、頭洗おう。そうしよう。
私は電車に揺られながら、恥ずかしさで体が熱かった。
お題『My Heart』
久しぶりに帰省すると、駅前で幼馴染がギターを構えていた。親より先にこいつの顔を見るのかと愕然とする。
彼は相変わらず上手いとは手放しに言い難い、けどオンチでもない、微妙に下手な歌を歌いながらアコースティックギターをかきならしていた。彼の横に手書きのアーティスト名と、Xやツイキャスのアカウントが書いてある。彼のうしろにギターケースがフタを開けた状態で置かれていて、きっとそこに投げ銭しろということなのだろう。ちなみに客は一人も来ていない。
ギターを弾いてなければ、歌を歌っていなければ挨拶だけして去ろうと思っていた。こいつは、歌に関しては昔からめんどくさいやつなのだ。
興味ないっつてんのに、高校時代にバンドに目覚めたのか、自作のオリジナルソングを歌って私に感想を求めてきたのだから。
私は彼に存在を知覚させないようにその場から立ち去ろうとした、が急にセンチメンタルな感じで和音を一度かきならした。
ヤバい、この曲は。
顔を上げると、彼とバッチリ視線が合う。しまった、捕捉されてしまった。私は、すごすごと彼の目の前に立つ。なぜって? 逃げたら後からめんどくさいからだよ。
こうして、私は彼の絶妙に下手な歌詞がどことなく気持ち悪いラブソングをきかされる。Aメロでしんみりした後、Bメロで調が変わり……サビに向かってだんだん盛り上がっていく。激しくかきならされたギターの音がクレッシェンドしていく。あぁ、くるぞ、くるぞ。
「まぁぁぁぁぁ〜〜いはぁぁぁぁぁ〜〜〜とぅぅぅ」
きたぁぁぁぁ!きもぉぉぉぉぉ!!!!
こいつは、録音した自分の声を聴いていないのだろうか。裏声がなんだか気持ち悪い。さらに眉を下げて目を閉じて自分に酔ってる感が気持ち悪さを増している。
最後に「君を忘れられないぃぃぃ、じゅうはちのぉぉぉぉなつぅぅぅぅぅ」とサビを終える。
間奏に入り、MCを始めた。
「ねぇねぇ、調子どうだい?」
「最悪だよ」
「そう? ちなみに俺は最高!」
イケボ風に喋るこいつは顔だけはイケメンでアラサーだけど体型を維持している。でも、私は知ってる。それは、こいつのナルシズムから来ることを。
私はスーツケース片手に呆然と立ち尽くしながら、「きも」と口にした。そんなことを言われてもこいつには聞こえていないだろう、またセンチメンタルなAメロが始まる。
お題『ないものねだり』
久しぶりにTwitter……今はXになったんだっけ、それを開く。
そこでは相変わらずフォローしてる友達が子育てに奮闘している様子が呟かれてて、未だに独身でいる私は思わず「うへぇ」と声を上げた。
呟きの川の中にふと、最近結婚した友人が愚痴を呟いているのを見つけた。
「不妊治療確定だって。なんで私は普通のことが普通にできないんだろう」
おいおい。そんなこと言ったら、私はスタートラインにすら立ててないんだが。普段の生活に出会いは皆無で、人見知りで他人に心を開けないからどうしたって婚活は難航する。
私は最近行ってきた旅行先で綺麗な景色の写真を選択して、生活感あふれるさえずりが流れる川の中に放流した。
「●●行ってきた。すごく見晴らしが良くて綺麗だった」
たいしたことない呟き。別に反応は求めていないが、さっそくいいねがつく。
そこからほどなくして、私の呟きにリプライがついた。
「●●行ったの、いいなぁ。私、子育てで忙しくて。時間があったら行きたーい!」
あんに「独身はいいよね、自由と時間があって」と言いたいんだろうと思う。そんなつもりはないんだろうが、こっちからしたらわざわざ「子育てで忙しくて」と入れるところが私にとって最大のマウントだなと。
「めんどくさ」
一人で声に出す。ポストの濁流に粗大ゴミを流すような真似はさすがにしない。私は「今度家族で行ってみてね」と返すと、そのままアプリを閉じた。
お題『好きじゃないのに』
とにかく恋人がいない、という状態が嫌だった。
私が好きだと思う人からは徹底的に好かれず、そうでもない相手から好意を寄せられては付き合うことを繰り返してきた。
頑張って好きだと思う人にアプローチを試みたこともあったが、その時は邪険にされて終わり、次の日別の人と手を繋いでいるのを目撃した。
いつからか好きな人と付き合うことを諦め、好意を寄せてくれる人と付き合うことを繰り返した末に私は適齢期にちょうど付き合っていた彼と結婚を決めた。
一年ほど付き合ってきたが、これまでと同様、「好き」という感情が湧き上がることがなかった。
付き合えば好きになれると思っていた。だが、現実は付き合う男をどうしてもその対象として見ることが出来ずに惰性で付き合っては向こうがさめて別れてきた。別れ話を切り出してくれるのは、むしろありがたかった。
今付き合っている彼は、背が低めだけどとても優しい人だ。年収は申し分なく、これから先貧乏しなくて済む生活を約束してくれる。それに、私が好きじゃないのに彼は私に惜しみなく愛情を注いでくれる。私にはもったいない人だ。人としては好きだが、男としては好きじゃない。
私はこれから好きじゃないのに結婚する。これが好きな人と付き合うことを諦めた人間の末路だ。
お題『ところにより雨』
「あー……」
OKストアで今週の分の食材を調達した私は、外へ出るなり地面を打ち付ける雨音にすこしだけ残念な気分になった。
今日の天気は、「ところにより雨」、出る時は雨は降ってなかったので完全に油断した。私は傘を持っていない。
さて、どうするか。
大雨ってほどではなさそうだから、頑張れば走って帰れそう。多少、服は濡れるけど。
私は手に持っていたエコバッグを肘まで移動させると、スマホをカバンから取り出して天気アプリの雨雲レーダーを見た。画面に地図が映し出され、その上を水色やら緑やらの雲が通過していく。
見た感じ、あと、十分程度で一旦このあたりの雨雲はなくなるようだ。
無理して帰る必要もないか。
私はふたたびOKストアの中に入ってしばらく雨宿りをすることにした。