「そのポケット、どうしたんですか」
スタイリッシュなジャケットに似つかわしくない、パンパンに膨れたそこを指差して尋ねた。
まるで、子どもが手当り次第に拾った小石を詰め込んだような光景。本当に似合わない。
あ、いけない、若干笑みが抑えきれていないかもしれない。大目に見てほしい。
「ふふふ、実はね……じゃーん!」
こちらの焦りに少しも気付いていない相手は、惜しげも無くこちらに笑顔を振り撒きながらポケットの中身を披露してくれた。
「キャンディだよ! 包み紙が可愛くてついね」
「わあ、たくさんありますねえ」
「迷いに迷って……全種類いっちゃった」
一切の後悔を感じさせない口調がまた面白い。
ころころと机に乗せられる色とりどりのキャンディに驚く。ひとつのポケットに入っていたとは思えない数だ。今、自分はこの飴玉と同じくらい目が丸くなっているかもしれないな、とどこか他人事みたいに考えていた。
「おひとつどうぞ。おすそ分け!」
「ええ、いいんですか?」
弾む声につられて返事が上ずってしまったのはご愛嬌だ。そしてどの味にしようか決めきれない。全種類買ってしまうのも分かる気がした。
悩むこちらを察してか、横からすっと伸びる手。相手が迷いなく取ったのは。
「じゃあ、オススメのこれをあげちゃう」
濃い紫色の包み紙。ぶどう味。とびきりの綻ぶ顔に、心臓が跳ねた。
「甘酸っぱくて、すごくおいしいよ」
「あ、ありがとうございます……」
他にも二、三個の飴玉を机に残して、ポケットに戻していくその手を、ただぼんやりと見ていることしかできなかった。
「それもよかったらどうぞ、じゃあまた!」
「はい、あの、いただきます」
僅かにスリムになったポケットと共に去っていく後ろ姿を見送る自分は、一体どんな顔をしているだろう。
手のひらに乗るぶどう味を見る。どうしよう。何だか、食べる前から甘酸っぱい気分になってしまった。
【カラフル】
夢を見た。その世界には、ぼくとあなたしかいなかった。
柔らかな陽光が降り注ぎ、応えるように緑が栄え花が綻び、歓びの歌まで聞こえるような、楽園のような場所だった。
ぼくたちは手と手を取り合い、子どものようにはしゃぎ笑い踊った。ああなんて幸せなのだろう。あなたとふたり、永久にこうしていたいとさえ思った。
「――きて、おーい、起きて。おはよう!」
「ふが、っ……ああ……?」
意外と力強い揺さぶりで起きた。慌てて上半身を机から引き剥がす。ちょっとよだれが垂れていた。恥ずかしい。
仕事中、突っ伏して寝ていたぼくをこちらの世界に引き戻したのは、よりにもよってあちらの世界で一緒に歌い踊っていたあなただった。咎めることなく「お疲れなんですね」と労いの言葉をかけてくれるあなたの優しさが、今はちょっと切ない。
「起こしてくれてありがとうございます」
あなたの手で壊されたぼくの楽園。返したぼくの言葉のなんと皮肉めいたこと!
「いえいえ。今日は帰ったら早めに寝るんだよ」
「そうですね。そうします」
曖昧に頷きながら、ぼくは束の間の幸せを反芻する。
【楽園】
急な強い風が吹いた。
持っていた書類の束がバサバサと揺れた拍子に、端にくっ付いていた小さな付箋紙が一枚、さらわれてしまった。
「あ……」
「っ、強い風だったね、身体ごと飛んでいっちゃいそう」
あまりの勢いに息を詰めてから、おどけたように言った彼をそっちのけで、付箋が飛んでいった方向を見やる。
「ん? 何か飛ばされちゃった?」
こちらを覗き込んでくる彼をよそに、ぼんやりと思考を巡らせる。
風に乗ってどこかへと行ってしまった紙切れには、何と書いてあっただろう。小難しい単語の読み仮名か、重要な部分が記載されているページか、会議で誰かが発した取り留めのないことか、それとも、隣の彼への浅ましい感情だったか。
「……いいえ、大丈夫です。何も飛ばされてませんよ」
思い出せもしないものを考えても仕方がない。振り返り彼に向けた笑顔は、きちんといつも通りであるか自信がない。
「ならよかった! 早く戻ろう」
「はい。そうですね」
屈託なく笑う顔を惜しげも無く晒してから、彼は歩き出す。
見たくもないのに、左手の薬指にチラと光る銀色に胸が痛んだ。
もう一度強い風が吹いてくれないだろうか。彼のその銀色を、容赦なく奪って消し去ってくれないだろうか。
ありもしない妄想を吹き飛ばしたくて、やはりもう一度、と風が吹くのを願ってしまう。
【風に乗って】