簡素な木製の扉を開いて中に入ると、そこは紙と本であふれるアトリエだった。中央に無垢材のテーブルが置かれ、その上に紺色のカッティングマットが敷かれている。色とりどりの紙を収納する抽斗も完成した本を並べた本棚もすべて木で作られていた。
「素敵な空間ですね。思わず息を呑んでしまいました」
ライフスタイル情報誌「Calm」の取材として、私は今日初めてこの工房を訪れた。カメラマンのクサカさんも同行している。
「ありがとうございます。私にとってはいつもの仕事場になっておるんですがね。たまに訪れた方にそうやって新鮮に驚いてもらえると、甲斐があります」
そう話すのは取材対象のタツミヤ たまてさん。絵本作家だ。65歳になった今でも精力的に作品を出し続けている。今日はこの人の創作の原点を探るためにやってきた。
「少し撮影してよろしいですか?」
クサカさんはカメラのファインダー越しに室内を切り取り始めた。
「ええ、構いませんよ」
タツミヤさんは柔らかい雰囲気で、取材には協力的だ。取材に応じてくれても、こちらの質問に全く反応してくれなかったり、なぜか敵意を表してくるような人もいる。そうでないだけで、取材の半分は成功だ。
「早速ですが、お話うかがってもよろしいですか?」
少し世間話をしたあと、インタビューの開始を切り出した。録音用のICレコーダーの説明も行う。
「ええ、どうぞ」
タツミヤさんは優しく答えた。
>>タツミヤさんが絵本作家になったキッカケを教えてください
私はね、子どもが驚いてる姿を見るのが大好きだったんです。純粋に「わぁ!」って言ってるのを聞くと、心の豊かさを感じるんです。
>>たしかにタツミヤさんの作品は「驚き」を突き詰めているように感じます。
一番の驚きは本を開いたときに目に飛び込んでくるものでしょう? それを最優先で考えたら、今の形になって行ったんです。
>>タツミヤさんの絵本は小さなお子様へのプレゼントとしてたいへん人気でらっしゃいます。
いまの時代はデジタルだとかゲームだとか、そういったものがたくさんある世の中なので、絵本というのは古くさいと思われるかもしれない。でもやっぱり紙の良さというのは、あるって信じていたいですね。物として、実物がある良さ。
それでね、私の作品なんかすぐボロボロになるんですよ。それが思い出になるんです。そう思ってくれてる人が子どもにプレゼントしてくれてるんじゃないですかね。
>>実は私の実家にもタツミヤさんの絵本があったんです。いまそれを思い出しました。
いやぁそれはありがたいですね。物持ちが良い。
>>最後に、65歳を迎えた今でも創作を続けるその原動力を教えてください。
やっぱり子どもの笑顔ですね。それを想像しながら紙を切って、どんな形で飛び出したら、どんな顔で驚くだろうって考えながらやることですね。
「本日はありがとうございました」
インタビューを終えて、私は深々とお辞儀をした。
「いえいえ、こちらこそ。ちゃんと読者が開いたら“わぁ!”と驚くページに仕上げてくださいね」
この人は本当に人が驚く姿が好きらしい。
「ああ、それから、これは私からいうことではないかもしれませんが……」
タツミヤさんは最後に私たちにある提案をしてきた。
【飛び出す絵本作家タツミヤたまて「わぁ!」と驚く65歳アトリエインタビュー】
こんなタイトルで「Calm」3月号に掲載された特集はタツミヤさんの代表作の1ページを開いた写真を大きく載せて、読者に多くの驚きを与えた。
私はこの記事の文末をこう結んだ。
驚いた顔が大好きなタツミヤさん。巻末には読者のみなさんに「わぁ!」っと驚くプレゼントをご用意しました。みなさんの驚いた表情をSNSにアップしていただくと(タツミヤさんが)喜びます。
タツミヤさんの提案で、巻末にはタツミヤたまて書き下ろしの飛び出すグリーティングカードが添えられた。
「物語の結末を見るのって、ちょっと怖くない?」
部屋で一緒にタイの連ドラの最新話を観ていたら、唐突にナオがつぶやいた。
「え? どういうこと?」
エンドロールのBGMを聞きながら、ソファーからダイニングテーブルに座るナオに目線を向けた。
「本とかドラマとか、物語には必ず終わりがあるじゃない。私さ、最後まで観るのが怖い時がある」
私はナオに向き直って言った。
「私は……、早く最後まで見たいタイプだなぁ。面白い海外ドラマって見てると止まらなくなる」
自分の感覚をストレートに伝えた。するとナオは
「いつもそうって訳じゃないんだ。その、続きが気になるっていう感覚もわかる」
指に絡めたミルクコーヒーのカップをじっと見つめながら言った。
「じゃあ、どんなときに終わらないでって思うの?」
単純な疑問をナオにぶつけた。ナオは少し考えてから、ゆっくりと言った。
「たぶん感情移入が強いときだと思う。主人公とか登場人物とかが悩んでいたりすると自分と重ねて見ていて」
それは私にもある。主人公が泣いていると、一緒に泣いちゃうことはよくある。
「それでハッピーエンドでも、悲しい結末でも、この人とのつながりが切れてしまうのが寂しいのかもしれない」
「私はね、物語が終わっても、主人公たちの人生は続いてるって思うな。いろんな人生が、ずっと先まで続いていて、それを想像するのも楽しいじゃん」
「そっか、そうすれば、つながっていられるのか」
「たまに好きなドラマの夢見たりするからね」
「それは想像力ありすぎだろー」
私は声を出して笑った。
「それにさ」
「私たちの物語は、これからもずっと続いていくからね。そんなに簡単に、終わったりはしないよ」
やだ、変にクサいセリフになっちゃった。
「なにそれ……でも、ありがとう」
ドラマのエンドロールは一番の盛り上がりを迎えていた。
そう、私たちの冒険は、まだ始まったばかりなのだから……。
って違う違う! これじゃ少年漫画の打ち切りテンプレじゃん!
A「やさしい嘘がつける大人になりたいんだ」
B「ああ、嘘はよくないけど、やさしい嘘はその人のためになることもあるからね」
A「ちょっと練習してもいいかな」
B「やってみよう」
○コントに入る
A「どうもこんにちは!」
B「ああ、出会ったところから始まるんですね」
A「私は、バファリンの半分を作る仕事をしています」
B「やさしい嘘だけど。『バファリンの半分は優しさで出来ています』自体がやさしい嘘だけど。あのCMよく見ると『胃に優しい成分が含まれています』って書いてあるんだよ」
A「私は、スギの木を柿の木に植え替える活動をしています」
B「やさしい活動だけど。花粉症に悩む人が減るし、柿が生れば食料にもなるけど。種を植えて柿が生るのに8年かかるからな。嘘だった場合8年越しの種明かしだぞ」
A「……それが『種明かし』の語源になったんですね〜」
B「そんなわけないだろ。普通に嘘じゃないか。やさしい嘘でもなんでもねぇよ」
A「ちょっと盛り上がってなかったから助け舟のつもりだったんだけど」
B「ツッコミで外してたみたいに言うな」
○コントから戻る
A「どうかな? やさしい嘘つけてたかな?」
B「ああ、良かったとは思うんだけど……もうちょっと違うパターンも見たいかな」
A「違うパターン? 」
B「やっぱりいろんなパターン持ってた方が、いい大人になれるから」
A「わかった、次行こう」
B「ここで必ずコントインするんだよね」
○コントに入る
A「あら〜かわいい男の子、お母さんはどこかな〜」
B「あ、小さいお子さんに優しく接していますね、ニコニコして」
A「いまあそこにいる君のお母さんは、君の本当のお母さんじゃないんだよ〜」
B「ああ、やさしく残酷な嘘をついてる。それは普通にイヤな嘘だなあ」
A「本当のお母さんはある理由で悪い組織から追われていてね、君を守るために仕方なく君を手放したんだ。いつか必ず会える日が来るって信じてるから、今はあのお母さんのもとでがんばろうね……」
B「悲しい嘘やめて! やさしい口調で悲しい嘘言ってる人だ」
○コントから戻る
A「どうかな? オレ、やさしい嘘つけてたかな?」
B「あ、あはは、うん、バッチリ! 完璧だったんじゃない?」
A「……お前、ずっとオレにやさしい嘘ついてないか?」
B「あー気づかれてたぁ。どうも失礼しました〜」
瞳をとじて、眠りに落ちるまで、次に起きた時に今の人生が終わっていてほしいといつも思っている。明日への不安ばかりが頭をめぐり、日常が部屋の天井を押しつぶして迫ってくるようだ。
この恐怖から逃れるためなら何だってする…だったら今すぐ仕事を辞めればいいじゃないか? そんな簡単なことじゃない。仕事を辞めても日々は続くんだ。
短絡的だとわかっている。それでも今から逃れたい。起きたら10年後で、楽なポストに昇進していて、あとは部下に命令しながら生きるのがいい、転職して別の会社に勤めているだろうか? それも悪くない。起きたら引退していて、老後の余生をのんびり送っているでもいい。寺社仏閣をめぐって御朱印を集めよう。起きたら次の人生で、赤ちゃんになっているのもいいな。
今の現実から逃れられればいい。そんなことを頭で考えているぐらい、許してくれてもいいだろう。そうして私は眠りに着いた。
どれだけ妄想を膨らませても、やはり次の日は来てしまう。目が醒めた時、まだ辺りは暗かった。もうひと眠りするかと寝返りを打とうとしたが、体が動かない。動かせない。金縛りか? いや、何かに埋もれている感じだ。
まさか本当に日常が天井を突き破って押し寄せたっていうのか?
手の感触を探る。どうやら土のようだ。寝ている間に何者かに襲われて、生きたまま山林に埋められたのか? そんなサスペンス展開が自分の身に起きたというのか?
だったら眠っている間にすべてが終わっているなんて、そんな間抜けな話はない。とにかく何が何でも土の中から這い出さないと。
私は両手を使ってひたすらもがいて土をかき分けた。昨日の夜まで日常を呪っていたのに、生き埋めのまま人生が終わることを恐れていた。どれだけ時間が経過したかわからないほど体を動かし続けると、ようやく薄っすらと光が見えた。
出られる! 地上に出られる! 助かった!
体を一気に引き上げて外界に這い出る。そこは夜だった。そこで、土の中から見えた光の主は頭上に灯る月だと気づく。そして辺りを見渡すと、そこには地面に立てられた石のプレートが月明かりに照らされて整然と並んでいた。
ここは、墓地?
ここでようやく自分の体を顧みた。両手を顔の前に掲げると、それは肉を削がれた骨の集まりだった。全身に目をやると、理科の実験室で見た骨格標本そのものが見える。
墓地に骸骨…。つまり私は土葬されたのか。
あの夜、今となってはあの夜だ。昨日の夜ではない。あの夜、私が瞳をとじて願った想いは叶えられたということか。あの夜から何年が経ったのだろう。昇進も引退もすっ飛ばして、死んで輪廻を遂げる前、まさか白骨と化したところで目覚めさせるとは…。神様も人が悪い。
これが身の丈に合わない願いの報いなのか。でも、あの日常を過ごすより幸せなのかもしれない。人に出来ない余生を送れるのだから。
そんなことより…私はいつキリスト教に改宗したんだ?
インターネットの広告を見た。
『敏腕プロデューサーに認められたら賞金100万円ゲット! わたしの5分をあなたに贈る特別招待状! 出場者募集!』
詳細を見ると米国でメディア王と呼ばれる男ボデフ・ブロンクスが面白いパフォーマーを集めているという。大道芸人として芸だけを磨いてきた僕にとって、これはまたとないチャンスだった。僕はこの企画に応募した。
「やあ、来てくれてありがとう。では、君のパフォーマンスを見せてくれ」
書類審査を通過した僕は、ボデフの前で渾身の芸を披露した。それは大道芸人生活15年の集大成とも言える5分間だった。
「いやあ、恐れ入ったよ。素晴らしい芸だった」
パフォーマンスの後、口を開いたボデフから出てきたのは賞賛の言葉だった。僕は天にも昇る心地だった。次の言葉を聞くまでは。
「じゃあ、賞金の100万円を君に贈ろう。…このまま帰っていいぞ」
「え? あの、賞金というのは…」
私は思わず聞き返した。
「なんだ知らないのか? 私の5分は100万円だ」
え、なんだこれ。クソアメリカンジョークじゃないか。
「ちょっと待ってください」
反論しようとすると、ボデフは遮るように言い返した。
「私を満足させられなかった者は、ここに100万円を置いて行ったんだぞ。あと5分、ここで議論をするなら君にも100万円を置いて行ってもらわなきゃならない。早く行け」
言い返すのも虚しく、僕はおずおずと帰ることにした。詐欺にかかった気分だったが、持ち出しがなく済んでよかったと思うことにした。
数日後、私の部屋に郵便物が届いた。それは米国のテレビ番組の契約書だった。
「あの国のこういう文化嫌いだわ〜!」