「ゴホゴホゴホ! ンン〜!」
アキラは喉の不調に悩んでいた。ここのところずっと喉の奥に痛みがあり、咳も出ている。乾燥が続いている影響だとは思うが、風邪かもしれない。しかし仕事が立て込んでいて病院に行く時間もなかった。
「課長、大丈夫ですか?」
職場の部下の相良が心配して話しかけてきた。
「ああ、悪いな。この時期、気になるよな」
アキラはかすれ気味の声で答えた。こんな状態だとオフィスの中でもマスクは欠かせない。
「僕、すっごい効くっていうのど飴の話、聞いたんですよ」
相良は身を乗り出してきて言った。
「おいおい、あんまり近づくなよ。なに? なんていう飴? 試してみるよ」
相良はさらに近づいてきて小声でささやく。
「実はお店では売ってなくて、駅前に出てる露店で売ってるらしくて……」
相良は内緒話をするように詳細をアキラに教えてくれた。普段はキツく当たってしまうけど、コイツ案外いい奴なのかもしれない。
相良の言っていた場所に行くと、その露店はあった。手書きの文字で大きく「バイバイのど飴」と張り紙がされていて、とても古臭く場末っぽい。しかしその不気味さも含めて、なんとも興味をそそる店構えだ。
「いらっしゃい」
白髪頭の男性がアキラの姿を認めて声をかけてきた。
「その、バイバイのど飴が効くと聞いてきたんですが」
「ええ、とても良く効きますよ。一粒なめたら翌日には喉の痛みとバイバイしてるでしょう」
「どんな味がするんですか?」
「そりゃあ、梅干し味ですよ。梅梅って」
「あ、バイバイって梅梅なんですね。それは気づかなかった」
一粒1000円はかなりの値段だが、相良から評判も聞いているし、一粒で痛みがなくなるならとその場で購入した。
「ああ、悪いけど、必ず家に帰ってからなめてくださいよ。すぐに効くから、こんなところで大騒ぎされたらお客さん集まってきて大変だから」
そんなに速効性があるのか? それにお客さんが増えてほしくないとは商売っ気がないな、とアキラは思ったが、店主の言葉に従ってその場を後にした。
自宅に帰ってのど飴をなめる。舌に触れた瞬間に梅の酸っぱさを強く感じ、唾液があふれてくる。酸味は強いが確かに効いている感じはするぞ。
「あ、ああ、ア〜ア〜!」
のど飴が溶け切ると、アキラの喉の痛みは一切消えていた。
「すごい! すごいぞ! 本当に痛みが消えている!」
翌日は一日快適に過ごせた。肩や腰にガタが来ているのはいつも通りだが、久しぶりに喉の不調がないだけで身体が軽くなったように感じる。
仕事が終わると、アキラはまたあの露店の前に来た。
「ありがとうございます! 本当に一粒で嘘のように痛みが消えました!」
アキラが興奮気味に話しかけると、店主は手で制しながら言った。
「そりゃあどうも。ほら、あんまり騒がないで」
「ああ失礼しました。あまりの効果に驚いてしまって」
「そんなに良かったなら、これも試してみるかい?」
店主は別ののど飴を手のひらに載せていた。
「アンタ、身体に痛いところはないかい?」
まさか。
「まあ、肩や腰はもうずっと痛いですよ。デスクワークばかりなんでね」
「こののど飴はね『倍々バイバイのど飴』っていうんだが、喉じゃなくて、身体の痛みがある部分を手で触りながらなめると、痛みが消えるんだ」
「そんな上手い話が……」
と言いかけて、アキラは言葉を止めた。そんな上手い話を昨夜体験したばかりだ。
「一万円だよ」
アキラがお札を手渡すと、店主はイヒヒと笑いながらのど飴を渡してきた。
「すごい! 本当に痛みが消えました! 肩が軽い! こんなに楽になるなんて! もっと早く知っていれば良かった!」
翌日、露店の前に立ったアキラはさらに興奮した声で店主に話しかけていた。
「はいはい。そりゃあ良かったね。もう痛いところもないだろう」
「ああ、そうですね。おかげさまで」
売るものがなくなったらもう客じゃないと言わんばかりに淡白な対応だった。
「でも、感謝だけは伝えたくて」
アキラがそう言ったあと、しばらくの間沈黙が続いた。店主はアキラを品定めするようにじっと見ていた。
「実はもうひとつだけ、売れるものがあるんだが……」
「なんです? どんな効果なんですか?」
「誰にも言うんじゃないぞ」
「はい、もちろん」
「『サヨナラバイバイのど飴』だ」
「これを、顔も見たくない大嫌いな相手になめさせるとな……次の日にはアンタの目の前から姿を消すんだ」
「え、それって……」
「なめたら最後、泡を吹いて気を失う」
「それじゃあただの毒薬じゃないか!」
店主はイヒヒと笑った。
「100万だ。買うかい?」
「冗談はやめてください。失礼します」
「イヒヒ、悪かったね。ああ、これ、口直しに持っていきな」
店主は別ののど飴を取り出してアキラに渡した。
「もうアンタがここに来ることもないだろう。サヨナラだ」
アキラも礼を言ってその場を離れた。
アキラが去ったあと、露店に一人の男が現れた。
「ああ、相良さん。上手くいったよ」
相良は帯のついた札束を店主に渡す。
「イヒヒ、まいどあり」
街に着くと、ちょうど商店が立ち並ぶ通りの始まりのあたりに褪せた緑色の服を着た男が立っていた。話しかけると
「わたしは旅の途中の者です」
とだけ返された。
「奇遇ですね、私も旅をしているんです」
と言ったが、男性は同じ答えしか返してこなかった。何度話しかけてもその調子なので、私はただのNPCかと思って別れを告げ、この街での用事を済ませることにした。あまり大きな仕事にありつくことはできなかったが、多少の路銀を手に入れたところで切り上げて、この街を出ることにした。
次の街に着くと、なんと旅の途中の男がいた。よく考えたら前の街からここまでは一本道で、他に宿場があるわけでもないから、再び出会うのは必然だったかもしれない。でも私は顔を知る人がいて嬉しくなった。
「また会いましたね」
私が笑いかけると、男性は挨拶もなしにこう口にした。
「ここから山が見えるでしょう。あの山で獲れるククルパの実は、フツ肉といっしょに煮込むと絶品なんですよ。この街で一番のグルメです」
これは何かのヒントかもしれないと思い、私はこのセリフを心のメモに書き留めた。
「ありがとうございます。この街での旅の目的に加えてみます」
私はさっそく山に向かった。街の人に聞くと、山にはそこに住む偏屈な木こりがいて、山に入ると難癖を付けてきて困っているのだそうだ。
山に分け入るとすぐに大男に行く手を遮られた。手には斧を持っている。
「この山になにをしにきた! よそ者にここを通すわけにはいかん!」
男が威嚇するので、私は慎重に目的を告げる。
「ククルパの実を探しに来たんです。この街のグルメだと聞いたもので」
これを聞いた大男は鋭い目で私を睨みつけた。
「なぜよそ者がククルパの実を知っている? ふん、いいだろう。だがククルパの木の在処を教える代わりに少し手伝ってもらうぞ」
どうやら私に選択肢はないらしい。私は彼の山小屋に案内された。彼の手伝いとは、山の管理と獣の対策だった。
彼が街の人を山に入れないのは、遭遇すれば死に直結する獰猛なフクツクグマがこの山に生息しているためで、彼はクマが山から出ないよう警戒をしているのだそうだ。
「お前さんならもしかしたら、フクツクを倒せるかもしれんなぁ」
薪割りや狩猟を教え込まれた私は、すっかりこの大男に気に入られたようだ。そしてなぜか猛獣フクツクグマを退治するパーティに入れられていた。
私は彼と共闘してフクツクグマの討伐に成功し、その猛獣から獲れるフツ肉とククルパの実でフツ鍋を振る舞われた。旅の途中の男が言ったとおり、味は絶品で体力がみるみる回復していくのと同時に身体の内に膂力が漲ってくるのがわかった。
その後、私は彼とともに街へ下り、街の人々に事情を伝えた。大男は人々とすっかり打ち解け、山への出入りも自由にできるようになった。私はちょっとだけ有名になり、この街での他の用事を円滑に片付けることができた。
街道を行く道すがら、私はあの旅の途中の男の事を考えていた。もしかしたらあの人は、この旅の案内人なのかもしれない。自覚があるかないかに関わらず、私の運命のカギを握っているのかも……。
次に訪れたのは大きな城のある街だった。そして……やはり街の入り口付近に、あの男は立っていた。
「やや! あのフクツクグマを倒したんですか!? さすがわたしが見込んだ人だ!」
こちらから何の事情も話していないのに、近づいただけで言ってきた。それから細かいエピソードを話そうとしても、同じ反応を繰り返すだけだった。やはりただのNPCなのだろうか。
諦めて街の奥に行こうとしたところで、どこからか全身に鎧兜を纏ったゴツゴツした男たちが周りを取り囲み、トサカのような飾り兜を着けた人物が大音声で宣った。
「貴様が宝物庫の鍵を盗んだ犯人だな! 大人しくお縄につけ!」
なんか世界観に合わないセリフだなと思っているうちに、私は屈強な男たちに捕まってしまった。大立ち回りをしようにも多勢に無勢だし、あんまりお城のある街で印象の悪い行動は取りたくない。
それにしても宝物庫の鍵って何だろう。街に着いていきなり、とんでもない濡れ衣だなぁ。そう思っているうちに、私は牢屋に投獄されてしまった。
こういう時は何か糸口を探さなきゃいけない。牢屋の中のものを物色してみる。と言っても道具になりそうなものはなにもなかった。となれば看守に何かアプローチするか。しかし近くにいる気配がない。これはいよいよ詰んでしまったか?
「こちらが牢獄でございます」
石の壁に男の声がこだました。牢獄に案内? 私に面会か?
鉄格子を隔てた先に現れたのは褪せた緑色の服を着たあの旅の途中の男だった。
「これはこれは、こんなに上手くいくとは思いませんでした」
やっぱりNPCじゃなかったー!
「驚いておいでのようですね。そう、あなたに無実の罪を着せたのはわたしです」
男はやはり勝手にしゃべりはじめた。あれ? 結局NPCなのか?
「なんでそんな事を」
それっぽい反応を返してみる。
「言ったでしょう。わたしは旅の途中だと。あなたと同じようにね」
え? 私と同じ?
「わたしもあなたと同じ、この世界を救うためにプレイをしている主人公なんです」
やっぱりNPCじゃなかったー!
「なんで私を騙すようなマネを?」
男は得意顔で語り始めた。
「この世界にはやらなければいけない『用事』が星の数ほどある。でもすべてをクリアするのには大変な時間と労力がかかります。だから同じプレイヤーのあなたに手伝ってもらったんですよ」
確かに私は新しい街を訪れるたびに、その街で発生する様々な用事をこなしている。それはこの世界を救うために必要なことだ。
「前の街のこと、覚えておいででしょう」
あの街? そういえばあの山に行こうと思ったのは、こいつのセリフを聞いたからだ!
「フクツクグマのイベントは得られるステータスは大きいですが、木こりに気に入られて修行を完了させるのにとても時間がかかる。だからあなたにやっておいてもらったんです」
言われてみれば修行にふた月もかかっていた。
「今後必要になるククルパの実も、このあとで行けば街で買えるようになっていますからね」
私がクマを倒して街の人が山に出入りできるようになったからか!
「じゃあ、この投獄も?」
「もちろん。この街では宝物庫に忍び込んでキーアイテムを確保する必要がある。でも鍵を盗んだことは必ずバレて、捕まるまでがこのイベントの筋書きなんです」
なるほど、またもやこいつにしてやられたわけだ。
「あなたがわたしの代わりに時間を費やしている間に、わたしは旅を続けさせていただきますよ」
「とんだ詐欺師もあったもんだ。あんたに救われる世界に同情するよ」
私は負け惜しみともつかない皮肉を放り投げた。
「なぁに、ただの協力プレイですよ。ほら、宝物庫の鍵は差し上げますから、年季が明けたらすぐにキーアイテムを盗って街を出てください。もっとも、それができるのは3年後ですけどね」
そう言うと男は鉄格子の隙間から鍵を投げ入れた。
「では。お互い旅の途中ですから」
そこまで聞くと、私は笑い声を抑えることができなくなっていた。
「あはははははっ! やはり私の推論は当たっていたわけですね」
「え? なんですって?」
男はキョトンとした顔でこちらを見た。
「あなたは私の運命のカギを握っていると、ずっと思っていたんです」
私は笑顔を作ったまま鉄格子に手を掛けた。
「この街に来る直前に『フツ鍋イベント』がある理由を考えたことがおありですか?」
「な、なにを言っているんです?」
私はフツ鍋を食べて得た膂力をもって鉄格子をねじり曲げ、易々と牢屋から足を踏み出した。
そして旅の男の肩を思い切り掴んで耳元でささやいた。
「これからも一緒に、協力プレイしていきましょうね……」
「ねえパパ、これはなんていうお花?」
これは、きれいなお花が大好きでタンポポの名前をまだ知らない君。
「ねえママ? これ、ごはんに付いてるの、これ、カレーパンマンの色?」
これは、ママが作ったカレーのおいしさをまだ知らない君。
「ねえパパ、あの白いのはなんで空を飛んでいるの?」
これは幼い頃、空をただよう雲をまだ知らない君。
マナは目に付くものをなんでも知りたがる子どもだった。マナが知らないことは、パパとママがなんでも教えてあげた。
いろんなものに興味を持ってほしくて、動物園、水族館、遊園地も、いろんなところに遊びに行ったね。でも君は、近所の公園にいるときだって変わらず笑顔で遊んでいた。
「ねえパパ? きょうはママのおっきい写真がいっぱいお花といっしょにあったけど、ママ楽しかったかな? ママはいつ帰ってくるの? 早くママに会いたい」
その日僕は初めて、マナの質問に答えることができなかった。この世界からいなくなってしまったママが、もう家に帰ってこないことを、まだ知らない君に……、僕はなんて声をかけたらいいんだろう。
「パパ、なんで泣いているの?」
ごめんね、君に伝えるべき言葉がわからなくて、僕は泣くことしかできないんだ。
「パパにね、泣かないでいい方法を、マナが教えてあげるね」
突然の君の言葉に、僕は情けない声を出すことしかできなかった。
「え?」
「あのね、いつも眠るときにね、ママがいないと悲しいんだけどね、目をつむるとね、ママがいるんだよ。目をつむるとママに会えるって、ママが教えてくれたんだよ」
僕はその言葉を聞いたとき、泣きやまなきゃいけないって必死で考えながら、涙を止めることができなかった。
君から何かを教えてもらうのはその時が初めてだったかもしれない。自分の娘がこんなにも成長していたことを、まだ何も知らなかったのは、僕の方だった。
そうだねマナ。二人とも知らないことはまだまだたくさんある。これから二人で知っていこう。ママがいない世界の生き方を……。
うだるような暑さの日が続く。こんな中で外の現場を20日連続で入れるなんて、ウチの会社は何を考えてるんだろう。首に巻いたタオルで汗を拭う。歩道と植え込みの境に開けた穴にポールを差し込んでいく。
「はいOK! 一旦休憩しよう!」
私は作業員たちに声を掛けた。
人が日陰を求めるようになってから、何年が経っただろう。半世紀以上も前から叫ばれていた地球温暖化に画期的な解決策を発見できなかった人類は、世界的な取り決めから大国が離脱していく形で諦めの態度を取り続けている。
今では日本の夏は八ヶ月続くようになり、真夏の直射日光は文字通り凶器と化した。そのおかげで私はこうして公共の仕事にありついている。
私はいま立てたばかりの白い2本のポールを見上げた。
ガサッ
「あー失礼しましたー」
振り向くと日傘を差したカップルが通り過ぎるところだった。私のヘルメットのつばとカップルの男性が持っていた日傘が当たってしまったようだ。
「うわやば、“ひかげもん”じゃん、触れたらやばいって。行こう行こう」
カップルの男が女性に向かって漏らした。私に十分聞こえる声で。
「はーい、危険ですのでお下がりくださーい」
私は気にする素振りも見せずに事務的な言葉を吐いていた。町中に日陰を作る。ただそれだけの職業なのに。
日陰製造業(我々の会社は事業内容をサンシェイドメイキングと謳っている)は「2050年代の新しい仕事ベスト10」に入り、政府からも今後最重要のインフラ事業になると賞賛された。
しかし言葉の持つイメージからか、単純に仕事内容のキツさからか、日陰製造業は大衆からは嫌われる業種となり、就職市場でも避けられていた。そしていつからか、その従事者は“ひかげもん”と揶揄されるようになった。
「よし、次、シェイドの取り付け行くぞー!」
『あーい!』
私の号令で休憩から戻った作業員たちが仕上げに取り掛かる。2本のポールに日除けの天井「シェイド」を取り付ける作業だ。
不浄・不潔なる者への差別意識はこの国の、いや世界的に見ても伝統としてある。こちら側から見れば国民の健康と安全の為にやっている必要不可欠な仕事でも、その身に及ぶ病などへの不安や無理解から遠ざけてしまうのは人間の持つ根源的な防衛本能なのかもしれない。
そしてエッセンシャルワーカーの労働環境が良くないのもこの国の伝統と言えるかもしれない。どう考えても日の入りから開始した方が安全な仕事なのに、日中の勤務が20日も続いている。それを業界団体に進言したところで「夜間シフトもやっている。それでも足りないから昼間も勤務していただいているんです」で終わりだ。
社会インフラとして必要としている人が地域がたくさんある。発注が後を断たない。すでに工事予定日に一ヶ月も遅れが出ている。だから24時間体制で働いてます! それが補助金を貰うための大義名分だ。
もっとも、ウチの社長曰く、
「陰がどれくらいできるかなんて、太陽が出てるときにやってみなきゃわからんだろ」
だそうだ。そんなもん測量とか座標とか、数学でどうにかなるだろう!と反論したいけど、誰も学がないので言い返せない。
「はーい! シェイドの取り付け完了しましたー!」
作業員から完了の合図が出た。
「OK! 遺留物がないか確認してなー! 確認したら次行くぞー、すぐに乗り込めー」
そして私は作業員たちと共に、ポールとシェイドを山盛りに積んだトラックの荷台に乗り込んだ。次の現場へと向かうのだった。荷台に幌を付けることすら、いつからかやらなくなっていた。
街を歩いていて、帽子屋さんの店頭に並ぶセール品のカゴが目に付いた。様々な帽子が無造作に置かれている中に、一風変わった帽子があった。
鍔広のハットで右半分にスパンコールのブルーのラメが輝いていて、左半分はメカっぽさのあるシルバーの光沢がある。未来のパリピが被っていそうなデザインだ。
わー、変わった帽子だなぁ。しかもセール品で安くなってる。これかぶって合コンに行ったらウケるかな。
試着して店内の鏡を見る。いかにも怪しい。
「わぁ、とってもお似合いですよ」
店員さんが話しかけてきた。そんなわけないのに。
「これ、売れ残ってますよね。だからこんなに安いんでしょ?」
店員さんは苦い顔で笑っている。
「決してそのようなことは……」
「いいですよ、これください」
「え、あ、ありがとうございます〜」
550円を払ってお店を出た。
さっそく買ったばかりの帽子をかぶる。昼間っから街中を歩くのも恥ずかしいデザインだ。
『おお、ついにこの帽子の所有者が決まったのか』
ん? なんか聞こえる?
『お、この声が聞こえておるようじゃのぅ』
洞窟の中のようなくぐもった声が頭に反響している。周囲を見渡しても人の気配はない。そもそもこんな帽子を被っている人には寄りつかない。
「もしかして、帽子から声出てます?」
私は声に出して言ってみた。
『おお! その通りじゃ! なかなかすぐに理解できるものじゃないぞ。さすがこの帽子を買うセンスのある者だ』
「それ褒めてないですよ。それよりこれ、どうやって声出してるんですか? 霊的なやつですか?」
『はっはっはっ。心霊現象と思っても無理はないが、そうではない。これは近未来のウェアラブル端末でのぅ。帽子型の高性能サポートアイテムじゃ』
「既に存在してるのに『近未来』なんですね」
『まだ一般向けに実用化されてないから近未来なんじゃ。普通のサラリーマンなんかじゃとても手が出せないような値段だったじゃろう?』
「あ、めちゃくちゃ安かったです。売れ残ってたんで。ワンコインでした。正確にはワンコイン+税でした」
『なんと……資本主義の弊害じゃのぅ』
「そんなことより、コレどうやって声出してるんですか? 脳波に直接語りかけてるとかですか?」
『脳波に直接……!あっはっはっ! さすがにSFの見過ぎじゃ! そんな技術は存在しないわ』
「なんかツボ入ってるみたいですけど、そんくらいのこと起きてますからね」
『これは骨伝導じゃ』
「ええ? 骨伝導ってあのツーカーの?」
『よく覚えてるな。当時は画期的だったのに歴史に埋もれてしまったな』
「へぇ、その技術って生きてたんですね」
『君の耳石に直接語りかけておる』
「なんか脳波よりイヤな表現だな。耳の穴こちょこちょされてる気分になる。ところで、普通に会話してますけど、あなたはどこにいるんですか?」
『どこも何も、帽子に内蔵されておる』
「え? 帽子の中に? だって今しゃべってるのって、その、博士……ですよね」
『これはこの帽子の機能であるサポートAIの音声じゃ』
「え? じゃあなんでそんなに博士口調なんですか?」
『開発者であるわしの声をサンプリングして作られておるからな』
「なんでそんなことするんですか。こんな口調だから霊的な何かだと思われるんでしょ」
『そんなことはどうでもよい。なにかサポートしてほしい事はないか?』
「あー、じゃあ僕、これから合コンに行くんですけど、そこで気の利いたアドバイスもらえませんか?」
『なんじゃそんなことか、お安い御用じゃ。だがなぁ、そもそもこんなハイセンスな帽子を被っていたらそれだけで若者たちはメロメロじゃろうに』
「いやそこはリスクしかないわ〜!」