題 落下
落ちていくときは一瞬
感覚の名残はずっとここにあるのに
おちたな、なんて偉そうに見下ろして
長く落ちればそれは滑空
題 一年前
散文、書き散らし
自分のささやかな目標の一つに、例えどのタイミングであっても、一年というスパンで振り替えったときに「以外と色々やってるじゃん」と思えることがすぐ思い付くこと、がある。
内容はなんでもいい。
要は、自分の中で特別な何かとして残っているか。
残っている理由は、単純に珍しかったり、初めてのこと、難しかったりする。
でも何気ないこと、続けてなくても無料のことでも、残っているものはある。
そのやったことのなかに、何か特別なことを見つけているか、見つけ出せているか。
自分の行動に対しての目を養っている気がして、自分にとっては結構重要。
また何か面白いことをできますように。
題 あじさい
散文、書き散らし
私の生まれた北の地では、梅雨はそれほどはっきりしていない。
幼稚園のころには、カレンダーやれんらくちょうなんかで6月のページになると、あじさいのそばでかえるが笑っているのを見るにつけ、なぜあじさい?なぜかえる?と思ったものである。
だから紫陽花のある風景というのも身近ではなくて、6月になったら自然と目で探す…ということもなく。
本州に渡ってきて良いことの一つはそれだと思う。
もちろん、暦や月の花の"常識"とは、暦や常識を"作れる人たちにとっての"暦や常識でしかない。
暦や常識が作られたとき、作った人たちは全国どこでも、誰でも、この季節になるとあの花を探す感覚が好きだし共感できると思っていたんだろう。
素敵な傲慢だと思う。
そう想像する。
だから6月は紫陽花の季節でもいいし、よさこいの季節でもいいし、カビの季節でもいい。
夏が来る。
題 好き嫌い
散文、書き散らし
好きな曲の歌詞に
「好きなものがだんだん増えて
嫌いなものもだんだん増えた」
とある。
成長だなぁ、と最近聞くと思う。
成長のことだと思う。
知っているものごとのことが、総量が増えていくと、好きも嫌いも増えていく。
増えていった方が健全な気がしている。
上手な引き算ができる人はまず上手な足し算ができるようになっている、とどこかで聞いたことがあるようなないような。
そうやって自分のことを自分でわかっていく。
好きなことを増やして、嫌いなことを諦めたり許したり距離を取ったり、戦ったりできるようになる。
あなたと私の好きなものが重なって、広がったら嬉しいね。
そんな気持ちで人と話す。
題 街
散文、書き散らし
街と町の違いってなんだろう?
調べると、街のほうは人が多く出入りする場所や都会的な様子を表すときに使う。
町は、街を含んで、人が暮らしている場所として幅広いシーンで使える。
とのこと。
田舎、過疎化の土地は街には入ってないのかな?
人が多いところはいい意味で尖った趣味、店、人や活動が多い。
人が多くないと生き延び続けられない、街でもさらにマイナーな人たちによって大切に営まれるもの。
蛇カフェが好きです。街でなければ生まれない場所。
たまに当たるおおはずれくじみたいな人と一緒に、そんな場所を守る人も一緒に暮らす、街に想いを馳せる。