「お待たせ、危ないよ」
「大丈夫、早かったな」
風の吹き抜ける屋上
夕日に煌と舞う黒が眩しく
俯きがちに歩いた先で
からころと笑い声が降る
「後どのくらいだった?」
「一時間くらい」
「本当に案外早かったんだな」
「此処まで来て優先順序は間違えないよ」
「どうだか。手紙忘れてきたりしてないか」
「元々用意するつもりなかったし」
「………そーか」
疾うに既に意味の無いそんなのもの
けれどその右手にひらひら踊る白い紙
「……案外、意外」
「笑えよ一寸感傷に浸ったんだわ」
「笑わないよ、良いんじゃない」
赤い日差しが墜ちてくる
煌々と灼々と墜ちてくる
眼下は忙しなく騒々しく
不気味な程に静まり返り
ただ戦々恐々侃々諤々
大地が太陽に墜ちてゆくのを
ーーー待たないと、二人で決めた
「じゃあ、そろそろ行くか」
「そうだね。またいつか」
靴は脱がずに柵の外
最後の握手は酷く熱く
からりとした笑顔と共に
溶け爛れる風へ足を踏み出した
<風に身をまかせ>
さらさらと細砂がこぼれてゆく
もったいなくて指をのばした
さらさらと肌をけずる
まだとまらないと掌をさしだした
さらさらと隙間からこぼれる
あんだ髪で骨をおおった
さらさらと千々にちぎれる
かわきかけの血でくっつけた
さらさらとこぼれる
さらさらとこぼれる
あとなにができるかしら
あとなにができるかしら
「そういえば」
「頭は盃になれるのでした」
さらさらとこぼれる
さらさらとけずる
さらさらと
さらさらと
<失われた時間>
好きなものを食べて
好きなものを買って
好きなお仕事をして
好きな遊びをして
好きなことをして
好きな時間に寝て
好きにしても怒られない
なんて
夢を見続けていたかったね
<子供のままで>
赤色を筆で一閃
君と目が合った瞬間に
桃色をスプレーでグラデーション
君の姿を追う度に
橙色をペンで描いて
君の心を知った時
黄色をカラーボール一つ
君にそれでもを伝える勇気
緑色を様々スタンプ
君の隣から目を反らし
水色をスパッタリング
君へ笑えない激情と
青色をバケツに一杯
君に言えない祝福を
白色で全て塗り潰し
黒色で堂々書き上げる
君には二度と伝えない
君に焦がれて描いた先
<愛を叫ぶ。>
蝶だ、と呼ぶ。彼女は一瞥しか返してくれなかった。
伸ばした指先に上手く留まったそれを近づけると、
意外な程嫌な顔をされた。
蝶は嫌い?と覗き込む。所謂虫全般苦手という人ではなかったから。重ねるなら、いつも室内の虫を外に出すのは彼女の役目だったから。
あまり好きじゃないの、と彼女は言った。
飛ぶ虫は怖いのよ、と彼女は言った。
こんなに可愛いのに?と翅をつまみ広げた。蜂ならまだしも、無害な蝶を怖がる意味が分からなくて。
見た目の問題じゃないの、と彼女は言った。おぞましいの一歩手前のような目をして言った。
飛ぶ虫は、
飛ぶために身体が脆いのよ、と。
きれいな蝶は、
燐粉が取れると飛べなくなってしまうのよ、と。
離した指先、ふらふらと不格好に飛んでいく白い翅。
白く光る粉を濡れタオルで拭いながら彼女は言う。
今あなたは、命を一つ殺したのよ、と。
<モンシロチョウ>
強くて大きな背中でした。
大きな怖いばけものから、一太刀で守ってくれた
その人は、とても格好よくて。
多分初恋でした。一目で好きになりました。
一緒に遊んでくれる足が、
優しく撫でてくれる手が、
行道を寿ぎ帰道を慶ぶ声が、
いつも隣に居てくれた人が、
大好きでした。今も大好きです。
だから、だから、きっとずっと、
ずっと一緒にーーー
「……………馬鹿な夢。」
まだ薄明るい窓の下、固まった身体を伸ばすように
鏡を手に取った。
目と肌の色は問題ない。でも髪を伸ばしすぎた。
表情筋を調整して、屈託ない笑顔になるように。
声の低さが届かないままだけど、今度の報酬で
目処が着く、筈。
夢想の背中を思い出す。
爪先まで天辺まで強く強く思い返す。
まだ全然違う身体を、どう修正する。
あの正しい心根を、どうやって再現する。
どうすればあの人は戻ってくる。
あの日死ぬべきだった私の代わりに、
もう焼け落ちた身体の代わりに、
あの人を、その名を、存在を、
私が確かにしなければ。
必ずあの人を蘇らせなければ。
<忘れられない、いつまでも。>