手紙の行方 保留!
高温で熱せられた肉が煙を上げる店内で、男の顔は不規則に炎に照らされていた。眼光鋭く、肉の色の変化を見つめている。リズミカルに塩を振る手が膝と連動して動いた。
幾本も並んだ串を手早く裏返していく。焼けた肉が艶やかに姿を現す。もう一度塩を振り、次の串の準備に入る。
焼き台の前に戻ってきたその瞬間、炎を受けた男の目が輝いた。
男は串を掴み、焼き台から皿へと移しかえる。
「はいおまちどお! もも一丁!」
沖縄の砂浜に二人腰掛けて、遠く水平線に沈む夕日を眺める。目の前にある大きな天体がゆっくりと、しかしはっきりと、その光を海に吸い込ませているのを見ると、真に時の流れを知らしめるものは、天体の他にないのだと気付いた。
「ずっとこの夕日を見ていたいね」
君が言った。
そう思った。
それでも光は海に溶けていき、エメラルドに輝く水を闇に沈めた。
※内容は全てフィクションです。
最近、拠り所にしている声がある。スマートフォンでアプリを起動し、フォローしている番組をタップ。すると気の抜けた眠たそうな声が聞こえる。声の主はマイカビーンズさん、番組名は「おつまみラジオ」。音声配信アプリ「スマートウェーブ」で配信している、個人のラジオ番組だ。
「こんにちは〜、今日もおねむぅございます」
マイカビーンズさんがお決まりのあいさつをする。この一言だけでリラックスできるから不思議だ。
「みなさんはいかがお過ごしですか? 3時のおやつを食べながら、洗濯物を畳みながら、おやすみ前のひとときなどに、まったりしながら聴いていただけると嬉しいです」
スマホ画面に表示されるサムネイルにマイカさんの姿はない。どんな顔かも、どんな仕事をしているかもわからない人なのに、ただ声のみに引き込まれる。
「私は今日もおつまみをいただきながらしゃべりますので、みなさんもお手元に何か用意してね、一杯やりながら聴いてやってください」
話はとにかく中身がない。声と話の内容から、勝手に顔を想像してしまう。
「いやぁ最近仕事が暇でねー。みなさんは仕事って忙しいのと暇なのとどっちがいいですか? 私なんかすぐ眠たくなっちゃうから。ある程度、動いてた方がいいんですよね」
興味があるようなないような、どうでもいい話が続く。聴いているうちについウトウトしてしまうから、通勤途中の電車で聴くのはちょっと危険だ。
私はその日、仕事で普段は訪れない土地に来ていた。得意先との打ち合わせを終えると、少し時間ができたので、時間をつぶせる場所を探した。あまり大きい街ではなく、地図アプリを使ってもチェーンの喫茶店が引っかからない。仕方なく⭐︎3.2を獲得している聞きなれない名前のカフェに行くことにした。
コーヒー600円か……、そのくらいはするよな。
店の前で少しためらったが他に行くところもない。私は思い切って店内に入った。
「いらっしゃいませ」
その声に耳を疑った。眠たそうな気の抜けた声に、聴き覚えがあったのだ。そう、マイカビーンズさんだ。
そんな偶然があるだろうか? そもそも声が似ているだけでは? 推しに会う心の準備ができていない。顔を見てしまっていいのか?
一瞬のうちに様々な思いが去来した。入らずに扉を閉めてしまおうかとも考えた。
「おひとり様ですか? 空いてる席どうぞ〜」
次々と声の矢が放たれる。いつも耳元で聴いているあの声だ。私は意を決して店内に足を踏み入れた。
顔を上げると店員さんはマスクをしていた。目元は笑っている。一度見てしまったら、頭の中で勝手に想像していた顔はもう思い出せなくなっていた。
店内を見るとお客さんは誰もいなかった。暇そうだ。私はブレンドコーヒーを注文して席に着いた。
ラジオ聴いてます、なんて言うのは野暮だろうか。そもそもまだ人違いの可能性はある。アプリを起動させてスマホを机に置いておこうか? 気づいてくれるだろうか。でも顔も仕事も表に出していないんだから、知られたら嫌なのかな。
またしても頭の中はオタクみたいなことばかりが巡っている。
「お待たせしました。ブレンドコーヒーでごわいわふ……」
店員さんがコーヒーを運んできた。あくびを噛み殺しながら……。
「あ、失礼しわひは。あははははは」
店員さんはまたもあくびをしながら謝罪をして、口元を押さえながら去っていった。
私はマイカビーンズさんの存在を確信し、ゆっくりとコーヒーを口に運んだ。
ナオと知り合った日に、次にジムに来る予定を聞いた。私はその日に合わせてジムに来て、ナオの隣で筋トレをすることにした。
「えーすごい! もうそんなに重いのでやれるんだ」
ナオのチェストプレスの重さを見て大きい声を出してしまった。
「やめてよ。こんなの全然重くないって」
ナオは謙遜する。そっか、他にもたくさん人がいるし、恥ずかしいよね。
「それにチェストプレスは割とすぐ上げられるようになると思う。他のマシンと比べても辛くないイメージだよ」
「へー、じゃあコレからがんばってみようかな」
もともと初心者向けのジムではあるけど、ナオは通って2ヶ月程度で、私からしたらちょっとだけ先輩だ。そういう人の実感レポートは差が大きくない分、頼りになる。初日に諦めかけていた私には絶好のお手本だった。
一番少ない重りをセットしてシートに腰掛け、持ち手に手を添えて力を入れる。……動かない。
「肘の位置が低いね。肘は持ち手と平行になる位置まで上げよう」
ナオが声をかけてくれた。私の肘は持ち手にぶら下がるようになっていた。
「あ、そうなんだ」
ナオは隣で同じマシンに乗って、やり方を見せてくれた。
「おー、わかりやすい! こうね!」
私はその通りにやってみた。お、お、おー!
「できたできた! 動いたよ!」
さっきまでびくともしなかったバーが動いた。
「これをまずは15回」
15回がワンセットというのがトレーニングの基本らしい。1回動いたとはいえ、できる気がしない。
「ホントにできるの?」
やるのは自分なのに、ナオに向かって疑問形で投げかけてしまった。
「できるできる。自分を信じて」
ナオの言い方は穏やかで強くない。その言葉はストレートに入ってきた。私は必死になってバーに力を込めた。いーち、にーい、さーん……
隣ではナオが同じペースでバーを動かしている。だんだんとバーが重たくなっていく。じゅうさん、……じゅうよん、……じゅう……ご!
「だは〜! 疲れた!」
「すごい。カナデよくがんばったね」
ナオが小さく拍手をしている。わー嬉しい!
「えへへ、できた。ありがとう」
「じゃあこれをあと2回。合計3セットだ」
「それはムリだよー!」
ナオはケラケラと笑っている。
「ゆっくりやっていこう。筋トレは小さい成功の積み重ねだから」
私はこのちょっと先輩のお姉さんと、ゆっくり成長していく日々が、長く続くことを願っていた。