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 急な強い風が吹いた。
 持っていた書類の束がバサバサと揺れた拍子に、端にくっ付いていた小さな付箋紙が一枚、さらわれてしまった。
「あ……」
「っ、強い風だったね、身体ごと飛んでいっちゃいそう」
 あまりの勢いに息を詰めてから、おどけたように言った彼をそっちのけで、付箋が飛んでいった方向を見やる。
「ん? 何か飛ばされちゃった?」
 こちらを覗き込んでくる彼をよそに、ぼんやりと思考を巡らせる。
 風に乗ってどこかへと行ってしまった紙切れには、何と書いてあっただろう。小難しい単語の読み仮名か、重要な部分が記載されているページか、会議で誰かが発した取り留めのないことか、それとも、隣の彼への浅ましい感情だったか。
「……いいえ、大丈夫です。何も飛ばされてませんよ」
 思い出せもしないものを考えても仕方がない。振り返り彼に向けた笑顔は、きちんといつも通りであるか自信がない。
「ならよかった! 早く戻ろう」
「はい。そうですね」
 屈託なく笑う顔を惜しげも無く晒してから、彼は歩き出す。
 見たくもないのに、左手の薬指にチラと光る銀色に胸が痛んだ。
 もう一度強い風が吹いてくれないだろうか。彼のその銀色を、容赦なく奪って消し去ってくれないだろうか。
 ありもしない妄想を吹き飛ばしたくて、やはりもう一度、と風が吹くのを願ってしまう。
 
【風に乗って】

4/29/2023, 1:42:03 PM