与太ガラス

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1/20/2025, 12:34:56 AM

 最近、君の体調が良さそうで、少し安心しています。ずっとベッドの上で辛いだろうに、僕が新しい本を持って行くと目を輝かせて喜んでくれる君に、僕は甘えてしまっているのかもしれないね。

 自分の本棚から、君に分かりそうな本を少しずつ読ませているけど、君はすべてを理解して、どんどん難しい本が読めるようになっていくんだね。お父さんは驚いています。

 僕は色々なことを学んできて、世界の生き物や歴史や物語をたくさん知っているけれど、君の体を治す医学を学んでいなかったことが、心底悔やまれます。無力なお父さんを許してください。

 いまはお医者さんとも話しながら、自分でも病気のことを勉強しているんだ。

 猫を拾ったことを伝えていなくてごめんなさい。あれはしょっちゅう外を出歩いて、そのまま家に上がり込むから、悪いものを運んでくるんじゃないかと思って、君には会わせられなかったんだ。

 でも、仲良くなったようで良かった。冬の間はあれも外に出ないだろうから、ずっと一緒にいさせてやれるよ。

 僕はね。たった一人でがんばっている君のことを、たった一人僕だけしか知らないことが悔しかったんだ。こんなにも聡明で、生きようと懸命にがんばっているのに、外の世界のことをなんでも知っているのに、世界は君のことを誰一人知らないなんて。

 だから、猫一匹でもお友達ができて、君のことを知ってくれる友達ができて、本当に良かった。

 きっと、きっと必ず、君が外に出られる日が来るように、お父さんもがんばるよ。

1/19/2025, 12:24:56 AM

 わたしの世界は、この狭い部屋の中にしかない。ほとんどの時間をベッドの上で生活していて、窓の外の景色もずっと同じ。

「マリコは体が弱いから」

 外の空気は体に良くないんだって。お父さんはいつもそう言うの。お母さんも体が弱かったから、わたしには少しでも元気でいてほしいって。

 でもわたし、外の世界のことなら何でも知ってるのよ。お父さんがいつも、わたしに本を読み聞かせてくれるから。本の中には、世界どころか宇宙があるの。図鑑を見れば、遠い異国の地に生える植物や、不思議な声で鳴く水鳥にだって出会えるもの。アンドロメダ星雲ってご存知? とっても美しい光の渦なのよ。

 そんな時だったわ。夜中、わたしが寝付けなくてベッドの中でもぞもぞしていると、いきなり小さいかたまりが飛び込んできたの。

 びっくりして起き上がると、それはかわいい猫ちゃんだったの。お父さんがわたしに内緒で飼い始めたんですって。それからわたしの宇宙はもっともっと広がったわ。

 ちいさな肉球が、白い紙に黒い星雲を描いたから。
 

1/18/2025, 12:31:07 AM

 あー、もう最悪。いきなり今日行けなくなったってどういうことよ。全部手配したの私なんですけど。仕事だって余裕ないのに休みも合わせて、キレイなカッコだってしてきたわよ。浮かれてたの私だけなわけ? 信じらんない。

 寒空の中、待ち合わせ場所だったベンチに座り、スマホに向かってひとしきり悪態をついていた。男を見る目がないのかな。

 いきなり強い風が吹いてきた。勢いに負けて首を縮める。…負ける? やだ、もう負けたくない。強風なんかに負けてたまるか。私は勢いを込めて顔を思いっきり風の来る方へ向けてやった。負けないんだから。

 パサッ。

 ウ、ム〜ン〜!

 顔を向けた途端に紙切れが顔に張り付いた。前が見えない。慌てて顔に手をやる。

 わっぷ!

 見るとそれは映画のチケットだった。落とし物? 日付は今日の…1時間後だ! 持ち主を探さなきゃ。

 周りを見渡す。幸い私はたったいま一日の予定がなくなった暇人だ。いくらでも探してやれる。

 少し先に、服についているあらゆるポケットをまさぐりながらキョロキョロとあたりを見ている挙動不審な男性がいた。

「あの、もしかしてチケット落としましたか?」

「あ、あーそうです! 私の…です」

「ああ良かった。どうぞ」

 私はチケットをその男性に差し出した。しかし男性は手を出してこない。


「え? あの…」

「あのー、よろしければ、差し上げますよ」

 は? どういうこと? 新手の詐欺?

「ああ、そりゃ怖いですよね。すみません。実は私、フラれちゃいまして。そのチケット、余ってるんです」

 うわー、同じ境遇の人だぁ。かわいそうに。思わず私もって言いそうになったけど、それは言う必要ないか。

「あ、失礼しました。ご予定ありますもんね。困りますよね」

「あ、その、いいんですか? そしたら、お言葉に甘えちゃおうかな」

 その流れで私は、この人の隣で恋愛映画を観ることになった。少し話した感じでは、悪い人ではなさそうだ。

 映画が終わり、そのまま解散かとも思ったが。

「あのー、お礼と言ってはなんなんですが、このあとフレンチレストランでもいかがですか? 実は私もフラれてしまって」

1/17/2025, 1:07:53 AM

 カレから別れを切り出された時、私の頬を涙が伝った。昼休みの屋上、一緒にお昼を食べようと思って来たのに。なによそれ、自分で好きにさせといて、飽きたから捨てるっていうの? 自分でも感情が昂っているのがわかった。

「ちょ、おい、そんな色で泣くなよ。え? 怒ってるの?」

 カレ…元カレのその声で現実と焦点が合う。しかしそれは現実とは思えないほど真っ赤な視界だった。

 やばっ、感情出ちゃってる。私は慌てて後ろを向いて涙を隠した。手で涙を拭うと、指まで赤く染まってしまった。やだ、制服も汚れちゃうじゃん。ああ、こんな日に限ってお気に入りの白いハンカチだ。

「あ、おい待てって! ごめんな! 傷つけるつもりは…」

 私は手で顔を覆ったまま逃げるように校舎の中へ向かった。お前の言い訳なんか聞きたくない。それより今は一刻も早く涙を止めなければ。人に見られたら恥ずかしさで別の色の涙が出ちゃう。

 昼休みの校舎は廊下にもたくさんの生徒がいるが、みんな自分たちの話に夢中でこっちを見ていない。お手洗いまで誰とも顔を合わせずになんとかたどり着くことができた。

 洗面所の蛇口をひねり、冷たい水で顔を洗った。透明な水が私の涙を洗い流してくれる。

 幼い頃から人前で涙を見せるなと言われ続けてきた。感情を見せるのがはしたないとか、子どもっぽいとか、そういうことではない。涙の色で感情がバレてしまうからだ。

 子どもは特に感情のままに泣くから、むしろ周りの大人はその涙の色で、なんで泣いているのかを判断していた。痛みの涙は赤黒いから、探せばどこかにすり傷が見つかるし、悲しみの涙は青っぽいから、お友達とケンカしたことが予想できた。

 大人になると感情をコントロールするのが上手くなる。だから泣くことも少なくなるし、涙の色も透明になってくる。

「まさか赤で泣くとは思わなかったなぁ」

 放課後、マックで事の顛末を親友のアカリに話した。

「見たかったなぁ。ミサキが怒って泣くところ」

 今日は、自分が泣いたことにも驚いたし、その色が赤だったことにも驚いた。

「やめてよ、恥ずかしかったんだから」

「でもカレシにはそれだけ不満があったってことでしょう? 別れてよかったのよ」

「わー、なんかドラマみたいなセリフ」

 そこで二人でわっと笑った。

 ドラマや映画で、涙は重要な意味を持つ。作者が込めた想いは、ここ一番というシーンに俳優の涙の色で描くことができるから「最高の涙が撮れればその映画の成功は約束される」なんていう格言もまことしやかに吹聴される。演技の中で自在に涙の色を操れる女優さんは「涙の女王」と呼ばれ、様々なヒット作に出演することになる。

「そっかぁ、私いまドラマみたいな恋してたのかぁ」

 悔しいけどなんか嬉しい。

「あれじゃん。ドラマのお決まりの展開。『赤い涙のあとは、必ず復讐劇になる』。今頃カレシ君、ビビりまくってるんじゃないの?」

「あはは、いい気味だ」

1/16/2025, 12:08:22 AM

 あなたのもとへ身を寄せてから、もう三年が経つのですね。窓の外が白く染まるのを見て、そんなことを思いました。どれだけ歳月を重ねても、私があなたの腕に抱かれて眠ることはありません。

 身寄りを失い、根無し草のように放浪していた私に、夜風をしのぐ宿を与えてくれたばかりか、こんな立派な縁側のあるお家に住まわせていただけるなんて、望外の幸せでございます。

 毎朝同じ時間に食事を出していただける生活が来るなんて、それまでは夢にも思わなかったのですよ。それなのに私ときたら、気まぐれにいらないと言ってそのままお外へ出かけて行くこともありましたね。困らせるつもりはなかったのですよ。私が本能に従って進む性格だってことぐらい、あなたはご存知でしょう?

 あなたには私の他に大切な人がおありでしたのね。私にとってその人はこのお家の先客でした。あなたがその人のお部屋で親密な時を過ごしておいでなのが悔しくて、少しやきもちを妬いておりましたの。あなた、私には手も触れてくださらないのに。

 だから私、あの人のお部屋にいたずらをしに行ったんですのよ。寝ている顔をめちゃくちゃにして、引っかき傷でも付けてやろうかと思ったの。

 私が「覚悟なさい!」と叫んだら、あの人はバッと飛び起きて、満面の笑みで私を覗き込んだの。あなたもあの笑顔にやられたのね。あの無垢な御顔には、傷ひとつ付けられなかったわ。汚してはいけないと思いましたの。

 それから私があの子と仲良しになったの、あなた知らないでしょう? あの子ったらそのまま私に飛び付いて、柔らかい指で私の身体中を撫で回したのですから。そんなことをされたら私も気持ち良くなってしまって…。

 あなたはあの子に、このお家にあるたくさんの本を持って行って、おはなしを読んで聞かせてらしたんですってね。ええ、全部あの子から聞きましてよ。それで、あの子もお気に入りのおはなしを私に教えてくれるんですの。私は途中で眠たくなって、最後まで聞けないこともあるのだけれど、それでもあの子は優しく私を撫でてくれるんですのよ。

 気が付いたら、こんな語り口になっておりましたわ。あなた、なんて古風なおはなしを読み聞かせておいでだったの? こんなにもたくさんの言葉を覚えてしまったら、もう私「にゃあ」なんて鳴けませんわよ。

 あなたはいつかいつかと機会を窺っていたのでしょうけれど、決してあなたの腕になんか抱かれてやるもんですか。私は決めましたのよ。あの縁側から見える景色が真っ白になる間じゅう、この子の手の中で過ごすって。

 そしてお庭の土が見える頃になったら、たくさん外に出て、お部屋から出られないあの子に、私が見聞きしたありのままをおはなしするんですから。

 そしたらまた、あの子の温かい手のひらで、優しく撫でてもらうんですから。

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