「夫婦のイメージですか? あんまり興味ないですね」
「結婚? いやちょっと考えたこともなかったな」
結婚は人生の墓場である。いまやこんな価値観が世の中を支配していた。結婚はダサい、結婚したら人生終了、誰もがそう思って生きていた。
そんな時代に、この番組は始まった。
結婚に興味がない男女数人を集め、共同生活をする中で恋愛を促す企画。そして番組が用意した仕掛け人が、事あるごとに結婚の素晴らしさを語っていく。
夫婦生活がいかに楽しいかをアピールし続けるライフプランナー。結婚で様々な特典が得られると宣伝する自治体職員。結婚30年の夫婦が語る愛と感動のエピソード。
夫婦として結ばれたカップルから墓場へと入っていく皮肉な演出。番組は恋愛リアリティーデスゲームと呼ばれ一世を風靡した。
往年の映画の冒頭シーンを思わせる教室で、拳銃を持った神父役が宣言する。
「これからみなさんには、夫婦になってもらいます」
【当店新作!懐かしのシベリア!】
「店長、シベリアってパンの名前ですか?」
何かも知らずに言われた通りにPOPを書いていた私は、アホみたいな質問を投げた。「バイト募集」の貼り紙以来、商品の脇に置くPOPも私の担当になっていた。
「パンっていうよりスイーツね。昔はパン屋さんでもよく売ってたみたい」
「店長も売ってたの知らないんですか?」
「あんまり馴染みはなかったな。大正とかそのぐらいの時期にはポピュラーだったらしい」
お店はピーク時間を過ぎて、バイトもみんな上がっていた。レジのチカコさんと遅番の私だけが残っている。
「なんでまたそんなスイーツを作る気になったんですか? 若者に流行ってるとか?」
「最近映画を観たのよ。ジブリの『風立ちぬ』って知らない? あれに出てきて」
ふーん、と言いながらスマホで調べる。
「ってこれ10年も前の映画じゃないですか」
声の出演に「庵野秀明」とあって二度見した。観てみようかな。
「店長、自由すぎませんか?」
「なんのために自分でお店やってると思ってんのよ。挑戦も失敗もぜんぶ自分の責任。だから楽しいんでしょうが」
まぶしい、あの店長がキラキラしている。今なら時給アップチャレンジも成功しそうな気がする。
「ヤマノさん、シベリア見たことないんでしょ? 今から作るから見ていく?」
「あ、はい」
翌日、カステラ生地を袈裟に切ってサンドイッチのようにあんこを挟んだシベリアをトレイに載せて、私は店内に入った。昨日書いたPOPのプレートも載せて。
普通のシベリアはサンドイッチぐらいの大きさだが、店長はさらに2回カットして一口サイズにしていた。
「あら、かわいらしいシベリア。懐かしいわぁ」
いつも来てくれる年配のご婦人が嘆声をあげる。おお、ご存じでしたか。
「ひとつもらおうかしら、ここから取ってよろしいですか?」
「どうぞどうぞ」
ご婦人はまだ私の手の上にあるシベリアをトングでつかんだ。すごい、いきなり売れた。
店内を見渡して置けるところを探す。あれ、商品棚が空いていない。これ、どうすればいいんだ? 開店直後で棚の商品はパンパンだ。…うん、文字通りパンパンだ。って言ってる場合じゃない。
「店長! 棚空いてないです!」
見ると店長はレジに追われている。
「仕方ない、ヤマノさん、ちょっと持ってて」
新作は計画的に作ってくださいよ。もー、自分の店なんでしょ。そうしている間にも次々に声をかけられる。
「えーなにこれ、シベリア? 初めて見たー」
「この形おもしろい、オシャレじゃない?」
「すごい映えそう、ひとついただいていいですか?」
私はトレイを持ったまま立ち尽くしていた。これじゃデパートの試食コーナーみたいじゃないか。棚は空かないし、シベリアは売れていくし、他の仕事できないし、カーテンもないし、花を入れる花瓶もないし、N.O.じゃないんだよ。どうしたらいいんだ。
これじゃ棚が空く前にシベリアが…あ、ない。
「店長、シベリア、売り切れました」
「あらそう」
店長の目が鋭く光った。
「明日は5倍作るわよ。ウチの店からブームを生むわ! ヤマノさん! ポスター作って!」
相変わらず商魂たくましい。店長、新作は計画的に。
『ごめん!いま起きた!』
最悪。待ち合わせ時刻の5分後にメッセージが来た。もう着いてるんですけど。
『場所も時間もそっちが決めたんだよな』
駅構内のC&Cの対面、ベンチが3つ並んでるところに13時。サトシから指定されたのはこの場所だった。
『ごめんなさい』『もうしません』『死して詫びる』
謝罪スタンプ3連投されてもイライラが募るだけだ。今日オレ誕生日だぞ。
『あな許すまじ…!』
怒りを込めたスタンプで返す。
『恩に着ます』『神様かよ』『一生ついて行きます!』
ヨイショスタンプ3連投…あれ? 勘違いしてるぞ。
『違う!「許す・マジ」じゃなくて「許すまじ」な!』
『ダッシュで2時間で向かいます!』
いやもういいっつぅの。
『帰るからな』
『そう言わないで、カフェでも行っててよ。あとでおごるから!』
はぁ、めんどくさぁ。呆れてベンチにドサっと座る。刹那、背中にチクっとする感触があった。ん?
振り向いてベンチの背もたれを見ると、横木の間に紙が挟まっている。手に取ると二つ折りになっていて外側は黒一色だった。私は二つ折りの中を開いた。
【宝探しへの招待状】
見るからに怪しい文章だ。
【おめでとう!幸運なキミは宝探しへの招待状を手に入れた!暗号を解読して目的地をたどれば、素敵なお宝がキミを待っている!もしお暇だったらぜひ参加してみてくれ!所要時間は約2時間です。—玉栄商店街企画室】
一応ちゃんとした企画っぽいな。しかもご丁寧に所要時間まで書いてある。こんなのどこで配られてるんだ?
謎解き好きの性格がうずく。どうせ暇だし、やってみるか。念のためサトシにメッセージを送る。
『駅の外、出てるぞ』
最初の暗号が示す目的地は書店だった。なんの因果かサトシが指定した駅はオレとアイツの通っていた大学の最寄駅で、この書店は大学時代によく通った場所だ。
「あの、このイベントで来たんですけど」
レジで店員さんに話しかける。招待状を見せれば「お宝」を渡してくれるらしい。
「わ、あ、えっと、おめでとうございます。す、素敵なお宝を進呈いたします」
女性の店員さんはちょっと恥ずかしそうにそう言って、店の奥に入って行った。かわいい。最近入ったバイトの子かな。たしか店長はファンタジーに出てくる賢者みたいなおじいちゃんだったよな。
「お宝は、あの、こちらです」
受け取ったのは「ワンピース97巻?」
「あの、」
「ごめんなさい、わたしバイトなので詳しくはわからないんです、ごめんなさい」
そうだよなぁ。問い詰めても仕方ない。一緒に次の暗号も受け取った。これも真っ黒の二つ折りカードだった。
次の暗号が示す場所は、パン屋さんだった。ここは…大学時代のバイト先じゃんか。オレは恐るおそる店内に足を踏み入れた。
「あのー…」
ここで言葉が詰まった。見覚えのある…どころじゃない、かつてオレが想いを寄せていた元同僚がレジにいたのだ。
「え? タクミくん? やだ、ホントにき…、ホントに久しぶり、どうしたの?」
「いやあの、このイベントで」
オレは2枚の暗号カードを渡した。
「わー、すごいすごい、暗号解いたんだね。ここにいた時から謎解き好きって言ってたもんね」
「いや、こんなの誰でも解けるし」
なにオレ、中二みたいな受け応えしてない?
「はいこれ!素敵な宝物です!」
え、ちゃんとしたショートケーキ。イベントでこんなのもらえるの? ホントにお宝じゃん。
最後の暗号をもらって、店を出る。
「あ、タクミくん!」
扉が閉まる直前で呼び止められた。
「お誕生日おめでとう!」
覚えててくれたんだ。やばい嬉しい。
「あ、うん、ありがと」
オレ中二すぎるよ!
さて、最後の暗号ですが…。玉栄公園のど真ん中。タヌキとキツネが絡まり合う前衛的なモニュメントの裏側に、QRコードが貼ってあった。
仕方ない、やってやるか。
オレはそのQRコードをスマホで読み込んだ。すると画面はメッセージアプリのグループチャットに遷移した。
『Congratulations!』『誕生日おめでとう』『Happy Birthday!』『ケーキ』『クラッカー』『紙吹雪』
いきなりたくさんのスタンプが飛び出してきた。誕生日おめでとうってやっぱり…。
「サトシ! いるんだろ? 出てこいよ」
物陰からサトシがひょっこり顔を出す。すると後からエミリとユキエとダイゴがぞろぞろ出てきた。
「さすがタクミ、気づいてたか」
サトシがあちゃーという顔をする。
「でも楽しんでくれただろ?」
小癪だけど素直に言っておこう。
「ああ、楽しかったよ、ありがとう」
あー言いたくない、言いたくないけど、やっぱりこの仲間がオレのいちばんの宝物だー、…じゃないよ!
「サトシ!お前このワンピース97巻、大学時代に借りパクしたやつだろ!」
「わーバレた! 大事な宝物だろ?」
「ふざけんな、いまさらいらねぇよ!」
部屋に帰ると、暖気が冷えた体を包んだ。同居人はすでに帰っているようだ。
「おかえり〜、もうすぐごはんできるよ」
カナデはキッチンでグツグツ煮込んでいた。ホワイトソースの香りだろうか。
「お、もしかしてシチュー?」
カナデの顔がぱぁっと明るくなる。
「そう!なんか急に寒くなったじゃん、だからあったかいもの食べたいなって思って」
「わかる、いきなりこの寒さはないよな」
コートを脱いで手洗いうがいをしたら、自分も食事の準備を手伝う。食卓にスプーンや小皿を用意していると、トロトロのシチューを盛り付けた皿を持ってカナデが現れた。
「じゃーん、あったかシチューの出来上がりでーす」
野菜の詰まったシチューからほわほわと湯気が立ちのぼっていた。ひと口食べるとソースの甘味が全身に伝わって体の芯まで温まるようだった。
「おいしい、なんか元気出てくるな」
食事を終えてゆっくりしていると、洗い物を終えたカナデが何かを持ってリビングにやってきた。
「仕上げはこれ!季節が急に変わったときは、ココロの芯からあったまらないとね!」
そう言って取り出したのは色のついた小さなグラスだった。中に白い液体…いや固体か? 真ん中で茶柱のようなものが立っている。
「え? ナオ、アロマキャンドル知らない?」
言われてはたと気がつく。なるほどアロマキャンドルか。自分では買った試しもない。カナデはどこから持ってきたのか、こちらも自分では買わないマッチ箱を取り出し、マッチを擦ってキャンドルに火をつけた。
次第に薄っすらと香りが漂ってくる。フルーツの香りだ。たぶんこれは
「りんご…?」
「へへ、そうそう、青リンゴみたいな香りでしょ、これカモミールの香りなんだ。落ち着く効果があるんだよ」
「カモミール…」
私はつぶやきながら、だんだんと眠くなっていくのを感じた。今日は寒かったのに、部屋に入ってからずっと暖かい。まぶたが重くなっていく。
ああ、そうか。
一人で暮らしているときには気づかなかったことだ。部屋に入った時の暖気も、誰かの作ったシチューの湯気も、アロマキャンドルの香りも。冬って寒い季節だけど、あたたかさを感じる季節なんだな。
私は心地良い香りの中でゆっくりと目をつぶった。
この思い出は赤のクレヨン。こっちの思い出は水色のクレヨン。子どもの頃からそうやってノートに思い出を書き分けていたら、だんだん、印象に残りそうな場面でこれは何色だなってわかるようになった。
友達といる時はオレンジ色、試験前は群青色、体育の時は黄緑色、歌っている時はピンク色。
美術の授業で色彩を勉強したら、どうやら楽しい時に暖色系に、悲しい時に寒色系に感じるみたいだ。
高校生になると、その感覚がどんどんエスカレートしていった。起きている間ずっと、感情が色になって見えるようになった。視界に色が付くわけじゃない。脳を色が覆うような感覚。たぶん共感覚みたいなことだ。別に不便なわけじゃないし、特殊能力を持った感じで嬉しかった。
でも初対面の人に出会った時は、変な先入観を持ってしまうこともある。ぱっと見で明るい感覚になれば、たぶん友達になるし、暗い色になれば、たぶん仲良くなれない。
上京して大学に入ってすぐ、サークルで出会った先輩は、ちょっと気味が悪かった。会った瞬間、視界でわかるほど目の前が真っ白になった。
この感情だけはわからない。これからどうなるのか、その人に何をされるのかわからない恐怖があった。東京にはまだ私の知らない感情があるのか…なんて詩的なことを思ったりもした。
私はちょっとその先輩を避けるように過ごしていたが、飲み会とかで話すことがあると何故か趣味が近くて、好きなバンドの話で盛り上がった。そんな時は頭にオレンジやピンクが薄く差した。
大学2年の年末、実家に帰省した。思い立って子どもの頃に書いていた思い出ノートを探した。それは子ども部屋の押入れの中にあった。
カラフルなたくさんの思い出の中に、私は白を探した。そしてある一文が目に留まった。
「きょうはちかちゃんと しょうらいのゆめ をはなした」
5歳ぐらいか?全部ひらがなの文章をゆっくりと読み進める。
「ちかちゃんは あいどる になるってゆった」
アイドルはやはりピンク色で書かれている。
「わたしは しょうらい をきたいってゆった」
ん? なんで書いてないんだ? 違う。よく見ると、そこに白い文字が書かれている。これだ。先輩の謎は私の将来の夢に関わっていたんだ。
じっくりと目を凝らす。心臓が高鳴る。脳は緊張の黄色で脈打っている。
「わたしは しょうらい ウエディングドレス をきたい…」
ウエディングドレスを着たい。子どもの夢としてはあってる。いわゆる「お嫁さんになりたい」という夢だ。つまり先輩は私の…運命の人?
大学を出るまで、私と先輩が付き合うことはなかった。なぜって、先輩は一緒にライブに行った私の同期とくっついたからだ。
そして大学を出ると…
先輩は就職してウエディングプランナーになった。