君がついに旅立ったと、手紙がありました。
大々的に、なんて昔は言ってましたけど、
随分小ぢんまりしそうな気配がするのは
気のせいでしょうか。
親も子も片割れも置いていくなんて、
薄情な君らしいなぁと思います。
結局約束を破られてしまったけど、
此方は守り続けるつもりなのでね、
後で悔しがる君の顔が目に浮かびます。
……はは、ざまみろ。
精々一人で天国探索しててください。
それじゃあ、またいつか。
<泣かないよ>
「何で大概の水場には、必ず鏡が置かれるんでしょうね」
赤い口紅をポーチに仕舞いながら彼女は言う。
「化粧室とか洗面所はまだ分かるのよ。お手洗いやお風呂場やキッチンにも置かれる理由が分からないの」
まして、と小さく指差された先。
「こんな大きな合わせ鏡にするなんて」
広く見せるためじゃないの、と問えば。
「化粧直しなんて、寧ろ誰にも見えないようにしたくないかしら」
それもまあ一理、と鏡を見やる。
化粧して尚青白い肌の彼女は、
鏡の向こうで赤い唇を吊り上げ嗤っていた。
<怖がり>
蒼いシロップを透き通るまで割って
ふわふわの綿飴で蓋をする。
雫模様を描いたグラスには
強めのクリームと鮮烈なレモン。
きらきらと注がれるサイダーに
小さな金平糖が踊っている。
ふと視線を向けた暗闇は、
気の遠くなる様な銀紗に覆われて。
私のいないその暗闇は、
いっそ五月蝿い程に眩いようで。
サービスです、と差し出されたチョコレート。
白い果実を隠した黒を、皮肉かしらと見上げれば
次は暫く先でしょう、とマスターは笑う。
それもそうか、それもそうだ。
私を見えなくなった人々の歓声に耳を傾けながら、
移り行く時にグラスを重ねた。
<星が溢れる>
硝子は性状としては液体なのだと言う。
細かな理屈は忘れてしまったが、
昔確かに教室で聞いたのだ。
身近なモノが必ずしも、
一般的な様相を示す訳ではないと。
そう言えば水もそうだった。
氷になると体積が増える、なんて
一番身近なくせして他と真反対を起こすのだ。
であるならばその透明も、
白膜を切り開き溢れる水晶体も
きっと同じことを起こすのだ。
閉じられた目蓋の奥
二度と開かない目蓋の奥
きっと其処には普通も常識もない、
天上だけが写っている筈なのだ。
<安らかな瞳>
「好きだねえ」
「好きだよお」
右腕にぴったりくっついて、筋をなぞって遊ぶ。
見慣れすぎた角度では、彼女はいつも楽しそう。
でも風に身を震わせたから、駄目元で手を握った。
「体冷えてるよ、せめて逆に来ない?」
「やだ、こっちが好きなの」
「……じゃあせめて、コートか毛布被ってて」
「……はあい」
其処にいてね、と言われたから
当然だよ、と頷き返す。
小さな背が扉の向こうに消えたから、
左手で右腕に触れた。
硬く、無骨で、人の形をなしていない、
冷たい冷たい義手に触れた。
まだ肉の有る左半身の方が温かいのに、
寒空の下では彼女の温もりすら秒で消える。
「オーバーヒート機能、いくらだったかな」
小さい溜息も風に飛ばされ、
ただ少しだけ目を閉じた。
<ずっと隣で>
好きな食べ物 好きな色 好きな服装 好きな場所
嫌いな人 嫌いな勉強 嫌いな季節 嫌いな曲
良い記憶 悪い思い出 覚えたい景色 忘れた言葉
隅から隅まで 端から端まで 爪先から頭の天辺まで
そうしたら、そうすれば
「残念だね、もう全部『私』のモノなの」
『私』の『そっくりさん』は、悲鳴をあげて消えていった。
ようやっと『私』は私になれたのだ。
<もっと知りたい>
田んぼ、川、盃、田んぼ、茶釜、馬ノ目
「暇だねえ」
蛙、川、茶釜、田んぼ、川、盃
「まあ、暇が一番でしょ」
田んぼ、田んぼ、川、盃、田んぼ、茶が……
「あっ」
「あっ」
「あーあ、やっちゃった」
「もー。だぁれ、輪廻切ったの」
釜割れ、杯砕け、崩田、血河、荒馬、蛙毒、
「人間ってば、争い事が好きねえ」
「また運命ほどくとこから再開じゃん、めんど」
<平穏な日常>
「何で鳩?」
「先輩から借りてきた」
白く柔らかな羽毛は本物のようで、
加えた葉付きの枝がどこかコミカルで、
割れた硝子目が妙に不気味だった。
「手品の種だって」
「そんなの飄々と人に預けて良いの?」
「先輩が渡してきたから良いんじゃない?」
ビーズ入れから青球を二つ、
「黒じゃないの?」
「指定入った」
割れと罅入りの黒硝子を外して、てきぱき縫い付け、
「はいおわっ……おお?」
「どうし、て、ええー…」
修復された筈の鳩の縫いぐるみは、机の上でちょんと自立し、そうして翼を広げ窓から飛び立って行った。
「手品の種……?」
「いや普通に綿の感触したよ……?」
先輩からの返事は『付喪神って知ってる?』の
一言だけだった。
<愛と平和>
「やぁ、元気してたかい」
「元気に見えるなら目が腐ってるな」
じゃらり鳴る鎖の拘束、無骨な鉄柵の向こう。
強い眼差しが爛と刺さる。
「早く吐いてくれれば出してあげられるのにさぁ。
強情って言っても程度があるでしょうよ」
「知らんと言ってる」
「『君が知っている』ことを僕が知ってる」
「………」
「だんまりはいい加減飽きたよ?」
蹴り付けた金属音が不快に鳴り喚く。
肩を揺らすことも、視線を外すこともなく。
「……今日中」
蹴り付ける。そんなことで柵も錠も壊れはしないのに。
「明日になったら、聞いてあげられるのは
晩餐のリクエストだけだよ」
「……は、そりゃいい」
一度だけ空気を食んだ唇は、当然弧を描いていた。
「お前の五月蝿い舌でシチューでも作ってくれ」
「それは、」
「お前らのとこじゃあ人食いは地獄行きだったな」
「……そうだね」
そしてそれは、貴方の所では愛の証明だった。
憧れるよな、と月の下で笑っていた貴方を、
その手の暖かさを惜しんだことを。
貴方の元に居ることを、日常にしたかったことを。
「考えておくよ」
「じゃさっさと行けよ。忙しいんだろお偉いさん?」
端から手に入れることの出来ない幸福を踏み潰して。
「……じゃあね『リーダー』」
「クソ喰らえよ『新人』」
<過ぎ去った日々>