小さい頃の思い出。
自分の思いつきか、絵本かなにかからの受け売りか忘れてしまったんだけど。
ススキをホウキに見立てるのはよくある話しだと思うけど、自分はそれに加えて、ススキが上を向いて生えているものだから、星や月を掃いて集められないかという想像をしていた。
例えばビーズやおもちゃのガラスのようなキラキラしたものを、紐に通して線にしてそれで形を作るのもきれいだけど。
集めてボンドでとめるみたいに、平面でぎゅっと固まってくれたら、それはそれできれいなのでは?と思っていた
題 日差し
日差し、と書くと私は、日の光のなかでもじりじりと暑い、日の照る範囲にあるもの全てを焼く真昼のそれを思い浮かべる。
特に今の時代は、夏の日差しというのは殺人的だから、午前に洗って干したシーツなんかが午後二時くらいになってすっかり乾いていると、いっそ清々しさすら感じて洗濯物がはかどる。
アスファルトに浮かぶかげろう、温い噴水、熱中症のニュースと氷入りのジュース。
白い熱波はいつの間にか、暗い影から涼しく眺めるものになっている。
題 繊細な花
散文、書き散らし
繊細な花というのはあるか?そもそも花は繊細か?
植物博士とは程遠い自分だけど、花は植物にとって繁殖のために必要な重要な器官だ、ということはわかる。
もちろん例外はあるかも。
虫などを引き寄せたり、近寄って貰うために目立ったり。
逆に、花には成長のエネルギーをほとんど回さず、目立たせもしない植物もあったり。
目的のためにある姿を狙って、自らを変化させて、そういう姿はむしろ力強いと思う。
芝桜はいい例なのでは。
小さいけれど、人間に好かれることで広く繁殖していて、万も集まるとむしろ威圧感がある姿になる。
花は力強い。どんな姿でも。
題 子供の頃は
子供の頃だけ出来ることってあるじゃないですか。
もちろん、純粋な数とか、社会的に許されているかどうかの範囲でいったら、大人になってからのほうがずっと多いし広いと思います。
けれど、よく子供向けの冒険小説とかで見たことありませんか?
子供だけ入れる隙間に入って隠れたりとか、子供だからこその演技でその場を逃れる場面。
かくれんぼとかの遊びがその最たるもんだと思いますけど。
あの遊びをしている最中って、勝負の行方とかより、よくそこを思い付いたな、とか、よくそこに入れたな、とか、そういう発見で他の子供を驚かせてやりたいという一心だけで参加している子供もいるんですよ。
あの子と私もそういう感じでした。特にあの日は、夏休みのキャンプ、一つか二つ年上の知らない子と一緒に、初めて見る深い森でのかくれんぼでしたからね。
勝ち気な私もあの子も、小学生にとって一年上なんてのははるか大人ですから、うんと驚かせてやるんだと息巻いてたんです。
あの子のことは好きでしたよ。ずっとずーと、競い合いながら笑い合いながら遊べたらいいなと思ってました。
嫌いだなんて思ったことありません。喧嘩は子供にはつきものですし、むしろあるべきでは?
唯一、あえて言うとしたら、不幸だったのは、お互いにライバル心があったことなんでしょうね。
あの子じゃなくて私がこれをやってやりたかった、とか、あったんですよ。
あの子のとっておきの隠れ場所は岩の下でした。
一緒に見つけましたけど、あの子の方が足が早くて体が小さかったので。
するっと蛇みたいに潜り込んで、「私のー!」なんて叫んだんです。
…やだなあ、だから嫌いじゃなかったんですって。
地震が急に起こって、あの子の聞いたことない悲鳴が聞こえて。岩の下、真っ暗な影のなかから、あの子の真っ赤な、苦しみで歪みまくった物凄い顔が浮かんでて。
怖かったし。
可哀想だったし。
ちょうど、お墓みたいだったから。
岩で埋めました。
まあ、子供の頃の話ですから。
ちょっとあやふやなところはあるかもしれませんけど。
題 相合傘
わかってる わざと忘れる いつもそう
気づいて言わない私も私
わける傘 優しさじゃなくて見栄のため
むしろ濡れてる私に気づかず
金ないからさごまかしたわかってた
あなたもわかって傘をわけること